読書日記

いろいろな本のレビュー

あちらにいる鬼 井上荒野 朝日新聞出版

2022-03-07 11:24:59 | Weblog
 この小説は、作家の井上光晴と瀬戸内寂聴(晴美)の不倫を、井上の娘の荒野が描いたもの。瀬戸内と荒野は父親の不倫後も交流があったらしく、この小説を書くことを瀬戸内に相談したところ、ぜひにと賛成されたのみならず知っていることは話すからということであったらしい。なんともあっけらかんとした感じだ。この作品は、作家・白木篤郎の妻笙子と篤郎と恋仲になる作家の長内みはるという二人の女性の視点で交互に語られていく。

 中身はごく平凡で、この三人の日々の愛欲生活ぶりと家庭生活ぶりが描かれる。読者はこういうゴシップネタが好きなようで、2019年2月の発刊だが、図書館では予約が殺到してなかなか読めないという事態になった。最近文庫化されたが、これも予約でいっぱいだ。これは人気の瀬戸内ならばこその現象だと言える。最近彼女は99歳で他界したが、51歳で出家してから48年、仏門に入ってからの方が脚光を浴びて、小説家としては成功したのではないか。この出家は井上光晴との関係を断つためのもので、この時井上は自宅を新築していた。瀬戸内にすれば井上が家庭を取る意思表示と考えたのであろう。

 この出家事件(1972年)はマスコミで大きく取り上げられたので覚えている。今春聴(東光)大僧正を師僧として中尊寺において天台宗で得度し法名を寂聴としたのだ。私はテレビでその様子を見たが、なぜ今東光が大僧正なのかよくわからなかった。八尾市の天台宗の寺院の住職をしながら「河内物」と呼ばれる作品を発表していた生臭坊主がいつの間に中尊寺の大僧正なんだという疑念が二十歳の自分には晴れなかったのだ。例えば、『こつまなんきん』という小説なんか読んだら実感できると思う。色と欲の河内の人間を描いたもので、後に映画にもなって主演は嵯峨みちこだった。要するに聖と俗は紙一重ということか。瀬戸内は1948年、26歳で夫と娘を棄て出奔した。その後男遍歴を重ねて、作家として独り立ちし、1966年井上と高松へ講演旅行して、恋愛関係になる。この時井上40歳、瀬戸内44歳。ともに成熟した年齢だ。

 小説はこの講演旅行の描写から始まる。初対面からお互いビビッツとくるものがあったのだろう。荒野もその辺を巧みに描いている。どちらも身近な人間だったからかもしれない。井上光晴は貧窮の中で育ち、作品も社会の底辺にある差別と矛盾を被差別者への共感とともに描いている。その井上は艶福家で、いいなと思う女性がいると、全身全霊でサービスするらしい。荒野は言う、「父も根源的な孤独を抱えていました。それを女の人で埋めていたことがあった」と。因みに井上と瀬戸内の不倫が始まった時、荒野は5歳だった。(現在61歳)

 妻の笙子はこの浮気ばかりする夫に愛想をつかして離婚することはせず、最期まで添い遂げている。夫の短編小説を代作するほどの腕前で、娘の荒野は両親の血を受け継いでいるのだろう。結局瀬戸内があきらめて出家しようとしたのも井上を妻から奪うことは困難と判断したからだろう。強い妻である。しかもしなやかである。荒野は母のことを淡々としかも愛情をこめて書いている。この作品の成功の理由もこの母子愛のゆえであろう。

 全体として、不倫という言葉の属性として露わになる、嫉妬・憎しみ・悲しみ等々が前面に出て来ず、それぞれの登場人物をさわやかな感じで描いていることは、すでに故人となった三人のレクイエムとして読めた。