川口保 のブログ

1市民として市政を眺めつつ、社会のいろいろな出来事を取り上げています。

どこんのり開催される―岩内町

2018-02-20 06:03:27 | 日記
                 (獅子に頭を噛んでもらって健康を祈願します)

 松阪市岩内町では2月18日に古くから伝わる伝統行事の「どこんのり」が同町の瑞巌寺や同町内で行われ、私も久しぶりに見せていただきました。この神事は同町内の八柱神社に住んでいたとされるイノシシにまつわる伝説に因んで、岩内町自治会(北川正博自治会長  65戸)が主催して毎年2月の第3日曜日に行われ、五穀豊穣、子孫繁栄、厄除けなどを祈願します。

 この神事がいつ頃から始まったかは分からないということですが、神事で使われる獅子頭には「伊勢山田大セ古 大工 吉次作 使 三右衛門 元和四年 午 吉日 改 弘化元年 辰 正月吉日 塗師 松坂魚町 わんや 平兵衛」と書かれています。元和(げんな)は江戸時代最初の年号、同4年(1618)は今から約400年も前になり、この時代にすでにこの神事が行われていたとすると長い歴史があります。なおこの神事に用いられる獅子は、一本角の珍しいものです。
 以前は新暦の2月22日に行われていましたが、現在は2月の第3日曜日に行われています。また今年は瑞巌寺で行われましたが、例年は泉住寺(野田周平住職)で行われます。

 この神事の由来は、地元の「ボランティアぐるーぷ 岩内まち“人のわ„を広げる会」(現在は解散)発行の『ふるさと 岩内』という冊子には、つぎのように書かれています。
 『岩内村の八柱神社に夫婦のイノシシが住んでいて、夏は雄が山に住み餌を貯え、雌は岩内のお宮の境内に住み、神の使いをしていた。毎年、陰暦2月22日(現在は新暦)になると、神の使いの天狗に案内されて、村泉住寺で雄獅子と天狗が遊び(ドコンノリ)、やがて雄獅子が天狗の案内で岩内の鏡池で禊(水をあびる)をした。この雌雄のイノシシの年に一度の逢い引きは続いた。しかし、ある年、お宮にいる雌獅子が病気でなくなる。それとは知らず、雄獅子は毎年2月22日になるとお宮の裏の「ギッチョバ」しし塚を訪ねたという。
 この伝説を重んじて、現在も、獅子を百姓の神としてあがめられ、新暦の2月22日に、泉住寺の境内で五穀豊穣、子孫繁栄を願って獅子が舞う。(略)』

 
(獅子の中の厄男を天狗が叩いてかたちを整える)    (かたちが整ったら天狗が飛び乗る)

 岩内町内の上出地区、中出地区、東出地区が毎年交代で当番を受け持ち、その年の当番の世古から42歳の厄男が獅子になり、25歳の厄男が天狗になる。当番地区に厄男がないときは、他地区の厄男が獅子や天狗に扮します。
 朝8時ごろからこの行事が始まり、獅子の布の中に二人の厄男が入り、天狗が布の上から叩いて二人を寄せます。そして形が整ったら天狗がその上に乗ります。このとき「どこん」と乗ることから「どこんのり」と呼ばれるのではないかといわれています。このあと地区の人たちが持ち寄った五穀の入ったおひねりと、お金の入ったのし袋を盆にのせ、獅子に噛んでもらって奉納します。また子どもたちやお年寄りを始め地区の人たちは、頭を獅子の口で噛んでもらい健康を祈願します。このとき獅子頭を前にして大泣きする子どもや、逃げまどう子どももいます

 
(鏡池の堤防から与原に向かって獅子の魂を呼ぶ) (「ギッチョバ」と呼ばれるしし塚で厄を送り出す)

 この後、寺を出た獅子と天狗は、同町内の鏡池の堤防に登り、与原(松阪市与原町)の方に向かって大きな声で「おーい」と雄の獅子の魂を呼びます。次に美濃田(松阪市美濃田町)の方向かって「おーい」と呼び、獅子の魂を送ります。このあと太鼓の音と共に町内を廻り、家々から出された盆にのせられた米や豆、おひねりを獅子が噛み、奉納を受けます。そして集落のはずれにある「ギッチョバ」と呼ばれるしし塚まで行って、祀られた竹の周囲を廻り、町内の厄を送り出します。そのあと再び町内を廻わり泉住寺まで戻って祭りは終わります。
 獅子に奉献された五穀は厄男の人が炒り、粉にして三月の出合いの日に、全戸に配ばります。この粉を食すると夏病みしないといわれています。

 今回のどこんのりの見学、取材に際し、北川自治会長さんを始め、地域の皆さんにはお世話になり、ありがとうございました。
 この行事は私のブログ「松阪市内の祭り100選」に掲載してあります。
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