京都で定年後生活

2013年3月60歳で定年退職。

美術館と庭園めぐり、京都の四季の行事と花を綴ります。

京都苔寺 奇跡の庭

2013-10-16 06:10:56 | 京都めぐり


今回は、京都の西芳寺・苔寺について書きます。

【 西芳寺・苔寺とは 】
西芳寺は、京都市西京区松尾にある臨済宗の寺院で、一般には苔寺の通称で知られています。 奈良時代、行基菩薩の開創と伝えられる古刹で、 兵乱などで荒廃の後、1339年に夢窓国師により再建されました。
苔寺は1994年に、清水寺や金閣寺などと一緒に、ユネスコ 世界文化遺産に登録されました。

庭園は上下二段構えの造りで、上段には枯山水の庭、下段には「心」の字を描く黄金 池を中心とした池泉回遊式の庭を配置、その見事な構造は後の日本庭園に大きな 影響を与えてきました。また、足利義政が銀閣寺を建てるときに庭や建物を見本 にしたことは有名な話です。

西芳寺(苔寺)はかつては誰でも拝観できる観光寺院でしたが、1977年からは一般の拝観を中止し、往復はがきによる 事前申し込み制となりました。また拝観に際しては、写経などの宗教行事に参加する事が条件となっています。拝観料は1人3千円です。

【私の拝観感想】
以上が苔寺の説明ですが、私が訪れたのは、今から40年ほど前で、拝観制限される前でした。苔のきれいな時期に、スケッチしようと思って出かけました。見事な苔に圧倒された記憶が鮮明に残っていました。しかし、多くの拝観客で、苔が少し荒れていた印象もありました。
現在は拝観制限の上、3千円では、誰でも気軽に拝観できません。是非、多くの人に苔寺の美しさを知ってもらいたいと思っていましたら、以前、NHKで 『奇跡の庭 京都苔寺』として放送されました。

番組は、苔寺の美しさがどのようにして作られたのか、その秘密に迫るという上質なものでした。一年にも渡る取材で、360度苔に囲まれて歩く池泉回遊式庭園と、苔寺を象徴するシラガゴ ケなどを紹介していました。

NHKで『奇跡の庭 京都苔寺』




苔寺は京都市の西部に位置し、近くの桂川を上がれば、夢窓国師が同じく作庭した天龍寺の曹源池庭園があります。




再建した夢窓国師




苔寺の全体写真(上空)




まずは、苔寺の美しさを御覧いただきましょう。
入り口入ったところです。




















苔の美しさを御覧ください。





















苔寺の住職は、苔寺全体が大きな生命体であると言います。




現在の苔寺は以上のようにとても苔の美しいお寺ですが、創建当時は現在と全く違った庭園であったそいうです。




それでは、創建時代の再現模様を御覧下さい。
現在苔寺とは、ちょっと想像がつきません。












銀閣寺を作った足利義政が参考にしたと言われる、瑠璃殿があります。




参考 現在の銀閣寺観音堂(今年5月撮影)




瑠璃殿から眺める四季折々の景色は見事だったことでしょう。
しかし、この景色も一旦失われる運命にあります。








苔寺の創建当時は、現在の苔寺とは全く違ったものでしたが、応仁の乱により建物のほとんどが焼失してしまいます。そして度重なる災害にも見舞われ、寺は荒廃しました。
そんなこの場所に、 人々のかわりにやってきたのが苔です。数百年という長い年月をかけ、あらゆるものが苔に覆われた空間となったのです。
苔寺の由来となった苔の生育に適した地であったことが、その後の調査で明らかになりました。苔寺の湿度は常に95%以上、川の曲がり角にあって湿気がたまりやすいのだといいいます。


10月、西芳寺では境内の竹を使ってほうき作りが行われます。境内の落ち葉をはくために1年間に60本を作るそうです。 繊細な毛先のほうきで落ち葉を掃き清め、コケの生育を助けていると言います。

人の関わりで苔は美しく生育していきます。





西芳寺では落ち葉掃きが「禅の修行」としても行われています。住職・藤田秀岳さんの落ち葉掃きとコメントを紹介します。

















11月、西芳寺の苔から蒸発する水分が、寒暖の差の大きさから目に見えるようになるそうです。秋の紅葉に包まれた庭を御覧下さい。

西芳寺の境内から、散りゆく紅葉の幻想的な風景





















12月初雪が降りました。




以上です。
多くの画像でお疲れさまでした。少しは苔寺の雰囲気を感じていただけたら幸いです。

追記
京都には苔の美しいところがいくつもありますが、苔が美しくなる6月以降は観光シーズンではないため、見逃しておられる方も多いと思います。
三千院(大原)、祇王寺(嵯峨野)などの苔も素晴らしいです。手軽なところで、私が好きなのは智積院の釣り鐘の周辺のスギゴケも気に入っています。無料です。
















団塊スタイル『昭和30年代の暮らし』

2013-10-15 06:20:59 | 団塊スタイル


今回の団塊スタイルは、昭和30年代の暮らしというタイトルでした。
私は団塊世代より少し後の世代で、昭和30年代は私の幼少、小学生6年までです。自分が60歳代に突入した今、無性に懐かしさを覚えるのが、子どもの頃の住んでいた地域や野山、遊び友達などです。
私の子どもの頃を思い浮かべながら番組を見ました。


