Altered Notes

Something New.

オードリー・若林正恭氏への強烈な違和感

2021-09-01 00:22:55 | 人物
ずる賢い人間や弱い人間はしばしば「強い者には弱く出て、弱き者には強く当たる」傾向が見受けられる。ある意味で卑劣な性向を持つタイプである。現在の芸能界で自分が見ている範囲で言うならば、オードリーの若林正恭氏がそれに該当すると思う。そう言うと喫驚する人がほとんどであろう。若林氏は芸能界・テレビ界では概ね評判が良く、従ってオファーが絶えない使い勝手の良い芸人の一人として認識されているからだ。

若林氏は芸能界では評判が良く、いわゆるアイドルの子たち、例えば同じ番組に出演している坂道グループのメンバーからは全幅の信頼を勝ち得ており、メンバーの中には若林氏に心酔するほど入れ込む者も居るし、他にも若林氏からのアドバイスに感動して涙するメンバーが居るなど、多くのメンバーからリスペクトされている。また、最近は別の坂道グループ所属で才女として知られる山崎玲奈さんなども若林氏が彼女のラジオ番組に出演し対談した関係で、若林氏の人間性に好印象を持った事が記憶にある。山崎玲奈さんが担当する番組でインタビューに答える若林氏はいかにも殊勝な態度で自身が高い人間性を持つ優しい人物であるかのような内容を語った。だが、筆者はそれを聞いて非常に強烈な違和感を持ったのである。彼が良き人間であることを示す為の自己演出をしているように聞こえたのだ。

なぜか。

若林氏が良質な人間を演じ、高い人間性を感じさせるのは、

「相手が芸能人・業界人の時だけ」

だからである。相手が芸能人ではなく一般人の場合には、若林氏は全く異なる表情を見せる。そこからは彼の一般人への「差別意識」や、自分のポジションを過剰に高位に置いた一種の「選民意識」「特権意識」がはっきり見て取れるのだ。平易に言えば、「芸能人には優しく、一般人には非情で冷たく差別的」と言えるだろう。ということになろうか。一言で言えば「偽善者」である。そこに若林氏の人間性の闇(深層心理学で言う”影”の部分。スターウォーズなら”ダークサイド”か?)を感じるのである。そうした事実があるからこその”強烈な違和感”なのである。冒頭の喩えで言うなら、「強い者」とは「芸能人・業界人」であり、「弱き者」とは「一般人」である。


オードリーがMCを担当している坂道アイドルの番組がある。その中に於いても若林氏の一般人に対する差別的な扱いが目撃されている。

その昔、日向国(ひゅうがのくに)とも呼称されていた宮崎県であるが、同じ「日向」の名前をいただく坂道グループが宮崎県内でロケをした回があった。宮崎県の厚意に依る招待があったからである。番組の中でも宮崎県知事が登場して若林氏と言葉を交わす場面があったのだが、この時の若林氏の態度が酷かった。初対面であり、立場も年齢も上である宮崎県知事に対して若林氏はなんとタメ口をきいたのである。タメ口とは相手を対等な存在として扱った話し方であり、普通は親しい人間同士での言葉遣いとされるものだ。若林氏の非常識と無礼に喫驚し呆れ返ったものである。礼儀の基本もなっていないのでは社会人として論外だ。


それより以前の回でも若林氏の非常識は炸裂していた。坂道グループの番組ではよくあることだが、クイズや何かのチャレンジに失敗した時に罰ゲームとして「足の指圧をしてもらって、その激痛に耐える」、というものがある。番組のとある回に指圧師(中年男性・一般人)が出演した。メンバーが何かのチャレンジに失敗した時に罰ゲームとしてその指圧師から激しい指圧(但し指圧自体は正規の内容)を受ける為である。MCの若林氏は所々に笑いを散りばめながら番組を進行させていったのだが、ある時、指圧師の男性とのやりとりの中でツッコミポイントを発見した若林氏は、その瞬間に持っていたバインダー(番組進行が記された文書が入っている)で思い切り指圧師の頭を叩いた(殴った)のである。バインダーは恐らく硬めの素材で作られており、従ってこれで思い切り叩かれたらかなり痛いであろう事は容易に想像できた。これを目撃した時も喫驚し唖然とした。芸人同士ならともかく、指圧師は一般の人であり、当然ながらいじられたり暴力を受ける事など想定していないだろう。若林氏のあまりにも非常識で無礼が過ぎる振る舞い、そして平然と振るわれた暴力に喫驚し強い憤りを感じた。


また、別の回では「オードリー・春日氏とメンバーが缶蹴りで対戦する」、という他愛もない企画が催された。ゲームが進行するにつれて春日氏が次々にメンバーを見つけていくことで缶を蹴る人数が少しずつ減っていき、ついに最後の一人というところまできた。それ以外のメンバーは容易に発見できた春日氏も最後の一人だけは見つけられないのであった。どうしてか。実は缶蹴りが始まった直後から最後の一人は番組制作スタッフの制服を着用して、大勢いるスタジオ内のスタッフ達の中に溶け込んでいたのである。最後の一人が見つからずに困惑している春日氏が他のメンバーに促されてスタジオ裏の方を探しに行こうとしたその瞬間に最後の一人がスタッフ連の中から飛び出してきて見事に缶を蹴ることができて勝負はついたのであった。

問題はここからである。

最後の一人が缶を蹴ることに成功した興奮が冷めやらぬままゲームは終了したが、その後に見届人だった若林氏はこんな感想を述べた。

「彼女(最後の一人)がこっちから走って、あれは俺も気づかなくてビックリした。ほんと、ヤバイ音声さんが入ってきちゃったのかと思った。(缶蹴りが)楽しそうでテンション上がっちゃって、あ、ヤバイ!ヤバイ!ヤバイ!と思った」

