フリーアナウンサー 松原敬生の『今日のエッセイ』

思っている事、感じている事などを自由に綴ります。

銀杏

2018-11-19 23:51:58 | Weblog
秋の味覚として親しまれているのが、栗、そして柿、さらに銀杏でしょうか。特に銀杏はイチョウ並木で拾ってきて、家族で食べる人もいるでしょう。
銀杏はまずちょっとした道具で割れ目をいれて皮を剥きます。銀杏ご飯を食べる場合は量が多いのでその作業が大変です。ところでこの銀杏は一度に大量に摂取すると、嘔吐や痙攣などの中毒症状を起こす可能性があるそうです。特に小さな子供さんには気を付けていたほうがよいでしょう。
かつてスナックでちょっとした肴に「焼き銀杏」を注文した際、随分高いもんだなと思ったことがありましたが、これは食べ過ぎるなという警告だったかも知れませんね(笑)。
だからマッタケの土瓶蒸しなどに入っている2、3粒の銀杏が、ちょうど良い具合いなんでしょうね。

コスプレ

2018-11-18 23:54:37 | Weblog
ハロウィンはじめ、最近はコスプレを楽しむ人が増えています。一時期「ピーターパン症候群」と呼ぶ学説が流行りました。身体は大人なのに子供じみた言動をする人のことです。コスプレもその変化でしょうか。仮装する時は今の自分を隠して、思う存分自我を発揮できるような気がするのではないでしょうか。
かつて「昨日の自分は誰も知らない」というテーマで講演したことがありました。自分の嫌な部分を捨て去る努力をすることです。つまり「プリテンド(装う)」です。そうしているうちに、そのプリテンドが本物になっていきます。まあ、普段から自分を見つめていないと、プリテンドすら出来ませんがね。
「昨日までの自分は誰も知らない」をお題目のように唱えて、人見知りの性格を治すために積極的に話し掛けるようにして、性格を変えた例があります。

幸福

2018-11-17 23:58:34 | Weblog
寺山修司さんが「ポケットに名言を」という著書のなかで、ルナアルの言葉『幸福とは幸福を探すことである』を紹介していました。確かに幸福を探そうと思う気力は体調が充分でないと沸いてきません。体調不充分の場合は、その日その日を過ごすことで精一杯です。
いま経済的にぼやいていても、探してみようという思いがあれば、もうそこに幸福が近づいていることだと口の中で呪文のように呟いて見て下さい。平凡ながら健康でさえすれば、新しいポケモン探しと同じように何処へでも出かけて行けます。動きがとれないことこそ不幸なんではないでしょうか。

釣瓶落し

2018-11-16 23:12:51 | Weblog
北海道にようやく初雪が記録されました。日本列島にも晩秋から冬に向かって進みはじめました。
さて、秋の夕暮れは釣瓶落しと言いますが、その語源は井戸から水を組む桶、釣瓶が井戸に滑り落ちるようにあっという間に日が沈むことからです。この釣瓶落しという言葉は、そこはかない寂しさを感じるものです。さらに夕暮れ後には秋の月が待っています。もう最盛は過ぎたかも知れませんが、またまだこうこうと輝く見飽きない月が頭上を彩ります。夕暮れどきから月の夜、ともに落ち着いた静けさがあります。
子供の頃のこの季節は、アウトドアの時間が少なくなる為にどうも好きではなかったのですが、いまは、こうした落ち着いた季節が、好きになりました。それもやはり年令からくるものですかねぇ。

右脳

2018-11-15 23:24:14 | Weblog
今はほとんど言われなくなりましたが、昔はよく私が発言(?)したあとに、「さむ~う」と言われました。つまり、私が駄洒落を飛ばしていた頃です。そうそう「おやじギャグ」とも言われましたね(笑)。最近は死語になってしまったのでしょうか。同じようにしゃべっていても何も言われなくなりました。それとも私に対して「無関心」になっているんですかねぇ。
さて本題です。こうした駄洒落やユーモアがわいてくるのも、相手に対する思いやりが生まれるのは右脳からなんですね。左脳は普通に物事を捉える脳、右脳は創造する脳だと言われます。発想を変える生き方をするには、なるべく右脳を使うようにするべきだそうです。
最近は愛情不足と言われることが多い世の中ですが、人間の愛は相手を好きになることばかりではありません。右脳で相手の事を推しはかれて、言葉や行動に出すことなんですね。

