ファンジ(オス)とグレー(メス)が
日本の地に降り立ったのは
1907年3月15日。
ドイツから船で横浜港へ
和暦でいえば明治40年のこと。
そして上野動物園にやって来た。
しかし。
年明け間もない1月8日、グレーが。
ファンジも3月23日に逝った。
⋯後を追うように
主要因はキリン舎の暖房不備。
他の飼育舎には整っていたが
キリンの家は諸般の事情
(予算、時間、経験などなど)で
間に合っていなかった。
日本の冬に耐えられなかったのだ。
哀しい話のあとにノーテンキな一葉。
ご存知『ぽちゃーズ』の
中央に、ぽちゃキリン。
昨日のブログ
友人に呼ばれて降り立った上野で
キリンを次々に発見する旅・・・
その後半はマルイ上野店5階の
「マルイノアニメ」。
そこに『ぽちゃ〜』の展示があった。
これを潮に「上野じゃなくても!」
なキリンとしか出会えなかった
ユザワヤで1頭、多慶屋で1頭。
「たべっ子どうぶつ」に至っては
どこにでもいる
動物はジラフで、伝説上の瑞獣が麒麟。
世界では線引されている。
日本ではビールメーカーなどの麒麟と
動物園にいる首の長い偶蹄類キリンが
混在しているわけだが⋯⋯
初めて日本にやって来る折、
「西洋の首の長い動物・ジラフ」では
予算獲得上、インパクトが弱いから
「伝説の麒麟」を輸入する!と
カマしたことから、と謂われている。
そんな「お上」との攻防のなか
2頭は予定より早く来日。
飼育技術ふくめて準備不足で
冒頭の悲劇となった。
日本キリン史
独ハーゲンベック動物園よりの
短い交流から少し長い時間、
我々は出会うことなく実に26年。
世は昭和⋯⋯ようやく二代目が!
【尻尾につづく】
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