竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉雑記 色眼鏡 二〇七 今週のみそひと歌を振り返る その二七

2017年03月11日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 二〇七 今週のみそひと歌を振り返る その二七

 今週は「萱草」について遊びます。万葉集に、この「萱草」と云う言葉を使った歌は四首ほどを見ることが出来ます。遊びます、その「萱草」と云う言葉は「百九二 今週のみそひと歌を振り返る その十二」で既に紹介していますので、参照頂ければ幸いです。弊ブログでは「詩經国風 衛風 伯兮」から「萱草」を「忘憂草」とする立場ですし、その漢詩の一文「焉得萱草 言樹之背」は「もし、憂さを忘れさせると云う萱草を得たならば、私はその萱草を(目にすることのない)屋敷の裏に植えるでしょう」と訳す立場です。そこが「萱草」に対する従来の解釈とは大きく違います。
 歌の鑑賞で、その特徴を見て頂くために最初に万葉集に載る四首を紹介します。

帥大伴卿謌五首より
集歌334 萱草 吾紐二付 香具山乃 故去之里乎 不忘之為
訓読 萱草(わすれくさ)吾が紐に付く香具山の古(ふ)りにし里を忘れむしため
私訳 美しさに物思いを忘れると云うその忘れ草を私は紐に付けよう。懐かしい香具山の古りにし故郷を忘れないようにするために。
注意 原文の「不忘之為」は、意味不明として一般には「忘之為」に改訂します。ここでは原文のままです。

大伴宿祢家持贈坂上家大嬢謌二首  雖絶數年、復會相聞徃来
標訓 大伴宿祢家持の坂上家の大嬢(おほをとめ)に贈れる謌二首  ただ絶へること數(あまた)年にして、復(また)會(あ)ひて相聞徃来(そうもんおうらい)せり
集歌727 萱草 吾下紐尓 著有跡 鬼乃志許草 事二思安利家理
訓読 忘れ草吾が下紐に付けたれど醜(しこ)の醜草(しこくさ)事(こと)にしありけり
私訳 この世の憂さを忘れさせると云う忘れ草を私の下紐に付けたけれど、言伝えとは違い、集歌3062の歌が詠うように、そのままにまだ貴女に恋をしている。

集歌3060 萱草 吾紐尓著 時常無 念度者 生跡文奈思
訓読 忘れ草吾が紐に付く時と無く念(おも)ひ渡れば生(い)けりともなし
私訳 憂さを忘れさせると云う恋忘れ草を私は紐に着ける、いつと時を定めずに恋い焦がれると、生きているとも思えません。

集歌3062 萱草 垣毛繁森 雖殖有 鬼之志許草 猶戀尓家利
訓読 忘れ草垣(かき)もしみみし植ゑたれど醜(しこ)し醜草(しこくさ)なほ恋ひにけり
私訳 貴女を忘れるために想いを忘れるという萱草を生垣にぎっしり植えたけれど、鬼のような頑強な私なのにまだ貴女に恋をしている。

 紹介しましたように集歌334の「萱草 吾紐二付」、集歌727の「萱草 吾下紐尓」、集歌3060の「萱草 吾紐尓著」と歌句は慣用句的に扱われ、また、集歌727の「鬼乃志許草」と集歌3062の「鬼之志許草」とでは同句が使われています。このように「萱草」と云うものをテーマとする歌は、非常に近似的な歌の展開を見せます。また、集歌334の歌は旅人、集歌727の歌は家持と云う親子関係もあります。歌で使う言葉の背景に詩経や古事記神話があるためか、相当な教養が無いと和歌とするには難しいテーマなのかもしれません。
 これを前提に歌が詠われた順番を考えますと、最初は大伴旅人が詠う集歌334の歌と思われます。これを本歌とし派生歌となる集歌3060の歌と集歌3062の歌が詠われ、最終的に集歌3060の歌と集歌3062の歌とを集合させたような家持が詠う集歌727の歌が作歌されたと思われます。つまり、集歌727の歌は二重の本歌取技法があると云うことになります。ここで、紹介しています意訳文で「鬼之志許草」の解釈は万葉集時代の解釈で行っており、正統な万葉集解釈ではありません。そのため正統なものとで意味合いが相当に相違しますので注意願います。

 雑談で。
 現在、歌に現れる「志許草」を「紫苑(シオン)」と云うキク科の園芸植物の古名と解説するようです。さらに平安時代末期頃に成った今昔物語集に載る説話から、この「紫苑」を「勿忘草」とも別称するようです。そこから時代を遡り、万葉集解釈に適用し「志許草」を「勿忘草」として説明するものもあるようです。ただ、今昔物語集に載る物語は中国説話に載る「萱草」と「返魂草」から作られた日本独自のものですから、物語と云うジャンルの成立からしますと、平安時代中期以前には遡らないと想定されるものです。つまり、万葉集とは全くに時代的に関連性を持たないと云うことになります。
 一方、このキク科植物のシオンは平安時代前期までに中国から漢方薬として輸入され、その花の美しさから園芸植物としても扱われるようになったとします。つまり、「紫苑(シオン)」と云う植物名は中国に由来するもので日本固有種ではありませんから、「月草」や「空草」と同様に古名は持たないと期待されます。
 さらに追加して、南中国の「劉寄奴」と云う薬草にはその焚いた煙に死者の魂を呼び戻す効能があるそうです。その南中国の「劉寄奴」と中国北部に自生する「返魂草(靈香草・青苑)」とが似た姿から混同され、何時しか、漢の武帝が「返魂草」を香として焚いたところ亡くなった李夫人の面影をその煙に見たと云う中国北部に因んだ説話が出来たようです。さらに、中国から「返魂草」の近種の「紫苑」が去痰作用や利尿作用を持つ薬草として日本へと輸入した後、その「紫苑」に「返魂草」が持つ漢の武帝と李夫人との説話が組み合わさり、やがて「紫苑」に「勿忘草」の異名が付け加えられたようです。なお、一般に現代の中国では「返魂草」は株高60cm-150cmの草木、「紫苑」は株高40cm-50cmの草木として別物と区分します。
 他方、古事記等の日本説話に「葦原色許男」や「葦原醜男」と云う言葉が使われるように「しこ」と云う言葉は「恐ろしく強い」とか「頑強」と云う意味でした。ところが、後年に同様な意味を持つ「醜女」と云う言葉が、なぜか、「醜い」を中心に解釈するようになって言葉の意味合いが変わりました。現在は古事記時代の解釈よりも、平安期以降の「醜い」を中心に解釈するのが主流です。そのため万葉集の歌の解釈が「不思議」になりました。

 今回、紹介しました歌は単純でストレートですが、後年、中国文学の影響から生まれたものを大和の古風と考えたため、あらぬ方向へと走り出しました。面白い解釈を見つけ、その言葉の解釈の由来を探りますと、実に楽しいものがあります。弊ブログは酔論と与太話が根拠ですが、一般的な解釈とされるものでも、時に弊ブログを越える酔論と与太話を根拠とするようです。

コメント
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