麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

動体視力と記憶力/後編

2009年07月13日 | 身辺雑記
 街頭の見知らぬ顔の輪郭から、よく似た知人を思い起こすのは、たぶん僕が、マンガ家を目指していた小学生の頃、顔の特徴を観察し、ツタナいコンピュータに色んなデータをインプットしていた名残かも、と。。。ヨシイを20年ぶりに思い起こした瞬間に「ぼんやり」と思った。

 実は前編を書き進めながら、ヨシイの下の名前を思い出せず、どんどん横道にそれて、この後編に回をまたいだ訳だが。。。

 そう。陽水にならって探すのをやめてみたら、ポロっと出てきた。
 
 ヨシイミチヨ。
 ああ、スッとした

 とにかくトリッキーに飛び出してくる記憶がある一方で、肝心なことが思い起こせないのは単純に年齢のせいだろうか。

 1966年。野村萬斎(二世)の産まれた翌日にこの世に誕生して四拾余年。
 人生折り返し???

 いずれにしろ、バラバラな能力(?)の連動・・・今回でいえばドウタイシリョクとキオクリョク・・・から、何か面白いモノが産まれたらいいのだけれど。。。

 なんだか締まりがないゾ

 狂言のように切れ味よく、トントトトンとは行きませぬ。

 そもそも、動体視力と記憶力で何か書こうとキーボードを叩きはじめたのは確かなのだが。ずっとお蔵入りになってたので・・・今となっては、どう話を着地させるのかすっかり忘れている。
 いや、そもそも結論がないから「下書き」のまんま陽の目を見なかったに違いない。

 嗚呼。数行前の文章を早くも裏切って、連動もなければ面白いモノを産まれないではないか・・・。
 

 逆に。
 道理に合わない物言いや飾り立てた言葉を意味する「狂言綺語」(きょうげんきぎょ)という仏教用語に由来するのが「狂言」だから、それにあやかって、まとまらなくていいか。(Wikipedia参照)

 そう諦めて、構成メモに残ってるのを書いて筆を置くことにしちゃおう。

 【前編で、坂本が小学校の文集のコメントを忘れていたというのは、少々「演出っぽい」】

 確かに。今21歳の彼の小6っていえば、たった9年前だ。
 それを覚えていないのは可笑しい!

 9年前。『楽園終着駅』・・・制作助手のぼくと、演出の越光さんの助手としてやってきた磯村純の、出会いの作品があった年か。 

 そして今年、歴史に残るだろうインターナショナルなイベント「第1回日韓演劇フェスティバル」に、僕は制作の末席で、彼はリーディング『野原にて』の演出補として、それぞれ参加し、互いに少しずつだがキャリアを積んでいることを再確認したのだった。

 一人の野球少年があこがれのプロ野球の、しかもスター選手に成長するまでの時間で、それがどれほどのキャリアアップなのか。。。

 それを計る単位がないことに胸を撫で下ろしつつ、おしまいにします。
 
コメント (2)
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