(伊佐和神社から出発した神輿は町内を練り歩く)
古くは伊勢白粉の産地として栄え、多くの豪商を排出した松阪市射和町で江戸時代から続いている射和祇園祭が、7月13日、14日に行われています。この祭りは射和祇園祭保存会(河合憲一会長)が主催し、射和町自治会(河合憲一会長)が協賛して行われるもので、13日の宵宮と14日の本日にかけて神輿や屋台(山車)が町内に繰り出します。私も久しぶりにこの祭りを拝見しました。
射和地区は昔、丹生鉱山から産出する水銀を原料とする伊勢軽粉(白粉)の産地として栄え、冨山家、竹川家、國分家などの豪商を排出しました。また大淀三千風や竹川竹斎などの偉人も輩出している地域です。射和の祇園祭はこの歴史あるまちで、約300年(400年とも)前の元禄時代(1688~1704)から続く伊佐和神社の神事です。平成15年(2003)に松阪市の、平成17年(2005)に三重県の無形民俗文化財に指定されました。
射和町の祇園祭は、香椎(かしい)組(上之町)、高砂組(御蔵町)、三栗(みくり)組(中之町)、八雲組(下之町)、素鵞(そが)組(裏町)、宮本組(新出町)と6つの町内に6つの組があり、各組ごとに、幟(のぼり)と大屋台1基、小屋台1基を持っています。
この中で三栗組の大屋台は安永9年(1780)~天明元年(1781)に製作され最も古く、屋台の中には三国志でおなじみの関羽(かんう)と張飛(ちょうひ)の人形が飾られています。香椎組の屋台は寛政5年(1793)に製作され、神功皇后(じんぐうこうごう)、応神天皇(おおじんてんのう)、武内宿禰(たけのうちすくね)の人形が飾られています。一方、小屋台は江戸末期のものが4基、明治7年のものが1基(宮本組)、昭和初期のものが1基(素鵞組)あります。また神輿は伊佐和神社に元禄時代に作られたものと、明治時代に更新されたものが保管されています。
(大日堂の御旅所に勢ぞろいした大小12基の屋台)
祭りは宵宮と本日の2日間にわたって行われます。宵宮の朝からそれぞれの組では幟を立て、屋台が組まれます。午後1時に各組の小屋台が國分家前の集合し、伊佐和神社まで引かれ参道に勢揃いします。
神社では祭礼が行われ、同神社の主祭神である建速須佐之男命(たてはやすさのおのみこと)を神輿に移す「御神移し」が行われ、午後2時頃神事を終え、神霊を遷した神輿2基が、まちに繰り出します。町内を練り歩き御旅所(おたびしょ)(大日堂)に納まると神饌が供えられます。夕方には、大人、子どもたちに引かれた各組の大屋台、小屋台が笛、太鼓、鉦を鳴らし、提灯を揺らしながら御旅所に集結し、大小12基の屋台が勢ぞろいして宵宮のクライマックスを迎えます。
明日の本日には午前9時から神輿、屋台が町内を練り歩きます。
忙しい中いろいろ教えていただいた河合憲一会長さん、大平勇議員さんや地元のみなさんありがとうございました。
古くは伊勢白粉の産地として栄え、多くの豪商を排出した松阪市射和町で江戸時代から続いている射和祇園祭が、7月13日、14日に行われています。この祭りは射和祇園祭保存会(河合憲一会長)が主催し、射和町自治会(河合憲一会長)が協賛して行われるもので、13日の宵宮と14日の本日にかけて神輿や屋台(山車)が町内に繰り出します。私も久しぶりにこの祭りを拝見しました。
射和地区は昔、丹生鉱山から産出する水銀を原料とする伊勢軽粉(白粉)の産地として栄え、冨山家、竹川家、國分家などの豪商を排出しました。また大淀三千風や竹川竹斎などの偉人も輩出している地域です。射和の祇園祭はこの歴史あるまちで、約300年(400年とも)前の元禄時代(1688~1704)から続く伊佐和神社の神事です。平成15年(2003)に松阪市の、平成17年(2005)に三重県の無形民俗文化財に指定されました。
射和町の祇園祭は、香椎(かしい)組(上之町)、高砂組(御蔵町)、三栗(みくり)組(中之町)、八雲組(下之町)、素鵞(そが)組(裏町)、宮本組(新出町)と6つの町内に6つの組があり、各組ごとに、幟(のぼり)と大屋台1基、小屋台1基を持っています。
この中で三栗組の大屋台は安永9年(1780)~天明元年(1781)に製作され最も古く、屋台の中には三国志でおなじみの関羽(かんう)と張飛(ちょうひ)の人形が飾られています。香椎組の屋台は寛政5年(1793)に製作され、神功皇后(じんぐうこうごう)、応神天皇(おおじんてんのう)、武内宿禰(たけのうちすくね)の人形が飾られています。一方、小屋台は江戸末期のものが4基、明治7年のものが1基(宮本組)、昭和初期のものが1基(素鵞組)あります。また神輿は伊佐和神社に元禄時代に作られたものと、明治時代に更新されたものが保管されています。
(大日堂の御旅所に勢ぞろいした大小12基の屋台)
祭りは宵宮と本日の2日間にわたって行われます。宵宮の朝からそれぞれの組では幟を立て、屋台が組まれます。午後1時に各組の小屋台が國分家前の集合し、伊佐和神社まで引かれ参道に勢揃いします。
神社では祭礼が行われ、同神社の主祭神である建速須佐之男命(たてはやすさのおのみこと)を神輿に移す「御神移し」が行われ、午後2時頃神事を終え、神霊を遷した神輿2基が、まちに繰り出します。町内を練り歩き御旅所(おたびしょ)(大日堂)に納まると神饌が供えられます。夕方には、大人、子どもたちに引かれた各組の大屋台、小屋台が笛、太鼓、鉦を鳴らし、提灯を揺らしながら御旅所に集結し、大小12基の屋台が勢ぞろいして宵宮のクライマックスを迎えます。
明日の本日には午前9時から神輿、屋台が町内を練り歩きます。
忙しい中いろいろ教えていただいた河合憲一会長さん、大平勇議員さんや地元のみなさんありがとうございました。