フリーアナウンサー 松原敬生の『今日のエッセイ』

思っている事、感じている事などを自由に綴ります。

家庭内恒例行事

2019-05-10 23:53:21 | Weblog

間もなく母の日です。貴方の家庭では記念行事として母の日はランクが高いですか?十年ほど前の「現代家庭の年中行事」のランキングを見ると1位は誕生日といつも変わりません。しかしそのころから、「中元、歳暮」「節分」「雛祭り」「年始まわり」などが軒並み下がっています。総じて日本古来の習俗、家族以外がからむ行事の人気が衰えつつあります。その点、自分の子供が関係する行事はますます盛んになっているようです。それも我家の独自の演出をお父さんやお母さんが演出してくれるのです。
さて、母の日は逆に子供達がお母さんに対してどんな演出をするのでしょう。
ただ実家になかなか帰れない人はこった演出は出来ないと何もしないのではなく、電話を忘れないように、それとメールで自分と孫の写真を送ってあげて下さい。


昭和は遠く

2019-05-09 22:22:11 | Weblog
令和が本格的に動き始めました。こうなると気分的にも「昭和は遠くなりにけり」ですね。私が入社したころはバブルの全盛期だったでしょうか。番組ツアーを呼掛けると、短い期間の呼掛けで、本当に多くの人々が参加してくれました。
バブルで思い出しましたが、当時のもてる男の条件は「三高」と言われました。収入、学歴、身長が高い男性を意味する造語でした。その後、時代が変化する中で、条件の変化はあったのでしょうか。十年ほど前の女性は結婚相手に求めたのは「三低」でした。低姿勢、低依存、低リスクを指していました。女性に威張らず、家事は自分でこなし、安定した職業や資格を持つ、そんな男性です。
少子化が進む令和の時代はどんな男性がもてるのでしょうかね。

自分だけのリズム

2019-05-08 23:52:59 | Weblog

私の感覚ですが、今の社会は全体の連帯感をうしなっているような気がします。まず家庭のありようが問われます。社会と距離を置いた「閉じた家族」が多くなっています。こうした閉じた家族で育てられた子供は抵抗力が弱く、摩擦の多い社会では生きづらいですからね。

携帯電話で会話したり、ヘッドフォンステレオで音楽を聴いたりしながら歩いている人々は雑踏の中にあってひとりだけリズムが違っています。もちろんそんなことに頓着がありません。それだけ他者に対する鈍感さです。

かつては学校が他人との付き合い方を教える役割りを果たしていたのですが、今はあまりうまくいってないのかも知れませんね。となると家庭内で親が子供に真似されても良いような生き方をするしかありませんね。


酒の文化

2019-05-07 23:43:30 | Weblog

今年のゴールデンウイークは十連休と長かっただけに、例年に比べて「五月病」が激しいかも知れませんね。新入社員も四月の一ヶ月でようやく慣れたのにこの休みでまた元に戻ったかも。ここで早く慣れるには上手なノミニケーションを利用することです。ところが数十年前の一気飲みブームがウソのように今の若い人はあまり酒を飲みません。まあ、それには健康志向があるようです。
日本には古代から、連綿と続く酒の文化というものがあります。酒の歴史は人類の歴史に重なっているのです。五月病の特効薬として、無理じいはいけませんが、ノミニケーションの効用を先輩たちはこの時期に教えてあげたらどうでしょう。


無視する

2019-05-06 23:54:03 | Weblog

今はあまり使われなくなったかも知れませんが、昔はいじめの種類に「しかとする」という言葉がありました。無視することを表す言葉です。この言葉は花札から生まれました。花札の10の図柄は、鹿がソッポを向いています。そこから「鹿十(しかとう)」しかとになったそうです。
会社において好き嫌いによって他人を分け隔てるならば最悪です。人を好きになるか嫌いになるか、人生にとって大きな問題です。しかしそれはしょせん人のいいところ見て惚れるか悪いところを見て非難するかの違いです。会社の文化としては、前者を根付かせることが必要です。つまり人が人を信頼することによってうまれる強さが会社組織には不可欠です。
無関心であることがかえって色んな問題が起きるのです。


