3月7日 (月)
長年の課題になっていた本類・書類などの整理を確実に実施できる見通しがようやく立った。
最近日本だけでなくアメリカでも話題を呼んでいるという近藤麻理絵「人生がときめく 片づけの魔法」を読んだことによる。
この本は、数ある「整理・整頓」「収納」の方法論とは全く違った考え方からする画期的な手法を述べており、これまで本を捨てる作業において失敗を繰り返してきた私にとってはまさに「開眼させられた」という表現がぴったりくるものであった。
「片づけは捨てることに始まる」「ものを捨てることで人生がときめく」「片づけはマインドが9割」。これは大いに納得。
具体的には「全部の本を一か所に集める」「残すものを選ぶ」「一気に捨てる」「捨てるに当たって一つ一つ手に取って判断する」「捨てる作業は儀式・祭り」。これも然り。(捨てる順序は衣類→本類→書類→小物類→思い出の品とあるが、衣類は家内の管理下にあるので除外)
ただ、著者が捨てる判断基準に置いている「ときめき」についてだけは、私はこれに違った意味合いを持たせることにした。
なぜならまだ若い女性である著者と私とでは人生の立ち位置が違うから。その持つ人生観・価値観は必ずしも同一ではないし、所持している本も当然ながら質量ともに別だろうから……。
判断基準としたのは「ときめきを感じるか」ではなく「役割が終わったかどうか」で。
ということで、床に積み上げた本の山から1冊1冊を取り出して手に取って判断するに当たり、「もう一度読みたいか?」「未読ならこれからまだ読む気があるか?」と問いかけ、捨てるときには「これまで私の心と頭を支えてきてくれてありがとう、役割はおわりました。ご苦労様」とねぎらうことてしたのである。
これで我々世代が心のどこかで持つている「捨てる」という罪悪感から免れ、抵抗なく捨てることができすべての作業がスムーズに進められた。
未読書も少なからずあったが、これも読みたいと思って買った時の「ときめき」(この場合はときめきといっていいかも)がその本の役割だったのであり、今はその役割を終えたのだと考えることにしたのである。
その代表格が木下杢太全集だった。書棚二段にぎっしり収まっていた立派なケース入りのこの本は、当地に住み着いたとき伊東市出身の文学者だからと買い揃えたものであったが、結局はその1冊の僅か数十ページを読んだだけだったのである。まさしくこの本は買った時、そして書庫に並べた時にその役割は終っていたのである。「ありがとう」と、これもさっぱり捨てられた。
捨てると決めた本はしっかり紐で梱包し玄関に並べてから車に積み込んだ。この一連の行為をいってみれば「本とのお別れの儀式」というべきか。
「長いこと有難う。これでお別れします」ということでゴミステーションの「古紙の日」に合わせて往復2回で持ち込んだ。
これで、本全部ではない。納戸にまだ残した若干の本があるし、書斎の書棚にはそれなりに整頓されちやんとおさまっている本がある。
この本たちとの対話、そしてその中での別れとなるとちょっとした難事になるだろうがなんとかやり遂げる積り。
そして、「不要なもの」ではなく「役割を終えたもの」を選別し「本との決別」が果せた後は、更には「書類」、「メディア媒体CD・DVD・ビデオ」、「文房具類」、「写真」などの小物類にまでこの考えで臨もうと考えている。
(こうした考え方の基本は、ものの整理だけでなく「高齢者の身辺整理」にまで及ぼしうるものかもしれないと、ふと思う。)