青紫の花が零れるばかりに咲き,歩道の石畳が紫に覆われている。
ブエノス・アイレスの大通りを歩いていた時,ネストルが街路樹の名前を「ハカランダ」と教えてくれた。1978年のことである。
その時,「南極越冬隊を乗せた宗谷がケープタウンを出航するのは,ハカランダが咲く頃」と聞いた記憶が何故か蘇った。
南米アルゼンチンは海外技術協力の仕事で初めて暮らすことになった国だったので,遠い旅立ちのイメージが重なったのかも知れない。ハカランダの開花は11月初め,南半球でいえば春の季節に当たる。この時期に,当時の南極観測船も旅立ったのだ・・・。
技術協力の拠点はコルドバ州の小さな町(マルコス・フアレス市)にある農業研究所(INTA)であったが,たびたび農牧省や日本大使館・JICA事務所を訪れる機会があったので,ブエノス・アイレスのそぞろ歩きは楽しみの一つであった。フロリダ,ラバージェ,サンタフェ,コリエンテス等の通りの賑わい,店の洒落た飾り付けを眺め,レストランやカフェテリアで寛ぐのも楽しかったが,アエロ・パルケ(空港)脇のラ・プラタ河畔に続くハカランダを眺めるのも好きだった。ラ・プラタ川は海のごとく広がり対岸のウルグアイは霞んで見えなかったが,ハカランダの木の下では子供らが竿を投げペヘレイを釣っていた。
ともかく,南米のパリと謳われるブエノス・アイレスの街には,ハカランダが良く似合った。コロニアル様式の高級マンションンが並ぶ通りの一階には洒落たレストランやセンスの良いブテイックがあり,ポルテーニョがそぞろ歩く。街路樹は大きく緑を落としている。
(写真左:Bs.As.絵葉書から、右:熱海のハカランダ)
ハカランダ(Jacaranda)の和名は,シウンボク(紫雲木),キリモドキ(桐擬)であるが,日本でも英語読みしたジャカランダやスペイン語読みしたハカランダの方が一般的かもしれない。
ノウゼンカズラ科(Bignoniaceae)キリモドキ属(またはジャカランダ属Jacaranda )の中南米原産の落葉高木,花は濾斗状で先端が5弁に裂け,桐の花に似ている(ちなみに,ラパチョもノウゼンカズラ科で花の形が似ている)。葉は細く羽状複葉でアカシアやネムノキに似て,夏には清涼な日陰を作るので街路樹に利用される。葉の出る前に満開となると,これはもう桜の風情で美しい。
ハカランダは三大熱帯花樹のうちの一つと言われるが(他は,アフリカン・チューリップ・ツリーとホウオウボク),然もありなんと思われる。
「Arvores Brasileiras」Harri Lorenzi (Instituto Plantarum de Estudos da Flora LTDA 2000)によれば,ノウゼンカズラ科の多くはブラジルの一般名で「ipé」と呼ばれ(22種掲載)るが,一部には「jacaranda」と呼ばれるものもある。また,この本で一般名が「jacaranda」と呼ばれるものの多くはマメ科で,13種が掲載されている(花や実の形が異なる)。このように,ハカランダと呼ばれるものは植物学上異なる種類を含み混乱している。
花を愛で街路樹としてアメリカ,ヨーロッパ,アフリカ,大洋州などに広まっているハカランダは,ノウゼンカズラ科キリモドキ属の種類で,雌蕊の数でJacaranda(18種,アルゼンチンや中米原産)とDilobos(31種,ブラジル原産)に下位分類される。
中でも,特に花が華やかなブルージャカランダ(Jacaranda mimosifolia)が多いようだ。日本でも人気が出てきて,宮崎県のジャカランダの森には約700本が群生しているし,熱海の海岸通りに植栽された街路樹も花をつけるようになった。
一方,後者のマメ科に分類されるハカランダに,ツルサイカチ属のブラジリアン・ローズウッド(Dalbergia nigra)と呼ばれる種がある。重厚な材質で,十分乾燥すると狂いが起きない。名前のとおり甘い香りがする。ご存知のようにギター材として有名である。
ギター作りを趣味にする友人Mが,
「表面板にはヨーロッパ産のスプルース,横板と裏板にはハカランダを・・・。ハカランダはワシントン条約で絶滅危惧腫に指定され,手に入らない垂涎の材だね」
懇親会の席でため息交じりに語った。
「下田武ヶ浜で観光目的の植栽グループがいるよ」
ギタリストにほど遠く,材に詳しいわけでもなかったので,勢いで話した。
「伊豆の山に植えてみようか?」
酔いが覚めて考えたら,ハカランダはハカランダでも別の種類であることに気がついた。酒宴での話だから,後日「あれは別物だった」と言うのも可笑しいかと,そのままにしている。