今、全国で昭和の暮らしのよさを見直そうとする動きが広がっているそうです。
団塊の世代が、子供の頃を過ごした昭和30年代の暮らしのよさを今に伝えようという動きがあります。
故郷で、当時の生活雑貨を集めて資料館をつくる男性や、昭和の商店街をミニチュアハウスで再現する女性がいます。そこには、物を大切にし、家族や近所の人たちと和気あいあいと過ごした活気あふれる日々の思い出がありました。昭和の暮らしを実践する、30代の主婦の生活も紹介しながら、昭和の暮らしのよさについて考えるという番組でした。

岩手県宮古市の山あいの木造校舎
ここは5年前から昭和の学校として公開されています。









人気の秘密は、昭和30年代の商店街をそのまま再現しているところ。
おもちゃ屋、ブロマイド屋、レコード屋、パーマ屋さんなど30店舗が並んでいます。

観光客は「懐かしいのに新鮮」、「昭和で育ったのが長いので、こういう所にくるとうれしい」などの感想。

















NPO法人いわて・ふるさと倶楽部代表照井正勝さん(64歳)
まちおこしのために法人立ち上げこの資料館を運営しています。




照井さんは、「昭和30年代は、貧乏だけど希望だけはありました」、「もう一度原点を思いだしたい」と言います。


今、団塊世代が古きよき物を求めているのは、そういうものを壊してきた、忘れてきた反省でもあるのではと言う、司会者。


ミニチュアハウスを作った春菜和子さん(67歳)
商店街で育ったが、今はすべてなくなってしまった。淋しい。
孫に話してもぴんとこない。小さいものなら再現すればわかりやすいと思いつくったそうです。
それにしても、よくできた作品です。私も自分が住んでいた当時の町並みを思いだし、懐かしさいっぱいです。





















西岸良平のロングセラー・コミック を映画化した「ALWAYS3丁目の夕日」が公開されたのは200 5年でした。東京タワーの建築が進む 昭和33年の東京が舞台で、貧しくも夢と希望に満ち溢れていた市井の 人々の悲喜劇を描いた作品は、 多くの人々の琴線に触れ大ヒットし ました。 舞台は昭和34年です。
高度経済成長が始まり、従来の生活が大きく変わろうとする時代でした。
映画のように、自分の生活に余裕のある人間はいないのに、困っている人間が周りにいると、手を差し伸べることが当たり前だった、他人を思いやれた時代であったと思います。
一方では、貧しさから一生懸命這い上がろうとした結果、さまざまな社会問題も生みはじめ、私たちの生き方も何か、どこかに置き去りにしてきた昭和30年代だったのではないでしょうか。




まさかの桜咲く

2013-10-14 06:14:40 | 京都めぐり


10月12日土曜日の京都新聞に、まさかの写真と記事がでて、仰天しました。
この時期に桜の開花など、今まで聞いたことがありません。
場所は山科区の琵琶湖疎水で、京都の桜の名所地のひとつです。
この間、京都は暑くて10月とは思えない気候が続いておりました。
桜も勘違いしたようです。
めったにないことなので、新聞の写真と記事を紹介します。もしかしたら、皆さまのところでも、珍現象が起きているかもしれませんね。





『季節外れの暑さが続く中、京都市山 科区四ノ宮の琵琶湖疏水沿いの桜並木 で、春に咲く桜がほころぶ「返り咲 き」の現象が起きている。京都府立植 物園は「台風18号の通過に加え、高 温が続いたこともあり、返り咲きしやすい条件がそろっている」という。
京都市内では11日、最高気温が3 0・1度まで上がった。10月に入り 真夏日は5日目で、最多記録を更新し た。京田辺市では10月としては観測史上最高の32・0度を記録した。
「返り咲き」は、開花を抑制する葉が落ちた後に気温が上昇すると、夏にできた花 芽が開花する現象。琵琶湖疏水付近では、落葉したソメイヨシノとみられる数本の桜 の枝先に淡いピンク色の花がちらほらと咲き、道行く人の目を楽しませている』。京都新聞記事

追記

そんなことを書いていたら、産経ネットで東京でも桜咲くの記事と写真が。




『季節外れの暑さが続き、花を咲かせた新川沿いのサクラ=12日午後、東京都江戸川区
3連休初日の12日、関東地方を中心に青空が広がり、季節外れの暑さが続いた。東京都心(大手 町)では午後1時すぎに最高気温31・3度を記録。11日に98年ぶりに更新したばかりの、観 測史上最も遅い都心の真夏日記録をさらに塗り替えた』と。









安野光雅『雲中一雁』

2013-10-13 07:16:54 | 美術・博物館

安野光雅は大好きな画家で、近場での展示会には必ず足を運びます。最近では、昨年ですが、高島屋京都で『 安野光雅洛中洛外展 』がありましたので、行ってきました。
定年退職後にブログをはじめ、好きな美術について稚拙な配信を行ってきましたが、安野光雅について、いつかブログに書きたいと思っていました。
以前、日曜美術館 『安野光雅』 「雲中一雁」の旅がアンコール放送されました。好きな番組なので紹介します。




今年86歳になる安野光雅さん(1926年3月生まれなので、現在は87歳)は、この言葉が気に入っています。「雲の中で群れに遅れたのか、はぐれたのか、一羽の雁が飛んでいく。絵描きの自分もそんなもんかなと」。「絵のある自伝(2011)」より







