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麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

上野のキリンの尻尾

2025年04月16日 | キリン

 

2回にわたり上野とキリンについて

書いてきた。

昨日は初めて日本にやって来た

2頭のことなどを。

以下二代以降を含めてまとめる。

 

 

初代/グレーとファンジ

1908年1月にグレー(メス)、

3月にファンジ(オス)が天国へ。

ともに剥製標本となり帝室博物館所蔵。

関東大震災後、国立科学博物館移管。

ファンジのみ国立科学博物館

(つくば市)標本収蔵庫保存。

 

二代/長太郎と高子

オスのアリー、メスのザイダーが

1933年上野にやって来て、

一般公募で上記の名を得る。

高男と長次郎、ミナミとフジ

オスメス2頭ずつ子が誕生。

 

高男、1942年7月12日

井の頭自然文化園移送。

同年同月15日死亡。

長次郎、同年同月13日同園移送。

1944年12月17日死亡(享年4)

 

母・高子は1945年1月30日死亡。

父・長太郎は’47年、娘・フジ’49年

上野動物園にて死亡。

 

ウガンダキリンのタカオと結ばれた

ミナミは1962年12月15日、

20年の生涯を閉じた。

 

・・・上野とキリンの結びつきは強い。

まぁ、トップ・オブ・ザ・ズー上野は

キリンに限らず多くの動物を

この国に紹介しているわけだが

 

 

そして今や上野といえばパンダ。

お土産はじめグッズ数がハンパなし!

 

しかし

キリン初来園の1907年度、

有料入園者数が月間28万人を突破。

年間でも初の100万人越えを記録。

輸送料等含めた総額1万7000円の購入費、

キリン舎の改築・新築費など9000円の

出費に対して入場料収入4万8850円。

キリンだってなかなかの人気ぶり

 

昭和になってやって来た

長太郎と高子のお値段は

2頭で2万5000円。

キリン舎建設4000円を含め、

2代目も人気で入園料収入でペイできた!

   

 

さて。

そんな上野動物園で長らく勤務し

『動物たちと五十年』を著した

飼育員は高橋峯吉。

初代、二代ともに世話をしている。

奇しくも筆者と同姓だ。


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