読書日記

いろいろな本のレビュー

兵士というもの ゼンケ・ナイツエル ハラルト・ヴェルツアー みすず書房

2019-07-16 19:10:58 | Weblog
 副題は「ドイツ兵捕虜盗聴記録に見る戦争の心理」というもので、第二次世界大戦中の英米軍が捕虜にしたドイツ兵の収容所に盗聴器を仕掛け、詳細な記録を取っていたのを、歴史家のナイツエルと社会心理学者のヴェルツアーが分析したものである。その際、個人の行動主体性よりも、「参照枠組み」という集合的概念を重視しているのが目新しい。「参照枠組み」とは人間の認識や行動において目前の状況に対処するための解釈基準のことで、民族や宗教等においてそれぞれの構成員は、その集団の枠組みから自由ではないという考え方である。
 するとドイツ軍においてはナチスの党首ヒトラーのもとでのユダヤ人やスラブ人に対するジェノサイド志向(ナチズム)が、兵士に虐殺を実行させた要因になったということになる。著者は言う、「人間が他の人間を殺すという決断を下すためには、自分の存在が脅かされていると感じ、さらに(もしくは)暴力が正当なものとして要求されているように感じ、さらに(もしくは)それに政治的、文化的もしくは宗教的な意味があると考えていれば、それで十分である。これは戦争における暴力行使だけでなく、他の社会状況においても言える。従って国防軍兵士たちが行使した暴力は、イギリス兵やアメリカ兵たちが行使したそれよりも「ナチ的」だったわけではない。どんな悪意をもってしても、軍事的な脅威であるとは定義しえないような人々を意図的に絶滅するために暴力が行使される場合にのみ、それを特殊ナチ的なものであるということができる」と。これは「訳者あとがき」で小野寺拓也氏が「ドイツだから、ナチだからというよりも、兵士であれば基本的にはどの戦場でも起こりうる問題だという普遍主義的な色彩がある」という風にコメントしているのが印象的だ。ホロコーストの主原因はナチスの反ユダヤ主義だというのと、ドイツ軍隊内の「強い男」という組織の規範への同調圧力が主原因だという論争は昔からあるが、本書では、兵士たちの赤裸々な殺人のありようから、個人の内面を心理学的に考察した部分があるがこれが今後の議論を深めるきっかけになる可能性がある。
 それは、「認知的不協和」あるいは「感情的投資」という議論である。小野寺氏曰く、これをナチ体制に当てはめると、ヒトラーに対する崇拝を続けた人間は、戦況が悪化してもその崇拝がやめられない。なぜなら現実を認めて総統の能力や力を疑うことは投資された感情をあとから無効にするものだからだ。そこで、戦局の悪化が「影武者との入れ替わり」というような荒唐無稽な論理で説明されたりするのだ。そして兵士たちはナチというプロジェクトに余りにも感情を「投資」してしまっていたので、そうした希望を諦めることは、いままでの戦闘やあらゆる感情的投資を一挙に無効にしてしまいかねない。だから人々は希望や願望にしがみついた。なぜ人々はヒトラーやナチ体制と自らを一体化させていったのかという問題を「普通の人々」から考える上で重要な示唆をあたえる議論だと。
 それにしてもドイツ兵捕虜たちが盗聴されているとも知らず赤裸々に、殺人の快感を語る場面には震撼させられる。兵士の仕事だからと言ってしまえばそれまでだが、戦場における殺人も含めて暴力というものをもっと研究する必要がある。