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麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

織田信長像

2024年12月31日 | ぶらり

 

昨日書いたように、

愛知県清須市の清州城へ。

まず甦った天守閣のある

清洲古城跡公園を愛で、

五条川沿いにJRの線路をくぐり

清州公園へ。

 

 

信長と濃姫の像とご対面。

(一枚目と同じ銅像)

 

そうそう。

昨日、清須駅は無人と記したけれど、

そのホームの看板の、駅名下に

「愛知県稲沢市」と括弧書きがあり

頭の隅に引っかかっていた。

 

清須観光(?)後に稲沢駅でも下車。

そしたら謎が解けました。

品川駅が港区にあるように、

西枇杷島町、清洲町、新川町が合併し

2005年に誕生した清須市ですが、

駅は稲沢市のすみっこに位置!

 

 

さて、そんな稲沢市は

スポーツで盛り上がっていました。

 

SVリーグの名古屋ウルフドッグスの

ホームタウンであり、

そのホームコートのエントリオが

駅前に堂々とそびえている。

 

豊田合成記念体育館エントリオが

正式名称で、2019年まで

男子バレー・ウルフドッグスは

「豊田合成トレフェルサ」だった。

 

 

ハンドボール・リーグHの

豊田合成ブルーファルコン名古屋、

バスケットボール・B3の

豊田合成スコーピオンズの

フランチャイズとしても機能する。

寒風吹きすさんでいたので

写真はなし

 

 

お城も体育館も立派だった。

一方で、清須駅にほど近い場所の

朽ちた飲食店が痛々しかった

国内総生産では辛うじて3位ながら、

国民1人あたりの名目国内総生産は

韓国の一つ下の22位となった

我が国の「現実」と言えなくもない。

 

かつて信長の治めたまちに限らず、

日出る国の、今。

大晦日、こんな一文で終わるのは

寂しいけれど⋯⋯。

 

 

さて2025年はどんな一年になるかしら。

みなさま良いお年をお迎えください。

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清州城

2024年12月30日 | ぶらり

いわずとしれた英傑・織田信長公の

天下取りの出発点となった清州城!

 

 

1582年、本能寺の変ののち

織田後継問題を柴田勝家、羽柴秀吉ら

家臣で催した「清州会議」も有名。

映画にもなったし。

 

で、僅かにややこしいのは

城は「清州」、城の在る市は「清須」。

 

そんな城を再建整備したのが、

1989年の旧・清洲町町制100周年。

鉄筋コンクリート造の模擬天守だ。

 

ちょっと切ないのは

城跡が分断されていること。

鉄道が、かつての平城を横断し、

東海道本線以南の清洲公園に

信長の銅像が、

同以北の清洲古城跡公園に

清洲城跡顕彰碑がある。

天守はこちら側。

 

まぁこの似た名前の公園も

ややこしいっちゃぁややこしい

 

前口上が、清洲会議には出ず

委任した徳川家康が築いた

江戸幕府ほど長くなったけれど。

清須駅は無人。

「改札を出たら細い道を右折」と

小さく書いてあり、駅を出ると

人ひとり通るのがやっとの

本当に細い路地があった。

 

見逃しそうな案内は、

まるでオリエンテーリングの

チェックポイントみたいに、

城への道中にも目立たないよう

配置されていた。

 

 

そしてついにたどり着いたのだが、

なんと年末は閉まっていたよ

 

まぁ、姿を生で拝むのが目的で。

あるいはその道すがらが楽しいので

残念ではなかった。

 

一等最初の写真を撮った真後ろには、

「清洲ふるさとのやかた」。

こちらは改修工事中!

こういうのに当たるのが

堪らなく嬉しかったりする

 

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ぶらり館林その4〜まいどの余話

2024年11月30日 | ぶらり

11月24日に群馬県館林市へ。

県立美術館別館のイベントを観た。

 

下は別館からの風景。

沼との共生を「里沼」と称して、

そこに息づく文化を「日本遺産」に

認定されている。

 

 

駅西口。

美術館へのバス停すぐそばに

立派な建物があり、何かな〜と

近くまで行ったら・・・

 

 

機械ゲート式有料駐輪場でした。

「樽勘」は今はなくなった

醤油製造所の屋号らしく、

チャリPにその看板が掲げてある。

……情緒があって良い。

 

かたや情緒はまるでないけれど、

ある意味実用的な駅の時刻表。

 

 

左に写り込んだヒトと較べれば、

完全に無駄な大きさだと判るだろう。

だけど最近急激に視力が落ちていて、

個人的には嬉しい。

同様に高齢化の日本。

助かる人もきっと多いのだ。

 