1968年、絵本「ふしぎなえ」でデビュー。



以来、絵画、絵本、装丁、エッセイなど、多彩 な活躍を見せる安野さん。いま、ライフワークともいえる「旅の絵本」シリーズの日本編に取り組んでいます(番組作成時点で)。世界各地を旅しながら描いた「旅の絵本」シリーズは、1977年出版の第1 巻、中部ヨーロッパ編からはじまり、イタリア、イギリス、アメリカ、中国などすでに7冊に も及びロングセラーとなっています。今回の日本編は、故郷の島根県津和野で過ごした子どもの ころの風景です。田植え、草取り、刈り入れなどの農作業、美しい日本の四季や祭りなど、 普通の日本人の暮らしの物語です。

番組は安野さんの創造の原点、ふるさと津和野での制作に密着します。ペンによる下絵から始まり、彩色、 完成までをじっくりとドキュメントします。安野さん自身による「絵のある自伝」の朗読、旅をとも にした司馬遼太郎とのエピソードなどを交え、 「旅の絵本日本編」に寄せる思い、創作の真髄にせまるというものです。

安野光雅



故郷に2001年オープンした 安野光雅美術館、絵本、画集、原画など3500点が収蔵されています。




ライフワーク旅の絵本シリーズ、これまで7冊出版されました。




中部ヨーロッパ編
















旅の絵本 イタリア編













旅の絵本イギリス編








旅の絵本 アメリカ編
















ふしぎなえ












あいうえおの本













これまで世に送り出した膨大な作品



新境地を開いた『絵本平家物語』



祇園精舎



那須与一




文覚被流



女院死去





司馬遼太郎と街道を行くの取材旅行




濃尾参州記 有松



桶狭間 長福寺



高月院



司馬遼太郎死後、遺品をいただいた靴



旅の絵本 スペイン編



旅の絵本 デンマーク編



旅の絵本中国編



初めて東洋を書く
















旅の絵本日本編の作業に取りかかる



日本編













旅の絵本日本編は、今年5月発売されました。





長い画像にお付き合いいただきありがとうございます。













地球ドラマチック『空飛ぶ車を作れ』

2013-10-12 06:23:42 | 科学・宇宙・歴史

先日放送された、NHK地球ドラマチック「“空飛ぶ車”を作れ!」 は、楽しい番組でした。
2013年、アメリカの制作です。自動車大国らしい番組だと思いました。




道路が渋滞している時、車ごと空を飛べたらと思う人は多いはずです。
私も、大型連休の高速道路の渋滞表示をみるだけで、イライラします。そんなとき、ふと、乗っている車が空を飛べたらなと、夢みたいなことを考えたくなります。




そんな夢を実現させようと取り組む人々がいます。これまでに実に2000種類の空飛ぶ車が設計され、その開発の最前線を追うというものです。
空飛ぶ車の開発の主な舞台はアメリカです。この100年、多くの人がさまざまな空陸両用車の開発に挑戦してきました。その数300種類といいます。しかし、どれも実用化にはいたりませんでした。
車と飛行機 の機能を両立させることは技術的に難しく、安全性の問題から開発を断念するケースも多いといいます。近年、改良を重ねた末に商業生産が始められ、70台の注文が集まった車もあるそうです。
能書きはさておき、最新の空飛ぶ車を御覧いただきましょう。

軽量かつ空も飛べる自動車マーヴェリック

マーヴェリックは空飛ぶパラシュート付き自動車




マーヴェリック開発者




マーヴェリック開発者は、空飛ぶ自動車は頑丈で、手入れがしやすく、価格も手頃でなくてはいけないと言います。
現在の生産コストは約900万円ですが、年間100台の生産になれば、600万円を切れるといいます。

そして、空飛ぶ自動車は娯楽目的だけではなく、ジャングルなど飛行機が唯一交通手段のところはまだまだあり、そこに必要な医療を届けるには、飛行機だけでは不十分だと言います。

マーヴェリックは、空を飛ぶときには、平地で時速65キロに加速し、飛行モードのボタンを押します。すると浮力が生じ、自動的に離陸します。空中での最高時速は65キロで、アクセルを踏めば上昇、緩めれば下降する仕組みだそうです。
機体とはパラシュートはコンピューターで制御され、操縦者の負担が軽減されているそうで、普通の人が運転操縦できると言いますから驚きです。
地上に降りれば、パラシュートを収納し、走行モードに切り替えると、あとは普通車と変わらないそうです。地上の最高時速は160キロ、技術面ではほぼ完成したと言います。
問題はいかに生産を増やし、コストを下げるかだそうです。
しかし、まだ課題もあり、一番の問題は風が強いときは飛行できないことです。これは小型飛行機も一緒ですが、もうひとつは、大きなパラシュートで、都会で大きなパラシュートが行き交えば大混乱します。


離陸するマーヴェリック





着陸後は普通の車として走行



最高時速160キロ



一般市街地走行





マーヴェリック以外にも、ガレージに収納できる
折りたたみ式翼の車トランジションが2010年に発売されました。
翼を折りたたみ、30秒で離陸することができるそうです。











