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麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

箱の行方

2025年04月29日 | 身辺雑記

さる4月19日に公演の幕を降ろした

俳優座劇場。

1954年4月20日に開場し、70年。

劇場閉館は明日30日だが

10日前の土曜日、『嵐』千秋楽

(俳優座劇場プロデュース製作)で

すべての公演は終わっている。

 

大きな括りで捉えたら

一部愛好者の場所ともなっていた

客席数300の「老舗の中劇場」、

けれど終焉は多くのメディアが

大きなトピックとして発信した。

 

そんな中、24日正式発表されたのは

「YOSHIMOTO ROPPONGI THEATER」の

7月上旬オープン

芝居小屋から、コントを中心とした

笑いの新たな拠点になるという。

 

新宿の、1934年竣工の小学校跡地に

東京本部をこしらえたのが2008年。

新宿ゴールデン街や花園神社と

隣り合わせの「校舎」を手に入れた

「吉本」が今度は六本木のど真ん中に!

 

1912年に寄席経営から始まった生業は、

大阪・天神橋にあった「第二文芸館」の

買収が第一歩だった。

 

おっと、この文脈だと新宿も六本木も

買ったみたいに読めちゃうかしら?

学校も劇場も「賃貸」である。

 

ただ、新劇運動の殿堂が紙吹雪の中

最後を迎えて一週間も経たぬうちの

発表はデリカシーに欠けた。

 

老朽化により建替は必至ながら

昨今の経営状況や物価高騰に加えて

消防法による同規模の再建が難しく、

苦渋の選択を決定。

多くのファンや関係者が涙し、

その余韻冷めやらぬ時期に、何故⋯⋯

 

漫才において早いツッコミが

大きな笑いを生むことはあるだろうが、

早すぎてスベることにも気をつけねば。

 

そう思うのは、周辺から悲しみや嘆き、

さらには怒りの声すら聞かれるからだ。

 

立つ位置が異なれば「楽しみだ」とか

「今まで高かった敷居が身近になる」

などポジティブなリアクションにも

触れるのだろうことは想像できる。

 

吉本サイドにすれば、

7月からの興業の宣伝もせねばならず、

もしや肩を落とす人々に

「劇場はなくなりません!」と

励ます意味もあったりもした⋯⋯。

 

でも。

着物は随分色褪せて肌や髪も疲れた

日本人形を、けれどもずっと傍に置き

愛してきたのに失った刹那、

お腹を押すとゲラゲラ笑う仕掛の

ビリケンさんを「人形、あるでぇ」

と渡されたとして、喜ぶはずはない。

 

そのあたりは人情を描いて、

笑かしながら泣かせる吉本が

判らない筈がないとも思うのだが。

 

と、文中何度か書き連ねた「吉本」こと

「吉本興業」は上述の新宿移転の頃、

ホールディングス化して、

その歴史を引き継ぎながら法人名は

「吉本興業ホールディングス」になり、

旧「よしもとクリエイティブ・

エージェンシー」が名称としては

吉本興業の看板を引き継いだ。

⋯ってヤヤコシイことはさておいて。

 

俳優座劇場も小屋は手放したが、

主業の舞台美術製作とともに

芝居創りも続けると言う。

 

要は両社とも立ち止まることなく

歩みを続けていくのだ。

なくなったのは劇場という箱で

恐らくそう遠くない未来に

「コント中心の笑いの拠点」も

幕を降ろし、今度こそ劇団俳優座の

黎明期の志士たちがこさえて、

1980年に現在のかたちになった箱が

本当になくなる。

 

その時、誰がどんな風に哀しみ、

怒り、あるいは喜ぶのだろう。

 

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