・・・毎度の「ぶらり」からこぼれた話。

 

最後に。

邑楽郡の一部が合併し、市制70周年と

「その3」に紹介したけれど、

邑楽郡は今尚存在し「その2」に登場の

俳優・加藤亮佑(りょうすけ)の

出身地でもあるわけだが、難読だ。

 

「おうら」と読み、郡内には5町。

板倉、明和、千代田、大泉、邑楽。

板倉町には1997年開業の東武日光線

「板倉東洋大学前駅」があり、

今もあるのだけれど……

春にキャンパスが全て移転した。

 

町は勿論だが、県知事も反発。

大学側は「撤退」とは言っていないが

さて、どうなるかしら?

 

東急の「学芸大学前駅」などのように

ならないと良いけれど

 

そうそう。なくなるといえば、

都内と館林を往復する際に通過した

「春日部」のランドマークのひとつ

イトーヨーカドー春日部店が、

たまたまだがこの日閉店した。

……あとで知ったことだが。

 

(おわり)

 

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ぶらり館林その3〜カルピスのまち

2024年11月29日 | ぶらり

駅がカルピスのラッピング。

 

 

東武線「館林駅」東口。

伊勢崎線、佐野線、小泉線の

3路線ある駅で

「しゃれた模様の窓がある

洋館風の駅舎で小規模ながら

歴史を感じさせる駅」であると

〈関東の駅百選〉にもなっている

けれど……カルピス群馬工場が

館林にはあるから、つまり、

まぁ、そうゆうことだ

 

 

ホームには自販機。

ミュージアムも近くにあるらしい。

 

ただ、引いて見れば「百選」も頷ける。

 

 

そして。

昭和29年4月1日に館林町を中心に

1町7村の大同合併により県下7番目の

「市」になって、70年だそう。 

田中正造記念館、田山花袋記念文学館、

向井千秋記念子ども科学館に

製粉ミュージアムなどもある

両毛地域の中核都市にふさわしい発展を

周年を機にさらに目指して行くと言う。

 

 

前述製粉ミュージアムは日清製粉、

向かい合うように建つのは

正田醤油の正田記念館(写真なし)

 

館林を支えるさまざまな企業とともに 

近年は「聖地」も大きなパワー。

 

のぼりは〈よりもい〉こと

アニメ『宇宙よりも遠い場所』

(宇宙は「そら」と読むらしい)の

主要キャラ4名が、市では初の

「館林アニメアンバサダー」として

館林の魅力を広く市内外に発信。

 

(あと、もう1回ある

 

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ぶらり館林その2〜館林美術館

2024年11月28日 | ぶらり

 

館林にある美術館。

正式名称は「群馬県立美術館」。

高崎市の群馬県立近代美術館とは別。

そして「近代」が古く、

こちらが県2館目になるという。

2001年10月26日開館。

 

訪れた日は「ミロ展」がメイン展示

だったのだが、筆者の目的は別館。

 

 

フランスの彫刻家で『白熊』や

『コゼット』で知られるポンポン。

1855生まれ、1933年没。

フランソワ・ポンポンは本名。

作家として脚光を浴びたのは晩年で、

彫刻家の助手を長く務めた苦労人。

 

そんな彼の工房を「別館」として展示。

アトリエ内部も精巧に再現しており、

この美術館全体のアイコンを標榜。

 

また、もともとは沼地だった郊外の

水耕田跡地に建設された建物を含む

広大な敷地自体が「美術館」といえる。

 

 

路線バスで駅から約30分。

日祝のみ4本ある直通なら12分だ。

行きも帰りもラッキーなことに

貸し切りだった。

……みな自家用車で行くのだろう

駐車場は確かに混んでいた。

 

遊具のある公園や野球場、

ターゲットバードゴルフ場も隣接。

ファミリーの「憩いの場」としても

機能するつくり。

もちろんレストランもある。

 

 

そんな県立美術館別館では

ナレーションで楽しむ特別展示を

9月28日〜12月15日に開催中。

さる11月24日(日)には、

ナレーションを担当する俳優

加藤亮佑を招き、

学芸員とセッションする企画を。

 

それを覗いたのでした。

(その3につづく)

 

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ぶらり館林その1〜分福茶釜

2024年11月27日 | ぶらり

「鶴舞う形」と上毛かるたに謂う

群馬県の南東部にあたり、

ちょうど「ツルの頭」に位置する

館林市を生まれ初めて訪れた。

 

館林といえば「茂林寺」。

茂林寺といえば、分福茶釜を

ふつうは連想するけれど、

野球ファンには「地獄の茂林寺」。

巨人初代監督・藤本が敢行した

「茂林寺キャンプ」!

