(飯高地区に伝わる「祭文踊り」)
松阪市飯高地区に古くから伝わる「祭文(さいもん)踊り」が8月13日、同市飯高町七日市の飯高総合開発センターで行われました。祭文踊りはこの日行われた「ふるさと川俣夢まつり」の中で行われたもので、外はあいにくの雨のため、会場内で踊られました。
祭文踊りに詳しい地元の小林典子さんの話しでは、祭文踊りの発祥は大峰山の山伏が修行の時に錫杖と呼ばれる杖をつき、ほら貝を鳴らしながら、儀式を行う時の呪文が発展したものという言い伝えがあるということです。
山梨県や群馬県には祭文踊りの音頭だけ残っており、三重県の名張には祭文踊りという石碑が残っているが、踊りや歌が残っているのは、全国でも飯高地区だけであるということです。
飯高地区では以前はお寺や集会所など小さい規模で行われていましたが。現在は波瀬、川俣(田引)、森、宮前、下滝野、赤桶などで盆踊りとして行われています。
(速いテンポの「新祭文」元気よく踊っていました)
この日、白玉幸一(56)さんが祭文踊りの音頭をとりました。また「新祭文」としてテンポの速い歌が作られ、若い人には人気があるということです。小林典子さんは「若い人が新祭文を踊って祭文になじんでもらうのはよいが、元の祭文もきちっと伝承していきたい。できれば県の文化財に指定してほしい」と述べられていました。
松阪市飯高地区に古くから伝わる「祭文(さいもん)踊り」が8月13日、同市飯高町七日市の飯高総合開発センターで行われました。祭文踊りはこの日行われた「ふるさと川俣夢まつり」の中で行われたもので、外はあいにくの雨のため、会場内で踊られました。
祭文踊りに詳しい地元の小林典子さんの話しでは、祭文踊りの発祥は大峰山の山伏が修行の時に錫杖と呼ばれる杖をつき、ほら貝を鳴らしながら、儀式を行う時の呪文が発展したものという言い伝えがあるということです。
山梨県や群馬県には祭文踊りの音頭だけ残っており、三重県の名張には祭文踊りという石碑が残っているが、踊りや歌が残っているのは、全国でも飯高地区だけであるということです。
飯高地区では以前はお寺や集会所など小さい規模で行われていましたが。現在は波瀬、川俣(田引)、森、宮前、下滝野、赤桶などで盆踊りとして行われています。
(速いテンポの「新祭文」元気よく踊っていました)
この日、白玉幸一(56)さんが祭文踊りの音頭をとりました。また「新祭文」としてテンポの速い歌が作られ、若い人には人気があるということです。小林典子さんは「若い人が新祭文を踊って祭文になじんでもらうのはよいが、元の祭文もきちっと伝承していきたい。できれば県の文化財に指定してほしい」と述べられていました。
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