来るたびに生活の気配のない家屋が増えている。農作業をす売る姿やトラック、庭に干された洗濯物があればほっとする。
時に見かける県道沿いや庭に止った自家用車は、盆休みを利用しての帰郷だろうか。親たちが暮らしていればこそ、子どもたちが孫を連れ帰れる場所が維持できる。
「一代限り」との言葉をよく耳にする。国策による少子化の人口減少を推し進める日本の危うさ。老老介護の限界を感じ、山里を出た人から話を聞く。
「町に家を買いリホームして、妻と私自身の病気のために、病院へも通っているがどちらか一方が駄目になれば終わりよ」。と 自身の通院でも片道2時間?の距離。体力的にも無理がある。もう、疲れた。」
「子どもたちが県内の数10㌔内にいて、顔を覗かせ手伝ってもくれるので助かっている」「いっしょに暮さないかと言ってはみるが、『仕事がないし原発はある…』、わしらの代で家も空き家よ。まあ、しかたないな」。
まだ、町に住む人たちは隣近所や買い物をする店に、バスも通っているのでよい。ドライブ先で見かける空き家や廃園と廃屋の点在する集落となると、へき地ではなく限界集落。どういう暮らしをしているのか不思議に思う。
買い物や通院もままならない状況。運転免許証返納をとは考えても代わりの手段が必要だ。一代限りはその地域での居住と暮らし、故郷が無くなるだけでなく、子孫が途絶えるということ。国の政治屋たちには他人事、どういう意味か考えもしないだろう。
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