読書日記

いろいろな本のレビュー

ヒトラー(虚像の独裁者) 芝健介 岩波新書

2021-12-12 15:05:23 | Weblog
 作者の芝氏は元東京女子大教授でドイツ現代史専攻。夙にナチスの研究で有名だ。『武装SS ナチスのもう一つの暴力装置』(講談社選書メチエ 1995年)は私がナチスに関心を持つきっかけになった本である。今回は『ニュルンベルク裁判』(2015年)に続き岩波書店からの出版となる。ヒトラーの伝記は数多く出されている中で、本書が出される意味は何であろうかと考えてみた。このオーストリア生まれの、画家崩れの人間が、持ち前の弁舌力でドイツ第三帝国の独裁者となって、世界に厄災をもたらしたことは誠に遺憾で、世界はこれを肝に銘じて独裁者の専制を許してはならないのだが、世界情勢は今や危惧すべき状況になっている。

 いま世界は、習近平、プーチン、と全体主義国家のみならず民主主義を標榜するアメリカにおいてさえトランプのポピュリズムと権力の乱用によって国が危機に瀕したことを目の当たりにしたことは衝撃であった。民主主義の脆弱さを露呈してしまった。それを見透かしたように中国は、アメリカの民主主義は偽物で、中国の専制政治こそが民衆を守るという意味で、本当の民主主義と言えるのだという牽強付会の説を繰り返し述べて共産党を正当化している。トランプの後を任されたバイデンはトランプの負の遺産を帳消ししようと民主主義フオーラムを開いて、中国、ロシアに対抗する西側諸国の連帯を強めようとしている。北京冬季オリンピックに対して政治的ボイコットを呼びかけているが、日本はこれに唯々諾々と従ってはいけない。近隣国の中国とそう簡単に関係を悪化させることはできない以上ここは熟慮する必要があろう。その点今の首相はいささか頼りない。優柔不断であることが大変なリスクになる可能性がある。

 世界の政治指導者において今、ヒトラーがユダヤ人をジェノサイドしたようなとんでもない暴力肯定人間が権力行使している例は見いだせないが、その予備軍的な戦争を厭わない指導者はいる。それに対して市井の一庶民としてこれに抗うすべはないが、常に歴史に学び、政治に対する批判力は付けておかねばならない。一方でこれは国内問題についてはかなり有効に働くのではないか。ヒトラーの権力奪取のプロセスを見ると、参考になることが多い。今の日本を第一次世界大戦後のドイツと単純には比較できないが、弱小政党がポピュリズムを鼓吹して党首の演説力で、市民を引き付けた様子は、今度の選挙で日本維新の会が躍進したことと二重写しになった。「身を斬る改革」というキャッチフレーズと思想性の皆無な候補者の言動はある種の安心感を有権者に与えたことは確かだ。共産党や立憲民主党にはない非常に俗物的な臭いに引き付けられたのであろう。

 彼らを支持したのは貧困階級ではなく、中堅のサラリーマン層が多かったという大学教授の分析が、ネットで公開されていた。彼らは貧困層を憎悪する人々で、自助努力が足りないから貧困なのだと今の自分の生活に自信を持つ新自由主義者であるらしい。あの悪夢の小泉改革を思い出させる話題でぞっとした。あれで非正規雇用を拡大した大学教授は今人材派遣会社の会長で巨額の富を得ている。格差社会をなくすはずの政治が間違って格差を広げてしまった。その元凶が今もテレビに出ているのを見ると本当に腹が立つ。そして先述の政党の元党首は臆面もなくテレビのコメンテーターとして、新自由主義的言説をばらまいて、その広告塔となっている。どうしてこのような人間がテレビに出ることができるのか大いに疑問である。特に在阪のテレビ局と癒着がひどい。ナチのプロパガンダの様子を思い出させる。我々は本書を読んで、ナチスのやり方を学び、これら政治的チンピラに対抗する力をつける必要がある。

 最後に本書ではナチズムとシオニズムの関係が類書より詳しく書かれていた。ナチの弾圧によってユダヤ人のイスラエル帰還運動が促進されたというあの話である。また翻訳書ではないので読みやすいのも特長である。(内容が平易ということではない)巻末のヒトラー伝記の先行書の解説も参考になる。