現在のところトランジョンの価格は2000万円だそうです。まだ一般向けではなさそうですね。





上記以外にも、エアロカーというのもあります。
普通の小型飛行機のように離陸して飛行し、着陸後は、車の後部に翼を格納して、地上を走るというものです。








未来の空飛ぶ自動車です。




一方、アメリカでは、空飛ぶ自動車が今後増えることが予想されるため、空の安全を守るための取り組みも始まっているそうです。

そのひとつが、空で空飛ぶ自動車がぶつかりあわないための、触覚フィードバック装置の開発です。




さらには、自動車ナビの空中版とも言うべき、「空のトンネル」空中ナビゲーション装置の開発も進んでいます。






そして、今後空飛ぶ自動車が増えることが予想されるため、次世代の管制システムの研究も行われ、2020年、東京オリンピックまでの完成をめざしているそうです。

狭い国土で、役所の規制が厳しい日本では開発や研究も進んでいないかもしれませんね。




『ミケランジェロ』アートシーン

2013-10-11 06:18:15 | 美術・博物館

毎週日曜日放送されているNHK日曜美術館ですが、番組後半に15分の「アートシーン」があります。これは、全国で開催されている、おすすめの展覧会情報を凝縮して紹介しています。
近場の展覧会であれば、事前に目を遠し、鑑賞するのも一考ですが、私は遠くて行けない場合は、ほとんどアートシーンはスルーしていました。
先日の日曜美術館アートシーンは、現在東京西洋美術館で開催されている 『ミケランジェロ展ー天才の軌跡』 でした。私の好きなミケランジェロが取り上げられていましたので、日曜美術館の後も引き続き番組を見ました。素描中心の案内でしたが、ミケランジェロの作品を楽しむ上では、面白い展示会だと思いました。

よく知られているように、ミケランジェロ(1475ー 1564)は、 存命中からすでに大芸術家として名高く、「神のごとき」と崇敬された天才です。
絵画、彫刻、建築の3分野に才能を発揮し、 建築の分野では、ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂の建築監督に任ぜられたほか、フィレンツェ の聖ロレンツォ聖堂などに重要な仕事を残しています。

私にとって初めてのミケランジェロの画集は、『リッツオーリ世界美術全集』(1974年)24巻の1巻です。それには、システイーナ礼拝堂の天井画、最後の審判、サウロの回心、聖ぺテロの磔刑などが収載されていました。リアルな人物像の迫力は圧倒的で、当時の感動は今も残っています。













今ミケランジェロ展が開催されている東京西洋美術館



今回の展示会





ミケランジェロ肖像(1535年以降制作)作品紹介
ミケランジェロは肖像に描かれることを嫌いました。 しかし幾つかの原型が繰り返し模写され、その似姿は現代にま で伝わっています。 本作は、ヤコピーノ・デル・ポンテ原作の 肖像画に基づく16世 紀の模写です。 こけた頬に顎鬚・口髭を生やし、眉間に皺を寄せたその顔は、 華美を排し孤独な思索を好んだ大芸術家の内面をも良く表して いるようです。




作品紹介
ミケランジェロはヴァチカン宮殿のシスティーナ礼拝堂に、「創世記」の場面を中心とする 天井画 (1508‐12年)と、祭壇正面壁面の《最後の審判》(1536-41年)を描きました。 ルネサンス美術の二大モニュメントたるこれらの壁画がどのようにして生まれたのか、準備 素描を 辿りながらその創造の秘密に迫ります。

以下の素描は、システイーナ礼拝堂の天井画を描くための素描です。




















システイーナ礼拝堂の天井画です。










レダの頭部習作(1530年頃制作)解説
ミケランジェロの素描の傑作として名高い一枚。 フェラーラ公の求めに応じて描いたテンペラ画《レダと白鳥》 (紛失)のレダの顔の準備素描。頬や耳などの最も繊細な部分 は、 ミケランジェロ本人が指で線をぼかしたとも、チョークを 濡らして描いたとも考えられます。 レダは女性ですが、ミケランジェロはここで男性モデルを用いています。










最後の審判のための習作(1533ー34)作品紹介
システィーナ礼拝堂の《最後の審判》全体図の初期構想を示す 唯一の下絵素描。 右手を掲げた神を中心に、天に召された人々と地獄に落ちる 人々がダイナミックに組み合わされています。

最後の審判のための習作です。








有名な最後の審判です。








階段の聖母(1490年頃制作)解説 ミケランジェロの最初期の作品の一つで、15歳のころ制作され た若き天才による傑作。 ルネサンス彫刻の創始者
ドナテッロが得意とした浅浮彫(スティ アッチャート)技法が用いられています。 マリアの全身を極めて立体的に彫出し、力強い存在感を与えて いる点に、ミケランジェロの彫刻の特質が既にはっきりと現れ ています。



キリストの磔刑(1563年頃制作)解説
ミケランジェロの死の直前に制作されたと考えられる小型の木 彫作品。 甥レオナルドに 贈るために制作されたとも、より大きな木彫像 の準備作として作られたとも考えられます。 未完成であるかのように、人体を一つのマッス(量塊)として 表す手法は、《ロンダニーニのピエタ》などにも見られる、晩 年の人体像の特徴です。




参考

私の住んでいる京都に、京都府立植物園に隣接している京都陶板名画の庭というのがあります。 ミケランジェロの最後の審判をほぼ原寸大で陶板で作製したものです。
これも迫力があります。
写真一枚には収まりきれませんでしたので、悪しからず。









『キュリオステイ、火星は灰色だった? 火星生命と人類移住計画』

2013-10-10 06:25:14 | 科学・宇宙・歴史

先日のNHKEテレ サイエンスZERO『火星は灰色だった ? 火星生命と人類移住計画 』は大変面白い番組でした。私はこういう宇宙ものが好きです。
アメリカの天文学者カールセーガンが監修し、1980年に放送された「コスモス」は興奮して見ました。「コスモス」から33年経ち、火星に探査機が送り込まれる時代になりました。感慨深いものがあります。