子供の日

2019-05-05 23:52:03 | Weblog

「♪~柱の傷はおととしの五月五日の背比べ~♪」「♪~屋根より高い鯉のぼり~♪」
そうです。今日は子供の日です。こうした祝日がくる度に、それにふさわしい童謡、唱歌を歌ったものですが、今の子供たちは今日、こうした歌をどれだけ歌ったでしょうか?
新しい時代を迎えた今、新しいことにチャレンジするのももちろん良いですが、無くしてはいけないものを掘り起こすことはとても大切です。そのひとつが童謡、唱歌です。童謡、唱歌には美しい響きの日本語、季節感のある風土に生きてきた暮らしと知恵。親子の情感や人の思いやり、優しさそうしたものが織り成して作られています。
この歌の力こそ令和の時代には活かすべきだと思います。


挨拶

2019-05-04 23:42:31 | Weblog

病院の待ち合い室でお年寄り達が「最近、若い人が挨拶をしなくなった」とこぼしていましたが、確かにそんな気がします。そのお年寄りによると、隣近所でも互いに日頃顔見知りとわかっていても会釈しようとしない人もあるそうです。会社でも部が違うと廊下でスレ違っても挨拶しない時もあります。
私が思うに、若者たちは挨拶しなくても大丈夫だと思っているのでしょう。どれだけ損をしたか気がつかないのです。かつて武士作法のひとつに仲が悪かろうと、身分差があろうと相手と対当になって辞儀をするのです。礼儀正しさは単なる品格の良さばかりでなく相手に対する用心深さからです。つまり貴方とは敵対関係にありませんよ、という社会のルールのひとつです。


モノの寿命

2019-05-03 23:51:05 | Weblog

令和の十連休も半分が過ぎました。令和の年数が重なっていくにつれて平成に新しく作られたものが消えて行くこともあるでしょう。私達、昭和人になると当たり前のように沢山のものが消えていきました。子供の頃、別天地のように思えた蚊帳の中、その蚊帳も消えました。サッシの網戸が登場したことで選手交代しました。携帯電話の普及によって、テレフォンカードも消えましたね。
蚊帳に限らず私達の身の回りには、いつの間にか姿を消していくモノが多くあります。一体モノの寿命はどれ位でしょう。まあ、一番長いのは米や魚など。人間にとって「食」がもっとも基本的だから変わり難いのです。「創造的破壊」という変化は令和の時代にはもっと激しく
起きるかも知れませんね。


旅の楽しみ

2019-05-02 23:29:33 | Weblog

令和に元号が変わり、この十連休を大いに楽しんでいることでしょう。その楽しみのほとんどは「旅行」でしょうね。
ただ旅行と言っても旅行そのものの楽しみはそれぞれ違います。そのひとつに地名があります。地図を見て気になる地名があると想像力が膨らみ、行ってみたくなります。地名というのは風土を表しているのが本来の意義です。名古屋にも「伝馬町」とか、「水主町」などあります。名前の由来がなんとなくわかる地名です。
かつて「長者町」という地名がありましたが、区画整理などで地名が消えました。同じように平成の大合併で伝来の意味ある名前が意味のない名前が多くなりました。こうなって旅の魅力のひとつが減ってしまったのは少しばかり残念ですね。


寡黙

2019-05-01 23:55:20 | Weblog
昔々は「沈黙は金」と言いました。所謂「寡黙の美学」が通用しない世の中になりました。
かつては街頭でマイクやカメラを向けられると、戸惑ったり逃げ出したりする人が多くありました。私も経験したことがあります。昭和の45.6年頃、名古屋の地下街で日産ギャラリーに公開放送のステージがありました。始まった頃はマイクを持ってステージから降りると見にきた人はずずっと後ずさりしたものですが、慣れてくるとむしろ進んで話したがる、出たがる人が多くなりました。もちろん物怖じしないで自分の意見を述べるのはよいことです。こうした現象はテレビのバラエティー番組の影響も大きいようです。出演者のやりとりが活発なのが影響して、何でも喋ってしまうからです。