日本プロ野球のまだ黎明期、

「職業野球リーグ」と称された

1936年9月、昭和でいえば11年だから、

還暦近い筆者でも知る由がないのだが

 

長嶋巨人が79年5位に終わった

シーズンオフに、

江川、西本、角ら投手陣、

河埜、中畑、篠塚、淡口ら野手陣の

当時の若手をしごいた「伊東キャンプ」。

その参考にしたのが茂林寺だと

こどもの頃に耳にして、

それが強くインプットされている。

 

てなわけで。

駅前にも関連の石碑がありました。

茶釜のタヌキらと並んで。

 

 

長い前置になったが、目的は

茶釜でも茂林寺でもなく県立美術館。

 

地下鉄の半蔵門線が乗り入れていて、

一気に「久喜」まで行けちゃった。

そこで館林行きに乗り換えたのだが、

なんか良い感じに揺れて

旅気分がグッと湧いた。

「茂林寺前」駅を通過する頃からは

景色も旅情満点の田園

 

昼前に到着。

 

 

有名な「花山うどん」の本店は

日曜日でお休み

まぁ、目的はグルメじゃないからな。

 

(その2へ)

 

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郡上おどり

2024年11月20日 | ぶらり

11月16日に岐阜に観劇に行った件。

 

たいがい「ぶらり◯◯」だの、

数日前シリーズで書いた「富山旅情」だの

くくりがちだけれど、たまにはバラバラで。

   

ちなみに岐阜県には可児市に

「ぎふワールド・ローズガーデン」や

揖斐郡大野町に「大野町バラ公園」がある。

・・・いずれにしろ、岐阜たびの3回目。

 

 

岐阜駅北口デッキ「杜の架け橋」に出ると、

イルミネーションの向こうに岐阜新聞社。

 

ロータリーからまっすぐ伸びる大通りを

進んでもつまらなそうなので

2本ほど東寄りの狭い道を歩いたら、

これでもかってくらいに長〜く

飲食店が並んでいた

「玉宮」と呼ばれる呑み屋街。

 

 

そこを抜けたら、金公園と金神社

(一昨日の初回にも既述したとおり

金は「こがね」と読みます)。

 

公園脇には文化センター。

夜で建物は写りづらかったので

掲示板を撮ってみた。

 

 

で、金神社の先には柳ケ瀬商店街。

「やながせ」と言えば、美川憲一の

『柳ヶ瀬ブルース』を多くの人

(つっても、ある世代以上か?)が

思い浮かべるわけですが、

かつて栄華を誇った街も

近年はシャッター通りと化して、

今年7月末日には「岐阜高島屋」が閉店

 

その旧高島屋の向かいに映画館。

今はシネコンになっているけれど、

館内に大衆演劇の「小屋」が常設

これは珍しいのじゃないかしらん。

 

 

そんな栄枯盛衰の「柳ヶ瀬」には

やたら下駄履きの人々が行き交っていた。

あとからわかったが、

郡上おどりのイベントがあった模様。

 

毎夏、下駄を鳴らして徹夜で踊り続ける

「郡上おどり」は祭同様に組織もパワフル!

全国各地で普及に努めていて、

例えば、僕の住む池袋では9月に

中池袋公園で「白鳥おどりin池袋」が。

保存会による生演奏や地元店が出て

郡上・白鳥の文化を池袋に展開していた。

 

柳ケ瀬商店街では2004〜06年

郡上おどり自体を開催していたそうで、

今回約20年ぶりに交流を復活。

しかも郡上八幡で1ヶ月間にわたる

移住型フィールドワークを行う

気合の入れようで、柳ケ瀬との関係を

新世代に継承しようという企て!!

 

そんな一夜に、たまたま遭遇した。

下駄……半世紀くらい履いてない

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ドリームシアター岐阜

2024年11月19日 | ぶらり

11月16日、岐阜駅到着時にはもう

辺りは暗い時間でした。

 

とてつもなく昔に降り立って以来で

駅前は大変貌

そりゃ20年近くなるものな……。

高架駅から伸びる歩行者用デッキは

「杜の架け橋(もりのかけはし)」と

命名されたモダンなU型に!!