地球から見える火星




表面は赤い火星ですが、地表の数センチ下は灰色だった。 赤いのはサビによるもの。
灰色の火星を発見したのが、キュリオステイ






2012年8月、火星探査機が打ち上げられ、無事着陸成功します。




喜ぶNANAの職員たち




キュリオステイが撮影した火星の映像。これを見たときは、私も興奮しました。












かつて火星の湖の跡だった痕跡





ここで、キュリオステイのドリルで地表に穴をあけると、灰色の岩の削りくずがでてきた。それをキュリオステイの分析機で分析し、地球に送信。





結果、火星は生命を育みうる環境であったことがわかったとNANAが会見。






生命存在 の条件である有機物の存在も確認





更なる生命存在の痕跡を求め、今キュリオステイが調査にむかっているシャープ山。
ただし、キュリオステイの時速は90メートルで、年明けぐらいには着けるのではと言われています。









アメリカオバマ大統領は、2030年半ばまでに、火星軌道に人類を送り込み、安全に地球に帰還させ、その後着陸をめざすと計画を発表する。






現在の火星の表面温度はマイナス55度。人類が住める環境ではありません。
ならば、火星を地球に似た環境に作れないかと、科学者たちが考えたのは、火星改造計画テラフォーミング。






火星を生命に適した環境に戻すには、分厚い大気が必要であり、そのためには、火星の大気に温室効果ガスを入れるというものです。
そのために、火星に工場を建設し、フロンガスを発生させ、それで火星表面の温度を上げ、火星のドライアイスを溶かし、大量の二酸化炭素を発生させる。
その結果、一段と気温が上昇し、火星の地下に存在する大量の氷が溶け、水になる。二酸化炭素とフロンガスの大気で水は、蒸発することなく、火星の表面に留まるということです。







水はやがて大河となり、光合成によって植物が生きられる環境になり、植物の光合成によって大気中の二酸化炭素が酸素に変えていくと言います。

こうやって、人間が住みやすい環境に変わっていくそうです。これが火星改造計画というわけです。




見終わり、火星改造は夢みたいな話だなあと思いながら、いつかそんな時代がくるかもしれないと一人興奮しています。



夢の扉『唾液から癌発見、うつ病にも活用』

2013-10-09 06:33:42 | 科学・宇宙・歴史


私は毎週、夢の扉を楽しみにしています。現在の最新研究を探究する方々の姿を見て驚き、ときに感激しています。
10月6日放送の夢の扉は、ずいぶん長めの題ですが、『唾液からがん発見。一滴の血液から肝臓疾患を判定。生命科学に革命を起こす、分析技術』というもので、 ドリームメーカーは、慶應義塾大学 先端生命科学研究所の冨田勝所長です。

富田所長



へえ、すごいなあというのが第一印象ですが、お話は、症状が出にくい病気を早期発見できる、画期的な 診断法が生まれ、 唾液に含まれる成分を検査するだけで、癌を発し、さらに、わずか一滴の血液から、肝臓癌など9種類の肝臓の病気も短時間で判定できるという驚くべき内容です。
私にはどういう解析技術なのか、いまひとつわかりませんでしたが、、、。

日本人の癌による死亡数




メタボローム解析技術で癌を判別するという。



















そんな驚きの成分分析法、 『メタボローム解析技 術』を開発したのは、 慶應義塾大学の冨田さんが統括する研究グループ です。





冨田さんたちは、唾液や血液、尿などから、代謝物を 一度に数百種類も分析することを 世界に先駆けて可能にし、病気ごとに代謝物の種類、濃度が異なることを突き止めました。
唾液からは、すい臓癌、乳癌、 口腔癌を高い精度で見分けられると言います。

また驚いたのは、うつ病の診断にも活用できるというのです。

うつの程度で濃度が変化する代謝物の測定で、うつの程度を測るというものです。








一定の評価をしている精神科医。会話が成立しない患者さんの場合でも、血液検査である程度の目安として、病状がわかる利点があるという。




うつ病患者も測定値を前向きにとらえていました。
血液検査で数値が出ることで、あなたはこれくらいの度合いだからと、薬の量を調節してもらえると前向きです。



他の人に自分のうつの程度を客観的に教えることができるメリットがあると言います。




また、農業技術にも応用できると言いますから、驚きです。




富田さんは、 山形県鶴岡市にゼロからつくった研究所で、最先端の研究が始めました。
現在、メタボローム解析技術を駆使して、 次世代を見据えた挑戦に乗り出しています。
それは、鶴岡市民1万人を巻き込んだ“未来の健康 調査”とも言うべきものです。

