(水木しげるロードに妖怪のキャラクターが立ち並ぶ)
人気漫画家水木しげるさん(※1)が平成27年11月30日に亡くなりました。93歳でした。
松阪市議会の会派「市民クラブ」では、水木氏が亡くなる直前の11月18日に彼の出身地である鳥取県境港市に行政視察を行いました。境港市は中心市街地に水木しげる氏の代表作『ゲゲゲの鬼太郎』に出てくる妖怪のブロンズ像が立ち並ぶ妖怪のまちです。列車名や駅名、空港名、道路名、みやげ物まで妖怪づくしで、妖怪で売り出しているまちですが、ここに来るまでには苦労がありました。
1)境港のまちの衰退
境港市は、鳥取県の西部にあり、米子市から伸びる弓ヶ浜半島の先端部に位置します。市の面積は約28㎢、人口は約3万6千人の小さな町です。かつては日本有数の魚の水揚げを誇る港町でしたが、阪神大震災のあと、水揚げが激減し(※2)、まちは活気を失っていきました。中心市街地は衰退し、シャッターの閉まる店が多くなってきました。
2)水木しげるロードの製作
元気のなくなったまちに賑わいを取り戻すべき当時の市長が、一人の市職員にまちの活性化に取り組むよう命じました。
その職員が目をつけたのが境港出身の人気漫画家水木しげる原作の「ゲゲゲの鬼太郎」に出てくる妖怪たちです。職員は水木しげる氏と交渉して、無償で妖怪の使用を認めてもらい、妖怪の像をまちなかに立てていく計画を立てました。ところが商店街の人たちは「このすたれた町に妖怪か、町がなおすたれるではないか」と猛反対にあいました。しかし粘り強く説明して、何とか商店街の人たちに了承を得ることができました。
(JR境線は妖怪列車となっている)
妖怪の像は1基60万円(現在は100万円)もかかり、市のほうではそんなに予算を組めるわけでなく、全国に向けてスポンサーを募り、まず平成15年~平成20年にかけて16基の妖怪のブロンズ像を商店街に立てました。
この妖怪がマスコミで報じられると、観光客が訪れるようになり、毎年妖怪の像が増えていくと観光客も増えていきました。境港駅から東に続く800mの中心市街地は「水木しげるロード」として現在153体の妖怪のブロンズが立てられています。
平成22年NHKテレビで水木しげる氏をモデルとする「ゲゲゲの女房」が放映されると観光客数はピークに達し、この年だけでも370万人余の人が境港を訪れました。
3)JR境線も妖怪列車に
境港市には米子駅の0番ホームからJR境線に乗って玄関口となる境港駅に到着します。この鉄道は一時乗降客数が減少して廃止寸前であったということですが、列車の内装や外側には妖怪の絵を描がき「鬼太郎列車」や「猫むすめ列車」など妖怪列車としてよみがえりました。また駅名も妖怪の名前がつき、境港駅に着くと妖怪に迎えられ、そこから全長800mの水木しげるロードがスタートします。
4)水木しげる記念館とおさかなロード
商店街の中の妖怪の像を見学しながら、そしてみやげ物屋を覗きながら散策すると、ロードの終点には「水木しげる記念館」があります。この記念館は平成5年3月に開館しましたが、自治体が運営する観光施設としては珍しく黒字経営を続けていて、利益を市の一般会計に繰り入れています。
水木しげるロードの終点から魚のオブジェが並ぶ「おさかなロード」が新たに加わり、日本一の魚のはく製水族館「海とくらしの史料館」と共に新しい観光資源となっています。
(水木しげる記念館) (来年1月開業する11階建てホテル)
5)境港の新しい取り組み
境港は「さかなと妖怪のまち」として売り出しているように魚の美味しいまちです。私たちが以前に食べた海鮮丼や、今回食べたも海鮮定食も美味しかったです。また同僚議員が以前に境港駅前で食べたアラ炊き定食も美味しかったということです。
境港市の市街地にはこれまで観光客が宿泊するホテルはありませんでしたが今、水木しげるロード沿いに新しく11階建てのホテルが、来年1月の開業を目指して建設中で、大きな期待が寄せられています。
