川口保 のブログ

1市民として市政を眺めつつ、社会のいろいろな出来事を取り上げています。

佳境に入ってきた「軍師官兵衛」

2014-11-07 19:06:14 | 日記
 NHK大河ドラマ「軍師 官兵衛」はここ数年の番組の中では大変見応えのある時代劇である。黒田官兵衛という名前は以前から聞いてはいたが、どのような人物かはこれまでほとんど知らなかった。信長、秀吉、家康という日本の歴史の中枢を相手に、際どい綱渡り状況を知力で生き抜いてきた生き様が見事に描かれている。

 織田信長はこの大河ドラマでも激しい気性で描かれており、天下を平定する直前に、家臣であった明智光秀に討たれた。長い間家臣として仕えてきた武将を、手柄を立てないとして平気で追放する、自分に反するものは徹底的に弾圧する、この様な恐怖政治により、明智光秀は精神的に追い詰められ、本能寺の変を起こすことになった。
 信長を討った明智光秀は主君殺しの謀反人となっているが、あのまま信長が天下を取っていたなら、厳しい恐怖政治が長く続き、日本は大変なことになってしまっただろう。そういう意味では日本の歴史の中で明智光秀の果たした役割は大きいと思われる。

 信長の比叡山焼き討ちは有名であるが、松阪市内の寺も信長の焼き討ちにあっている。大阿坂町の浄眼寺は信長の兵火で広大な殿堂が焼失しており、朝田町の朝田寺も信長の伊勢平定の時に焼かれている。また阿形町の寶藏寺は、信長に反抗してきた伊勢長島の一向宗が天正2年(1574)同寺に逃げ込み、織田勢により焼き討ちにあっている。また信長の大河内城攻めの時には、大河内の村も焼かれた。

 大河ドラマでは現在、官兵衛や嫡男の黒田長政らが第2陣の朝鮮出兵をしている。この戦の最中、次回の放送では豊臣秀吉が亡くなることになるだろう。このときたしか石田三成は朝鮮へ迎えの船を出さず、兵士たちは現地に置き去りにされることになる。このとき手を差し延べ、迎えの船を出したのが徳川家康である。(私の記憶が正しければ)

 官兵衛の敵役、石田三成は秀吉が天下を平定し終わる頃に頭角を表してきた。戦国時代には戦に強い猛将が重宝されてきたが、世の中が平定されてくると、会社の「総務部」にあたる役割の家臣が必要になり、光成はそのような能力に長けていた。しかしこれまでからだを張って戦を戦ってきた加藤清正や福島正則など太閤子飼いの武将達は面白くない。俺たちが異国の朝鮮で苦労して戦っているときに、大坂城でぬくぬくと過ごしていると不満がうっ積していた。それが秀吉死後の豊臣×徳川の戦いでは、多くの豊臣方の武将が徳川方につくことになっていく。

 韓国で一番嫌いな日本人は誰と聞くと、豊臣秀吉、加藤清正の名前があがってくるという。朝鮮出兵は、攻められた朝鮮にとっても迷惑なことであるが、豊臣政権にとっても豊臣の屋台骨を揺るがす無謀な戦であった。この戦によって豊臣方は、ばらばらになり、後に徳川政権が誕生することになる。
 このあと大河ドラマでは豊臣(石田三成)×徳川の戦いとなり、関ヶ原の戦い(1600年)、大阪冬の陣(1614年)、大阪夏の陣(1615年)など佳境に入ってくることになる(はずである)。