3年毎に血液、尿の検査を行い、25年間追跡調査するといいます。




そして、高校生がノーベル賞級の研究者を目指す 前代未聞のプロジェクトも取り組んでいます。

全国からサイエンスに興味のある高校生を集め、研究を競うそうです。富田所長はこのなかから、未来のノーベル賞受賞者がでることを期待していました。




非アルコール性脂肪肝、ナッシュの研究をする鶴岡の現役高校生



富田所長は、鶴岡を世界が注目するサイエンス都市にするという夢ももっています。








高村光太郎の父、高村光雲

2013-10-08 06:29:02 | 美術・博物館

今日は、高村光太郎の父、高村光雲について書きます。
ところで、最近の私のブログは、外出記事がほとんどないことにお気づきの方もおられると思います。実はよんどころなく、療養中でありまして、医師から外出が制限されております。本来なら、気候のよい10月のこの時期、京都のあちこちに出歩きたいのですが、遺憾とも仕方ありません。
回復するまで、しばらく御容赦ください。
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光雲は、江戸下谷(現・台東区)に町人兼吉の子として生まれます。文久3年(1863年)
→1852年嘉永5年生まれに訂正。
幼い頃から仏師の高村東雲の元に徒弟となり、後に東雲の姉の養子となり、高村姓となります。
明治維新以後は廃仏毀釈運動の影響で、仏師としての仕事はなく、輸出用の象牙彫刻が流行したために木彫も衰え、光雲自身の生活も苦しかったのです。そのような中で、光雲は木彫に専念、積極的に西洋美術を学び、衰退しかけていた木彫に写実主義を取 り入れることで復活させ、江戸時代までの木彫技術の伝統を近代につなげる重要な役割を果たしました。
明治22年(1889年)から東京美術学校に勤務、翌年に彫刻科教授、帝室技芸員に 任ぜられます。明治26年(1893年)には『老猿』をシカゴ万博に出品。1900年には 『山霊訶護』をパリ万博に出品。大正15年(1926年)に東京美術学校を退職し、 名誉教授となります。



ここまでのことは、光雲自身が書いた、 『幕末維新懐古談』で詳しくふれられています。
私は『青空文庫』で読みました。非常に面白い内容で、一気に読んでしまいました。





光雲の弟子には山崎朝雲、山本瑞雲、米原雲海、関野聖雲など近代日本彫刻を代表 する彫刻家がいました。
高村光雲の長男が、彫刻家であり、詩人でも有名な高村光太郎です。このことは、昨日のブログで書きました。

光雲と光太郎




光雲の代表作

老猿(東京国立博物館蔵) - 明治26年(1893年)
老いた猿を緻密な木彫りで表現しています。丁寧な仕上げは日本伝統の彫刻として、高く評価されたものです。













西郷隆盛像(上野恩賜公園) 明治30年(1897年)に完成し、翌年除幕式が行われた。傍らの犬は後藤貞行の作。

(皇居前広場)




楠公像

住友家が別子銅山(愛媛県)の開坑200年を記念して東京美術学校に製作を依頼し、
光雲が製作主任となり、主に楠公(楠木正成)の頭部を担当。体部は山田鬼斎と石川光明、馬は後藤貞行、鋳造は岡崎雪聲が担当した。銅像の台座の銘板には「明治30年」
年)に完成している。





日曜美術館『高村光太郎の実像』

2013-10-07 06:29:48 | 美術・博物館

昨日、10月6日放送 (再放送10月13日夜)のNHK日曜美術館、『智恵子に捧げた彫刻 ~詩人・高村光太郎の実像~』を待ちわびるように見ました。



高村光太郎といえば、すぐにいくつかの代表作が思い浮かべれるほど、私にとっては好きな彫刻家のひとりです。

高村 光太郎は、日本の詩人・彫刻家。東京府下谷区出 身。本名は光太郎と書いて「みつたろう」と読む。
職は彫刻家・画家であったが、今日にあっては『道 程』、『智恵子抄』等の詩集が著名で、教科書にも多 く作品が掲載されているため、詩人として知られてい る。著作には評論や随筆、短歌もある。(Wikipedia)



番組は、まっすぐに天をさす人差し指、呼応するようにほかの指は内側に力強く折り込まれていきます。一 瞬の動きを見事に捉えたブロンズ彫刻『手』です。日本近代彫刻の黎明期を告げるこの作品の作者は『智恵子抄』の詩で知られる高村光太郎(1883~1956)です。

代表作 「手」







明治彫刻界の巨人・高村光雲の長男として生まれた光太郎は、将来を約束された日本彫刻界の プリンスでした。



父、光雲の代表作「老猿」



光太郎若い頃の作品「鼠」



しかし、東京美術学校・彫刻科在学中に近代彫刻の父・オーギュスト・ロダ ンの存在を知り、日本独自の近代彫刻を創造する決意します。

ロダンに強い影響を受ける光太郎



御存じのロダンの代表作




フランス留学を経て帰国した光 太郎は先鋭的な活動をスタートさせます。

「光雲の首」




しかし、旧態依然とした日本の美術界を徹底的に批判し、どこまでも 理想を求める中で孤独を深めていくようになります。そんな光太郎を絶望の淵から救い出し、一変 させたのが妻・智恵子との出会いでした。

光太郎の運命を変える智恵子




「智恵子の純愛に接し、退廃生活から救い出され た」と語る光太郎は、以後、智恵子ともに手に手を取り合って、彫刻に打ち込み、数々の作品 を生み出していきます。

「腕」



「石榴」



「蝉」



「鯰」



しかしその幸せは長くは続きませんでした。智恵子の死、戦争、そして戦争賛美の詩人というレッ テルが貼られます。


智恵子の死後、戦争で疎開した、岩手県花巻市の山里の家に閉じこもる光太郎



そんななか、依頼を受け、製作した十和田湖畔に立つ「裸婦像」
光太郎は二人の智恵子の像を製作した。

「裸婦像」








番組全体は、さまざまな紆余曲折の中で、一生を通じて智恵子の面影とともに生きた彫刻家・高村光太郎の実像に迫っていく内容でした。

私は切り離すことはできませんが、詩人より彫刻家としての光太郎が好きです。
智恵子と光太郎については、いずれまたブログに書きたいと思います。
また、光太郎の父、光雲の彫刻は見事です。私は、光太郎に劣らずというより、光太郎より光雲が好きかもわかりません。あの生命力あふれるリアルな彫刻は絶品というしか言いようがありません。
私は、光雲 自身の『幕末維新懐古談』を読み、光雲が好きになりました。