 

 

地上で迎えてくれたのは

ライトアップされた「丸窓電車モ513」。

大正生まれのチンチン電車。

 

そんな駅前から向かったのは、

歩いて30分弱、1994年5月5日に開館した

「ドリームシアター岐阜」。

岐阜市立の青少年教育施設で

最上階に人形劇を中心としたホール、

ほかに音楽スタジオ、クッキングルーム

などが各階に配され、

1階ではマスコットの「キッズくん」が

岐阜市の姉妹都市のことなどを

映像とともに教えてくれる……のだが、

かなり以前に製作されたまま

更新がないようで

シンシナティなどの風景がかなり……

 

維持で手一杯で、予算がないのだろう。

でもそんなことは些末。

7階のメインホールでは今でも

国内トップクラスの人形劇団が

ツキイチで公演に訪れている。

 

筆者がこの日観たのは一般公演。

「清流の国ぎふ文化祭2024」に参加の

劇団ジャブジャブサーキット

『正劇オセロと貞奴』だったが、

ホールはロールバック式の客席も新しく

稼働している感が強かった。

(『正劇〜』については昨日に詳しい) 

 

「ふれあい・あそび・創造」をテーマに

子どもから大人まで楽しめる

全国でも数少ない公立人形劇場のひとつ、

だそうだ。

 

些末といえば、トイレも男性個室が

今時珍しい和式のまま。

けれど最近のキッズは和式トイレで

ひっくり返るなんて話も聞くから、

予算のことだけじゃなく、

教育面でも敢えて残しているのやも。

 

土曜でもあり、利用者も多かった

下の2枚は、上述した姉妹都市の図と

利用者たちの描いた絵の展示。

どちらも1階。

 

 

このような施設は全国に欲しいけれど、

昨今の日本経済の状況下には難しいし、

また、箱モノの時代でもない……。

 

岐阜紀行はさらに続く。

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富山旅情7〜総括というよりこぼれた噺

2024年11月14日 | ぶらり

今年の11月の三連休は2日から4日。

ちょいズラシで3(日)、4(振)、5(火)

と富山県をおとずれた話を

カテゴリーで書いてきたけれど。

 

 

ふらりと入ったお店は

富山駅からは少し距離のある

昨日触れた伏木港に近い店舗。

 

映画のロケにも関係していたようで

店内に役者さんのサインなどが。

頭の一葉はその店先に吊るされた鮭。

 

 

旅情3で載せ忘れたのは、

トロッコ電車から分岐して伸びた坑道。

黒部ダムを造るためのトンネルの闇に

美しい風景とは別のドキドキがあった。

……浪漫と言うべきか。

名もなき男達が命懸けで工事すべく

進み戻り、また進んだ道。

 

 

そういえば。

黒部峡谷鉄道のトロッコ自体を

写した画も紹介し忘れていた。

今更ながら、浅い紅葉とともに。

 

最後に。

大学の同級にいた落研だった男は

富山は呉羽の出身。

その地は梨の産地なのだが、

富山にある妻の親戚から頂いたのが

超巨大な梨。

直径15センチ、高さ13センチと

梨というより小ぶりな南瓜みたい!

呉羽梨が全てデカいわけじゃない。

念の為断っておく。

 

 

こういう場合のよくあるパターン

マッチ箱が家に見かけなくなって随分。

たまさか買いおいていたチョコ菓子で代用

 

わりと日本各地には顔を出すけれど、

仕事だとホテルと劇場の往復で終わる

 

プライベートで命の洗濯。

選択した富山は大正解だったな〜

 

おしまい。

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富山旅情6〜「しにせ」という音の響きだけで、もう……

2024年11月13日 | ぶらり

「しにせ」という音の響きとか

「老舗」という文字の並びだけで、

もう言い表せない感情が湧く。

 

11月3日から5日と短い富山への旅。

そこでも数々の歴史ある店と出会った。

 

 

日本海に面した富山県には数々の港があり、

その中のひとつ富山市内の伏木港には

階段のみの展望台。5階くらいの高さ。

 

 

道路を挟んだ陸側に石を積み合わせた門。

なんじゃらほいと侵入したら、

イタリアンレストランやら何やら

北前船で財を成した旧家を改装した

レトロポップな店舗だった。

 

 

地酒に食器、化粧した一枚木の

アンテナショップも。

……果たして、集結した店が

すべて老舗なのかどうかを

確認する時間は新幹線の時間迫り

残念ながらなかった。

 

 

宇奈月温泉の老舗菓子店「つぼや」は

富山地方鉄道の駅前という好立地に加え、

歴史とともに新しさも感じさせる店構えで

繁盛していた。

 

向かいも老舗の和菓子店「福多屋」。

切磋琢磨して、宇奈月観光に貢献。

 

 

あ、書き忘れた。

伏木港にズラリと並んだ中古車と船。

ウラジオストクへ輸出するそうだ。

 

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