読書日記

いろいろな本のレビュー

哲学の起源 柄谷行人 岩波書店

2013-03-10 13:38:44 | Weblog
 著者は前著『世界史の構造』(岩波書店)で社会構成体の歴史を「交換様式」から見る試みをした。それには四つのタイプがあり、A互報(贈与と返礼) B略取と再分配(支配と保護) C商品交換(貨幣と商品) D=Xを想定した。これについて著者の解説があるので引用する、「この中で、通常『交換』と考えられるのは商品交換、すなわち交換様式Cである。しかし、共同体や家族の内部で見られるのは、そのような交換ではなく、贈与とお返しという互酬交換、すなわち交換様式Aである。つぎに、交換様式Bは、一見すると交換とは見えないようなタイプの交換である。例えば、被支配者が支配者に服従することによって安寧を得るというような交換がそれである。さらに、交換様式Cは、一見すると自由で対等な交換でありながら、貨幣を持つ者と商品をもつ者の間の非対称性があるため、それがBのそれとは異なるタイプの階級関係をもたらす。最後に交換様式Dは、交換様式Aが交換様式B・Cによって解体されたのちに、それを高次元で回復するものである。言い換えれば、互酬原理によって成り立つ社会が国家の支配や貨幣経済の浸透によって解体されたとき、そこにあった互酬的=相互扶助的な関係を高次元で回復するものがDである。Dに関して重要な点は、第一に、A・B・Cと異なり、想像的な次元に存在するということである。またDはたとえ想像的なものであるにしても、たんなる人間の願望や想像ではなく、むしろ人間の意志に反して産まれてくるものである。以上の点は交換様式Dがまず普遍宗教において開示されたということを示唆するものである。」以上が四つのタイプの説明であるが、普遍宗教は本性的に社会主義的な運動であった。
 世界各地の社会運動は19世紀半ばに至るまで、普遍宗教という衣裳のもとでなされてきた。それ以後、社会主義運動は宗教性を否定して「科学的」となった。しかし、そのような社会主義は交換様式BやCが支配的であるような社会しか実現しなかったため、魅力を失ってしまった。(ソビエト共産党の崩壊など)しかし交換様式BとCが支配的である限り、これを超えようとする衝動が絶えることはない。その交換様式Dは宗教というかたちをとることなしにあらわれることはないのか。その最初の事例をイオニアの政治と思想に見出したのが本書の執筆動機であると述べる。
 著者の問題意識はこの交換様式ABCを止揚したDのありようを探ることにあると思われる。古代ギリシャのポリス(都市国家)の中でアテネは民主政治(デモクラシー)を実現したが、これが今日の政治体制のあるべき姿として志向されているが、その限界も見えている。共産主義がその解決法であると考えられた時代もあったが、それもことごとく体制矛盾を引き起こし崩壊して、残るのは世界で数カ国しかない。しからばいかなる国家のありようがよいのか。イオニアはギリシャのポリスに先立って民主化を実施していたが、そのキーワードはイソノミア(無支配)である。ハンナ・アーレントは「市民が支配者と被支配者に分化せず、無支配関係のもとに集団生活を送るような政治組織の一形態を意味していた。この無支配の観念はイソノミアという言葉によって表現された。」と述べている。このイソノミアがイオニア諸都市で現実に存在し、イオニアが没落後に他のポリスに理念として広がったのであるが、イソノミアがなぜイオニア諸都市に始まるのか。そこでは植民者たちがそれまでの氏族・部族的な伝統を一切切断し、それまでの拘束や特権を放棄して、新たな盟約共同体を創設したからである。それに比べるとアテネやスパルタのようなポリスは氏族の盟約連合体として形成されたため、ポリス内の不平等、あるいは階級対立として残ったために、そこでイソノミアを実現しようとすれば、デモクラシー、すなわち多数決原理による支配しかなかった。
 イオニアでは土地を持たない者は他人の土地で働くかわりに、別の都市に移住したため、大土地所有が成立せず、貧富の格差が生じず経済的にも平等であったためイソノミアが実現した。またイオニアの思想家たちはポリスの思想家で普遍的な倫理を考え、同時に自らが選んだポリスの中にそれを実現しようと考えた。イオニアの思想家は、倫理あるいは人間についての認識を「自然学」の観点から語ったのである。それは人間と世界を一貫して自然として見ることである。彼らはそのような普遍的視点をはじめて語ったのだ。それはイオニアの政治(イソノミア)と切り離すことができないと著者は言う。
 プラトン・アリストテレスに先立って、自由なポリスで思索されたイオニア学派(自然哲学派)の存在をクローズアップして「哲学の起源」とした。ここではカントが『啓蒙とは何か』の中で述べた「公」と「私」の問題も含まれている。カントは、国家の立場で考え行動することは私的であり、普遍的(世界市民的)であることが公的なのだと述べた。それは真に公的であるためには国家を越えた私人でなければならないことを意味する。即ち各人が国家の中にありつつ世界市民として判断し行動せよということだ。イオニアの思想家たちはその思索を実現していた。それが政治に反映されることで交換様式Dの普遍宗教に変わるものになることができるのだろう。多数決は民主主義の原理だが、それは本質的に「貧困」という問題に動機づけられている。従って格差問題で揺れる現代社会はギリシャのポリス同様、多数の貧困層に支配されることになる。イオニア的世界観・政治体制は夢幻のかなたにある。