ところで、彫刻家高村光太郎展がいま開催させています。









団塊スタイル『女性を輝かせる服装選び』を見て

2013-10-06 06:42:32 | 団塊スタイル

前回のNHK団塊スタイルは、『D,sスタイル 女性を輝かせる服装選び』というタイトルで、ファッションデザイナー 佐藤恵子さんがアドバイザーでした。



今回は女性向けの内容だなと思い、スルーするつもりでいましたが、他の番組を見る気にもならず、本に目を通しながら番組を見ていました。
今回の内容は、シニア女性のファッションアドバイザーとして活躍する、佐藤恵子さんの生き方に迫るというものです。
年を重ねても、ファッションにこだわる団塊の世代の女性たちに向け、着こなし方だけではなく、体の変化を受け入れるシニアならではの服選びを行っています。さらに、自らがモデルになり、シ ニア女性に合った服選びをメーカーに提案するなど積極的な活動も紹介されていました。

番組を見ながらふと自分のことに思いがいきました。
私は今年3月末、60歳で定年退職しました。私の働いていた会社は、いわゆるサラリーマンスタイルで、背広ネクタイを着なければいけないということはなく、比較的ラフな格好でもよかった職場でした。それでも、会社が休みのときの普段着というわけにはいかず、それなりの格好で仕事に行っていました。
本来自分の服装にあまりこだわらない私は、休みの日などは、簡単な変わり映えのしない普段着で過ごしていました。
退職後は当然、仕事に行かないわけですから、今までの会社服装はほとんど着ることがなくなりました。私のクローゼットには、現役時代のネクタイやワイシャツがいっぱいあり、退職後しばらくして、それらを整理して処分しました。
一方、退職したからといって、今までに休みの日に着ていたもの ばかりを着てというわけにも当然いきません。
60歳としての最低限の身だしなみやオシャレは必要だと思い、デパートの男性服や小物売り場に行きましたが、敷居が高くてなかなか店員さんに声をかけられません。
妻と一緒に服選びに行って、妻がこういう服がいいんじゃないと薦めるのは、どうも私の趣味に合いません。 35年も一緒にいて、私の好みがわからないのかと時々腹が立つこともあります。
少し、冒険してみたい気もあるのですが、いざ選ぶとなると決めきれません。結局、毎回変わりばえのしない商品を選んでしまいます。

おしゃれは女性だけのものではなく、男性も年齢に見あったそれなりの格好はしたいのです。しかし、私のように現職時代に服装にあまり気を使わなかったものは、いざ退職して、戸惑っています。こんなとき、佐藤さんのような、気楽に相談できる男性用アドバイザーがいれば、いいのになと思いました。





夢の扉 『イプシロン』打ち上げ成功

2013-10-05 06:24:59 | 科学・宇宙・歴史

9月29日放送の夢の扉は、たった2台のパソコンで打ち上げ可能な新型ロ ケットに世界も注目。『イプシロン』打ち上げ 成功の舞台裏という内容です。今回のドリームメーカーは、JAXA (宇宙 航空研究開発機構) イプシロンロケット プロジェクトマネー ジャーの 森田泰弘さんです。



世界初となる“人工知能”を搭載した国産ロケット 「イプシロン」が完成しました。 組み立て時から打ち上げまで、ロケット自ら点検 作業を行うセルフチェック機能を 備えたことで、設備も人員も劇的に減らすことが でき、打ち上げコストの半減を実現、 たった2台のパソコンで発射管制が可能という、ま さに“ロケット革命”とも言えるものでした。



日本が誇るその固体燃料ロケットの技術は、「世界最高性能」と言わ れるほど、高く評価されていました。 しかし2006年、 M-Vロケットの運用は、突如終了を余儀なくされます。コスト高が理由でした。75億円は高すぎると言うのです。
森田さんらは、これを 『ピンチはチャンス。これは、新しいロケットを つくれというチャンスなんだ』 と無念を胸に秘め、白紙の状態から、新たな開発に挑みました。
そして、7年の年月を経てついに、人工知能を備え た革命的ロケット「イプシロン」が誕生します。

【イプシロンロケット とM-Vロケットの比較】
ロケット製作期間イプシロン 1年以内、M-Vロケット 3年
射場作業日数 イプシロン7日 、 M-Vロケット 42日
衛星最終アクセスから打ち上げまで イプシロン3時間 、 M-Vロケット 9時間
打ち上げ費用 イプシロン30億円以下、 M-Vロケット 75億円

しかし、打ち上げまで難産が続きます。8月22日の打ち上げ予定が、信号中継装置の誤配線により延期され 、 8月27日の打ち上げ予定も、自律点検装置がロケットの姿勢異常を誤検知したため、打ち上げ19秒前 にカウントダウンが中止されてしまいます。
ロケット発射を楽しみに集まった人たちの残念な顔がテレビに映し出されます。

打ち上げに集まった人たち



イプシロンうち上がらず



悲しむ人たち





打ち上げ失敗の理由



再度点検調整を行い、運命の打ち上げ再挑戦が9月14日と決まります。
集まった人たちは前回以上です。関心の高さをうかがわせます。



9月14日、午後2時、 ニッポンの宇宙への夢を乗せた新型ロケット・イプシロンが、 鹿児島の青空に打ち上げられ、見事成功させました。






打ち上げ成功に喜ぶ人たち








番組は、イプシロン打ち上げまでの過程と舞台裏を独占密着します。 『宇宙を身近に』と 日本の宇宙開発の未来を切り開こうと突き進む森田さんと、 彼を支える鹿児島・内之浦の人々、そして迎えた 歴史的瞬間を追います。