縁側

2018-11-14 23:51:06 | Weblog
住宅設計の変化もあり、最近は縁側を作らない住居ばかりになりました。それだけにヒラメのエンガワは知っていても、家の縁側を知らない若者ばかりで、言葉そのものも死語になっています。今日の名古屋地方のような小春日和には、何となく縁側が懐かしくなりますね。
いうまでもなく縁側は部屋と部屋をつなぐ廊下の役目としてだけでなく、腰をおろして庭を眺めたり、近所の人々とおしゃべりを交わしたりする、内部空間と外部空間をつなぐ貴重な役目を果たしてきました。縁側が少なくなった理由のひとつにバリアフリー住宅を普及させるいう考えからその段差が敬遠されているからでしょう。
しかし縁側という名前に代わってサンデッキという呼び方で建築されていることもあります。縁側の持つ地域の人達とコミュニケーションを持つ場の意義は引き継いで欲しいですね。

褒めよ

2018-11-13 23:56:12 | Weblog
昔から「三つ叱って七つ褒め」という言葉があります。しかも叱ったらその倍以上褒めなさいというのがこの言葉の意味です。人を育てる基本の原則ですね。それとおなじことが身近にありました。
それは病院での医者の言葉です。病院では患者さんは耳をダンボにして、医者や看護婦さんの言葉に聞き耳を立てています。聞こえてはならないのですが、悲観的な声が聞こえると「ガックリ」となり、気力すら萎えてきます。しかし、診察の際に医者から明るい顔で明るい見通しが述べられた時はそれだけで病気が治ったような力が沸いてきます。まさに言葉の力です。
この例に例えられるように、人生にはポジティブな言葉が如何に大切かがわかります。ですから自分から悲観的になるのは、もっての他ですね。

紅白歌合戦

2018-11-12 21:40:10 | Weblog
今年も紅白歌合戦に出場する歌手の予想合戦が激しくなってきました。皆さんも想像を逞しくしていることでしょう。私もついついそんな話題が多くなります。かつてささやかにCDを出していましたから、ひょっとして紅白へ、なんて馬鹿げたことを考えたこともありました(笑)。
さてその紅白歌合戦は昭和36年から始まっています。1951年のことですから、68年になります。実は終戦を迎えたその年の大晦日に「第0回」にあたる生放送番組があったそうです。番組タイトルは「紅白音楽試合」だったそうです。その時は、誰もが戦争のない平和な時を心から楽しんだことでしょう。
最近はヒット曲が減り、視聴率もかつてほどではありません。果たして楽曲の力が落ちたのでしょうか。それとも他の理由があるのでしょうか。

2018-11-11 23:58:49 | Weblog
私は、演歌歌謡曲番組を担当しているせいか、新しい言葉や珍しい言葉に出会うと、この言葉が演歌歌謡曲のタイトルにならないかと考えてしまいます。最近目についた言葉に「涙箸」です。平仮名で書けば「なみだばし」ですから、とても演歌らしいですね。恐らく「涙橋」は既に存在しているかも知れません。
こちらの「涙箸」はお箸の先から汁をたらしながら口まで運ぶことをいいます。そうならない様にするにはどうするでしょう。汁のある煮物を食べる時に箸でつまんで上下に振って汁を切る人がいますが、スマートではありません。汁を切る時には器の側面に具をつければ自然に切れます。汁のない煮物は直接食べればいいですからね。
和食のこうしたマナーがしっかりマスター出来れば、日本式の所作の美しさを披露出来ますよね。

ビジネスマナー

2018-11-10 23:54:54 | Weblog
どんなにパソコンやスマホが発達しても、ビジネスの世界で欠かせないことがあります。それは対面での商談の大切さです。その際に、相手の話を聞く時はゆっくりとうなずきましょう。相手の目を見ることは大切ですが、3割ほどは目をふせたりメモをとったりして圧迫感を与えないようにしなければなりません。共感していることを示すため「相づち」を打つことも欠かせないことです。また、相手の言葉を繰り返すのもよいです。
ビジネスマナーのもうひとつは電話の場合です。その電話では「相づちとともに徐々に声のトーンをさげる」方法をとるのです。この方法は親身さと真剣さが伝わる効果があるのです。こうした、人間としての基本的なことが、いまこそ必要な時代です。