麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

ささじい逝く。

2022年03月18日 | 

笹山栄一

1931年3月13日、三重県生まれ。

下村正夫らが創設した新演劇研究所に学び、

後継劇団の新演に参加。師・下村と

演出研究所の八田元夫を中心に発足した

東京演劇ゼミナール(1959年)を経て、

62年に劇団東演へと発展した歩みにも共した。

以来、旗揚げメンバーが鬼籍に入るなか、

最後の一人として東演を牽引した俳優である。

 

今年の3月13日、91歳の誕生日を迎え、

その二日後、天寿を全うした。

 

私が、ひょんなことから東演に籍を置いたのが97年。

その時、笹山さんは60歳半ば。

劇団運営には一切かかわらず、役者道を邁進していた。

 

私が多少は制作者らしくなって、企画から予算組、宣伝等々、

まるっとプロデュースを任されるようになって

手掛けた作品たち・・・

『温室の花』(03年、作/今井一隆)

『浄瑠璃の庭』(04年、作/藤井貴里彦)

『大地のカケラ』(06年、作/はせひろいち)*

『空ゆく風のこいのぼり』(08年、作/藤井貴里彦)

 演出/磯村純(無印)、河田園子(*)

・・・そこには欠かさず笹山さんがいた。

 

飄々とした演技はどれも印象的だが

『浄瑠璃~』は特に印象深い。

私が東演を巣立ったあとも「またやりたい」と

言ってもらえた作品の一番手だった。

 

誕生日から間もなくの逝去と書いた。

16日は、今私の居る俳優座のラボ38の初日。

舞台監督は八木澤賢。

彼も元東演で、単身の笹山さんの面倒をみてきた男だ。

彼の仕事の邪魔にならないよう前日に逝ったのは、

「笹じい」の最期のやさしさだったと勝手に思う。

 

素足にサンダルで、自転車を漕いで稽古場へ。

私は2009年に退団したから、

それは随分と昔の風景だったりもする。

食いしん坊だった「笹じい」に下北沢の桜の下、

花見でたらふく食べて、話して、笑って……

ここ数年、開催できなかったのはちょびっとだけ

心残りだったりはする。

 

劇団の拠点「東演パラータ」で、昨日、送る会。

ラボ38を終えてから逢いに行ったので22時過ぎ着。

もちろん会は終わって「寝ずの番」の劇団員のみ。

なんとか挨拶だけはできた。

 

誤解を恐れずに言うと、挨拶は形式的に済ませた。

俳優・笹山栄一は亡くなっていないし、

今後も、すぐ近く……はさすがに勘弁だけれど、

彼の台詞や人物造形よろしく、良い塩梅の距離で

私の近くに居ると、これもまた勝手に思う。

 

昨日、誕生日を祝う話を書いた。

来るひと去るひと。季節のめぐり。

 

やすらかに、笹じい。


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