なかなか優れた番組でした。





『光の芸術人 藤城清治 の続編』

2013-10-04 06:35:52 | 美術・博物館


2011年3月東日本大震災が発生します。この現実に、この震災を描かなければいけない。ただメルヘンを描いているだけではなく、今の起こっている時代の空気を描かねばならないと、現地に足を運び作品を完成させます。

福島原発ススキの里 2012年



復興の兆し、七ケ浜被災を描く 2011年



南三陸防災庁舎・がれきは宝石 2012年



陸前高田の奇跡の一本松 2012年



気仙沼陸に上がった共徳丸 2013年



そしてむかえた美術館をグランドオープンすることができました。


藤城清治美術館





館内の様子





魔法の森に燃える再生の炎 2013年







美術館への思いを語る藤城清治さん



こだわったステンドグラスの教会もできました。












美術館オープン日、感想を述べる藤城さん



現在藤城清治展示会が関西で開催されています。
私も体調が回復すれば是非伺うつもりです。
藤城作品は現物を見てこそ感動が広がります。










『光の芸術人 藤城清治』

2013-10-03 06:27:13 | 美術・博物館

御親切なの方から、私が藤城清治さんが好きなのを知って、藤城さんが出演される番組を紹介してくださいました。ありがたいことです。
この番組はとちぎテレビ開局15周年&藤城清治美術館開館記念特別番組で、 早速その番組を拝見させていただきました。
今年栃木の那須に完成した藤城美術館完成までのドキュメンタリーです。



89歳とは思えないほどエネルギッシュです。



藤城清治さんは1924年4月生まれの89歳の現役作家です。作品数は3万点にも及ぶそうです。
藤城さんは油絵から始めましたが、より立体的な人形劇に心酔していきます。
戦後『暮らしの手帳』に藤城さんの人形の写真や影絵が掲載され、好評をはくします。
番組で紹介された影絵を紹介します。

日の出の踊り 1953年



その後約10年間、影絵から離れ、ケロヨンと木馬座に集中します。
そしてまた影絵に戻り、その後数々の作品を発表します。

月光の響き 1981年



小さな恋の物語



つり橋はぼくのハーブ 1988年



クリスマスの鐘 1979年



ブドウ酒瓶のふしぎな旅



マボロシの鳥



銀河鉄道の夜



清水寺 2009年



みんなで手をつなごう(隣人愛)2012年



つりのこびと 1960年



夕日の樹 1999年



コスモスは詩う 2003年



森に入るときは鈴をならそう 2007年



ドリーム 2007年



作品の転機になったのは、広島の原爆ドームでした。
葛藤を重ね2005年作品を発表します。この影絵は代表作のひとつになりました。

美しくも悲しい平和への遺産 2005年



原爆ドーム以降、各地の自然や風物を描写することもライフワークのひとつになります。

足摺岬と椿のトンネル 2010年



樹齢500年蒲生の大クス癒しの祈り 2010年



博多祇園山笠 2012年



続編に続く








日曜美術館 『夭折の画家石田徹也』

2013-10-02 06:17:12 | 美術・博物館

日曜美術館 『 聖者のような芸術家になりたい 、 夭折の画家石田徹也』9月29日放送( 再放送10月6日)を見ました。

8年前、31歳の若さで夭折した画家、石田徹也(1973~2005)の作品は、これまで全国各地 で展覧会が開かれ、若者たちを中心に、大きな反響を呼び起してきました。会場の感想ノートに は、「痛いほど胸に突き刺さる」「心が吸い込まれる」「絵で救われた」など、綴られていました。
石田さんが生涯に描いた作品は200点あまり。遊園地のさびた飛行機と合体したサラ リーマン「飛べなくなった人」や、ガソリンのように牛めしを食べる「燃料補給のような食 事」、ラッシュアワーで荷物のように詰め込まれる「荷」など、現代社会に生きる人々の姿を 鋭く風刺した作品が多いのです。
今回、石田さんの創作の秘密を伝える「アイデアノート」が初めて公開 されることになりました。番組では、石田作品に衝撃を受けた人々にインタビューしながら、絵に命をささげた石田さんの人生と、その絵の秘密を読み解いていくというものです。

石田徹也さん



番組で紹介された作品を紹介します。

飛べなくなった人



囚人



社長の傘の下



トイレに逃げ込む人



健康器具



だんご虫の睡眠



燃料補給のような食事



兵士



感想ノートに綴られた感想文







コンビニエンスストアの母子像



父性



面接試験



子孫





石田さんの取材ノートに書かれた言葉



彼方



触手



リハビリ



捜索



自画像



ふたたび感想ノートに書かれた言葉







作品を見終わった私の印象は、非常に複雑です。私のなかで、作品をどう評価していいのか戸惑っています。
どの作品に登場する人物(おそらく作者自身と思われる)も無表情で、しかも感情を押し殺したような絵です。
作者の訴えるコンセプトをどうとらえたらいいのか、わからずにいます。
この作品が若い人たちに大きな感動を与えていると言う現象を、私はどう理解したらいいのかも、わかりません。しかし、どこか気になる絵です。