この発言には明らかに棘がある。
「ヤバイ音声さんが入ってきちゃった」というのはすなわち「一般人である音声スタッフが演者の楽しそうな様子を見て、立場も弁えずにステージに乱入した」という趣旨で言っているのであり、スタッフ(一般人)を馬鹿にしている言葉と言えよう。まず、音声スタッフは音声の仕事を放り出して番組に乱入する筈がない。技術スタッフは職務に忠実であり、若林氏が言うようなふざけた人間はいない。

これは対象がスタッフ(一般人)であり、若林氏から見て「自分たち芸能人よりも下の人間だから番組進行中に自分たちと同じフィールドに立つなどあってはならない」という意識が前提になっている。(*1) ここにも若林氏の一般人に対する差別意識と自分が芸能人であり上級の立場であることの選民意識が垣間見られる点で看過できない発言と言えよう。


また、若林氏は自身のラジオ番組(オードリーの冠番組)に於いて一般人を「素人」と呼んで差別している事を認める発言をしている。「ちょっときつい言い方だけど」と前置きした上で、一般人を「素人」と呼んだのである。「素人」は差別語である。芸能人を目指す一般人を「素人」と呼ぶ分にはまだ理にかなっていると言えるが、市井の普通の一般人を「素人」呼ばわりするのは許されることではない。明らかに差別感情が感じ取れるからだ。正に若林氏自身が選民意識を持っており、一般人を見下していることの証左と言えよう。(*2)


若林氏の一般人に対する差別意識について、筆者が記憶しているものだけでもすぐにこれだけ思い出せるのだ。恐らく彼は他の様々なシーンでも(一般人に対して)数多の無礼を働いているであろうことは容易に想像できる、というものである。


若林氏は同業の芸能人に対してはこうした失礼な態度はおくびにも出さないので、「芸能人は彼の実像を知らない」ということになる。繰り返すが、若林氏は芸能人に対しては良い面しか見せないように振る舞い、自分を「良い人」として演出する一方で、一般人に対しては非常識極まりない態度で接し何の躊躇もなく無礼な言動・行動をする。これは厳然たる事実である。

芸能人、特に相手が若い女性アイドルならばますます自分の暗闇は見せずに良い顔だけを見せるようにしている・・・「良い人」を演じているのであり、その傾向が強いと推察されるところだ。彼の一面しか見ていない坂道アイドルたちが彼の正体(或いはもう一つの実像)に気づかない訳である。(*3) こうした彼の心理傾向は客観的に見て非常に嫌味なものを感じる。「同業者には優しく一般人には厳しい」…思い上がった人間の嫌らしさがここにある。このような若林氏の人間性に強烈な違和感しか持てない。

なにしろ、若林氏がどのようなつもりでやっていようと、客観的に彼の立ち居振る舞いを見ていて(聞いていて)憤りを感じ不愉快な思いをさせられているのは厳然たる事実なのである。ざっくり言えば、他人を本気で見下し馬鹿にする事が彼の笑いのベースになっているような印象があるのだ。

そのような若林正恭氏だが、彼の一般人に対する差別意識と己の選民意識は彼の人格の中心を成しているものと思われるし、それは彼の目つきや顔つきにも現れているように思われるのである。(*4)



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(*1)
これがある意味で若林氏の限界かもしれない。例えばタモリ氏の場合だったらどうだろう。もし本当に技術さんが飛び出してきたのならばそれを「面白いことの勃発」として捉えるだろう。だが、若林氏は一般人を見下しており、「芸能人と同じステージに一般人が入って来るのはあってはならない事」という前提で事象を見ている。だから「やばい音声さん」と言って侮辱的な言葉を発したのである。面白いことへの即応性が無い、という点で、若林氏にはタモリ氏にはあるジャズ的なセンスが皆無であることがこれでよくわかる。

(*2)
一般人を「素人」と呼んで蔑む一方で、若林氏もまた芸能や彼が好むスポーツ以外の分野では紛れもなく「素人」なのだが、そこを謙虚に自覚することはないようである。

(*3)
仮に気づいたとしても、オードリーは彼女たちよりもはるかに先輩であり、同じ番組に出演する先輩として配慮し忖度するだろう。政治的な配慮である。

(*4)
若林氏の笑い声にも同様の不快感がある。それは、例えば演劇やドラマ・アニメなどに於ける「卑怯で卑屈なキャラクターの笑い声」のように下品で耳障りな声質なのである。あの卑しい笑い声を聞くと生理的嫌悪感が湧いてくるほどだ。






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<2022年10月15日:追記>
10月14日に島田紳助氏の発言を発信するボットが若林氏の発言とするものを紹介した。
若林氏の発言「他人への否定的な目線は、後で必ず自分に返ってきて、人生の楽しみを奪う」
深い発言のように見えて、これは自分が芸能界で生き残る為の(利己的な)指針でしかない、ように見えるものだ。当ブログ記事本文に記したように、若林氏は芸能人相手の時だけ殊勝な態度になるからである。彼が本当にこのポリシーを体現しているのなら、若林氏の一般人に対する失礼極まりない態度の説明はつかない。相手が芸能人と一般人で彼の態度が180度変わるのは厳然たる事実である。一般人に対してはどれほど無礼な態度を取り差別的な態度を取っても無問題とする彼の二重基準を浮き彫りにする発言と言えよう。







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