近年では大型クルーズ客船が寄港し外国人などの観光客が増えてきています。平成31年には新しいクルーズのターミナルが完成します。
11月30日に亡くなった漫画家水木しげる氏は、自らも妖怪のような生き方をされ、自分は120歳まで生きると言われていたということですが、さすがに年には勝てなかったようです。水木氏は戦争で片腕をなくし、漫画家になっても売れない時代が続きましたが、「ゲゲゲの鬼太郎」などがヒットして、日本を代表する漫画家になっていきました。水木しげるさんの冥福を祈ります。
※1 代表作としては『ゲゲゲの鬼太郎』のほか『悪魔くん』、『河童の三平』等がある。
※2 現在でもクロマグロ、カニの水揚げは日本一である。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(追伸)
米子駅の0番線からスタートする妖怪列車は、観光客をワクワクさせるに十分な演出でした。列車の外側も内側も妖怪があふれ、妖怪の駅名とあいまって、境港駅につく頃には、期待がいっぱいにふくらんでいくのでした。ただこの列車に乗った時、大変不愉快な出来事がありました。おそらくこの列車に乗った多くの観光客の皆さんも同じ気持ではなかったかと思います。
私たちが列車に乗ったとき、高校生(又は中学生か)と思われる学生たちの下校時と重なりました。先に乗っていた学生の中で、自分は座席に座わり、横の座席にかばんを置いて2人分を独占している者が何人かいました。電車がだんだん混んできても知らん顔、お年寄りが近寄ってきても知らん顔。私も見るに見かねて、何人かの学生に注意しました。本来なら自分は立って他の年配の客に席を譲るべきではないか。彼らに地方の若者としての純朴さは感じられなかった。私たちは観光で行ったわけではないが、多くの観光客が利用する鉄道である。観光客に気分よく旅をしてもらうためにも、地域をあげて改善に取り組んでいただきたい。
人気漫画家水木しげるさん(※1)が平成27年11月30日に亡くなりました。93歳でした。
松阪市議会の会派「市民クラブ」では、水木氏が亡くなる直前の11月18日に彼の出身地である鳥取県境港市に行政視察を行いました。境港市は中心市街地に水木しげる氏の代表作『ゲゲゲの鬼太郎』に出てくる妖怪のブロンズ像が立ち並ぶ妖怪のまちです。列車名や駅名、空港名、道路名、みやげ物まで妖怪づくしで、妖怪で売り出しているまちですが、ここに来るまでには苦労がありました。
1)境港のまちの衰退
境港市は、鳥取県の西部にあり、米子市から伸びる弓ヶ浜半島の先端部に位置します。市の面積は約28㎢、人口は約3万6千人の小さな町です。かつては日本有数の魚の水揚げを誇る港町でしたが、阪神大震災のあと、水揚げが激減し(※2)、まちは活気を失っていきました。中心市街地は衰退し、シャッターの閉まる店が多くなってきました。
2)水木しげるロードの製作
元気のなくなったまちに賑わいを取り戻すべき当時の市長が、一人の市職員にまちの活性化に取り組むよう命じました。
その職員が目をつけたのが境港出身の人気漫画家水木しげる原作の「ゲゲゲの鬼太郎」に出てくる妖怪たちです。職員は水木しげる氏と交渉して、無償で妖怪の使用を認めてもらい、妖怪の像をまちなかに立てていく計画を立てました。ところが商店街の人たちは「このすたれた町に妖怪か、町がなおすたれるではないか」と猛反対にあいました。しかし粘り強く説明して、何とか商店街の人たちに了承を得ることができました。
(JR境線は妖怪列車となっている)
妖怪の像は1基60万円(現在は100万円)もかかり、市のほうではそんなに予算を組めるわけでなく、全国に向けてスポンサーを募り、まず平成15年~平成20年にかけて16基の妖怪のブロンズ像を商店街に立てました。
この妖怪がマスコミで報じられると、観光客が訪れるようになり、毎年妖怪の像が増えていくと観光客も増えていきました。境港駅から東に続く800mの中心市街地は「水木しげるロード」として現在153体の妖怪のブロンズが立てられています。
