読書日記

いろいろな本のレビュー

もっと言ってはいけない 橘玲 新潮新書

2019-02-23 09:57:36 | Weblog
 「人間社会のタブーを明らかにする」というキャッチコピーが腰巻にある。「この残酷な真実を直視せよ!」として挙げられているのは、日本人は世界一「自己家畜化」された民族/差別の温床は遺伝にある/知識社会に適応できない国民が多いほど、その国が混乱する/年を取るほど、親に酷似する/IQの高い国と低い国がある/日本が華僑に侵されない理由などで、通奏低音は、知能と性格は遺伝するということだろうと思う。知能は遺伝で決まるというテーゼは大っぴら言うことは憚られるが、現実はそれが真実であることが生きていく中で思い知らされることが多い。これはキリスト教のカルヴァン主義者のいう「予定調和説」のようなもので、それは、始めから天国に行ける人は決まっているというものだ。こんな風に言ってしまうと身も蓋もないということで、この種の議論は日の目を見ることは少ない。かつてナチスドイツはアーリア人至上主義のもとユダヤ人やスラブ人や障害者に対するジェノサイドを敢行し、あからさまに遺伝学による優生主義を標榜した。その反省もあって、遺伝問題はナイーブな素材で、扱い方が難しい面があるのだ。
 著者は本書を書くにあたって遺伝学の文献を相当読み込んで勉強した様子が窺える。既知のものもあったが、中には未知で興味深いものも多かった。旧ソ連時代の遺伝学者ドミトリ・ベリャーエフは1948年「環境因子が形質の変化を引き起こし、その獲得形質が遺伝する」というルイセンコの学説に反対したことを理由に降格され、シベリアの研究施設に送られた。因みにルイセンコはスターリンお抱えの遺伝学者で、メンデルの法則を否定したことで知られている。そこでベリャーエフは、メンデル遺伝学の正しさを証明するため、人間になつかないキツネ(ギンギツネ)の中からおとなしい個体を選んで繁殖する実験を行なった。結果、わずか数世代でキツネの個体群はより従順になり、9世代以降顎や歯は小さくなり、真っすぐだった尾はカールした。そして30代が経過する頃には、ヒトになつかないとされていた野生のキツネはペットにできるほど従順になった。これはヒトがオオカミを飼いならし、18世紀以降の品種改良によってわずか数百年でセントバーナードからチワワまで外見も気質も大きく異なる犬種を作りだしたことと同じパターンである。
 この話は著者によると、ヒトの集団も同様の淘汰圧が加わった場合、オオカミがイヌになるように、異なる外見や性格の個体に「進化」する可能性があるという。それを狩猟採集社会、遊牧社会、農耕社会に分けて、とりわけ小麦作のヨーロッパ社会に比べてもはるかに人口稠密なムラ社会で生きてきた東アジア系は、それに最適化するような気質や性格を「進化」させてきたはずだと。そして東アジア系は脳内の神経伝達物質のセロトニン(気分の安定に重要な働きをする)が少なく、うつ病を発生しやすくなるという。日本人とうつ病は親和性があるが、この指摘は興味深い。農耕社会で周りと妥協せざるをえない生活環境の中で、「出る杭は打たれる」社会が出来上がり、その中で、ヒトは気を遣いながら生きてきて、今のような日本人気質が生まれたことは大いにありうる。儒教の思想もそれを後押ししたとみて間違いはない。道徳的に生きることが美徳とされる社会ではヒトは基本的に内向的である。これが良いのか悪いのか。道徳も小学校の教科として実施されることは、将来的に国民をますます内向きにす可能性がある。気質は遺伝するのだから。これが本書のいう、日本人は世界一「自己家畜化」された民族の意味である。家畜は飼い主ではないのだから、生かすも殺すも飼い主次第ということになる。自己規制の働く資質がこれ以上形成されると一種の奴隷根性が蔓延しかねない。これでグローバル化の世界で生き残ることができるのか、はなはだ心配である。オリンピックが近づいて、盛んにおもてなし、クールジャパンとか言っているが、卑屈な奴隷根性の裏返しと見抜かれないようにすべきだろう。