平成22年NHKテレビで水木しげる氏をモデルとする「ゲゲゲの女房」が放映されると観光客数はピークに達し、この年だけでも370万人余の人が境港を訪れました。
3)JR境線も妖怪列車に
境港市には米子駅の0番ホームからJR境線に乗って玄関口となる境港駅に到着します。この鉄道は一時乗降客数が減少して廃止寸前であったということですが、列車の内装や外側には妖怪の絵を描がき「鬼太郎列車」や「猫むすめ列車」など妖怪列車としてよみがえりました。また駅名も妖怪の名前がつき、境港駅に着くと妖怪に迎えられ、そこから全長800mの水木しげるロードがスタートします。
4)水木しげる記念館とおさかなロード
商店街の中の妖怪の像を見学しながら、そしてみやげ物屋を覗きながら散策すると、ロードの終点には「水木しげる記念館」があります。この記念館は平成5年3月に開館しましたが、自治体が運営する観光施設としては珍しく黒字経営を続けていて、利益を市の一般会計に繰り入れています。
水木しげるロードの終点から魚のオブジェが並ぶ「おさかなロード」が新たに加わり、日本一の魚のはく製水族館「海とくらしの史料館」と共に新しい観光資源となっています。
(水木しげる記念館) (来年1月開業する11階建てホテル)
5)境港の新しい取り組み
境港は「さかなと妖怪のまち」として売り出しているように魚の美味しいまちです。私たちが以前に食べた海鮮丼や、今回食べたも海鮮定食も美味しかったです。また同僚議員が以前に境港駅前で食べたアラ炊き定食も美味しかったということです。
境港市の市街地にはこれまで観光客が宿泊するホテルはありませんでしたが今、水木しげるロード沿いに新しく11階建てのホテルが、来年1月の開業を目指して建設中で、大きな期待が寄せられています。
近年では大型クルーズ客船が寄港し外国人などの観光客が増えてきています。平成31年には新しいクルーズのターミナルが完成します。
11月30日に亡くなった漫画家水木しげる氏は、自らも妖怪のような生き方をされ、自分は120歳まで生きると言われていたということですが、さすがに年には勝てなかったようです。水木氏は戦争で片腕をなくし、漫画家になっても売れない時代が続きましたが、「ゲゲゲの鬼太郎」などがヒットして、日本を代表する漫画家になっていきました。水木しげるさんの冥福を祈ります。
※1 代表作としては『ゲゲゲの鬼太郎』のほか『悪魔くん』、『河童の三平』等がある。
※2 現在でもクロマグロ、カニの水揚げは日本一である。
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(追伸)
米子駅の0番線からスタートする妖怪列車は、観光客をワクワクさせるに十分な演出でした。列車の外側も内側も妖怪があふれ、妖怪の駅名とあいまって、境港駅につく頃には、期待がいっぱいにふくらんでいくのでした。ただこの列車に乗った時、大変不愉快な出来事がありました。おそらくこの列車に乗った多くの観光客の皆さんも同じ気持ではなかったかと思います。
私たちが列車に乗ったとき、高校生(又は中学生か)と思われる学生たちの下校時と重なりました。先に乗っていた学生の中で、自分は座席に座わり、横の座席にかばんを置いて2人分を独占している者が何人かいました。電車がだんだん混んできても知らん顔、お年寄りが近寄ってきても知らん顔。私も見るに見かねて、何人かの学生に注意しました。本来なら自分は立って他の年配の客に席を譲るべきではないか。彼らに地方の若者としての純朴さは感じられなかった。私たちは観光で行ったわけではないが、多くの観光客が利用する鉄道である。観光客に気分よく旅をしてもらうためにも、地域をあげて改善に取り組んでいただきたい。
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