【 地 軸 】 2017.8.8 地方紙1面下段コラムより
[ 梅干しが一つあれば、ご飯がどんどん進む。弁当でもおなじみだが、ご飯を詰めた弁当箱の真ん中に、梅干し一つ置いただけの日の丸弁当は、今ではほとんど見られなくなった。
▲国策で、この弁当が奨励された時代があった。1939年、毎月1日が戦場の労苦をしのぶ興亜奉公日と定められ、この日は日の丸弁当。戦意を高め、質素を心掛けるために。
▲戦況が悪化した戦争末期、コメは貴重品となり、それさえ食べれなくなった。戦中派にとって、当時の食生活は思い出したくないつらい記憶。
▲行政でよく問題になるのが「のり弁」。情報公開請求に対し、かなりの部分を非公開だとして黒く塗った文書を出す。先日、小池百合子都知事の講演を聴いた。情報公開徹底へ「のり弁から、日の丸弁当へ」と職員に指示しているという。梅干しに例えた非公開部分は、個人情報など最低限。
▲獣医学部新設を巡る今治市の文書で、その「梅干し」に注目が集まる。市職員が2年前に官邸で面会した相手を明らかにしてほしいとの、内閣府の問い合わせに、市は「業務に支障が生じる恐れがあり、答えられない」。記憶を残していないとする国が、公務で会った国の職員名を訪ねている今回、通常の個人情報とは事情が違うはずだが。
▲稲作農家が誇らしげに言う。「いいコメは、ご飯だけで食べるのが一番おいしい」。行政が情報公開で目指すのは、銀シャリ弁当であってほしい。]
( 忘却への扉 ) 子どもの頃自家製の梅干しは食べたが、日の丸弁当は食べれなかった。農家なのに水害で田んぼを流され、コメではなく麦が主食のわが家だった。
だが、当時の食生活がつらい記憶はない。食べる物があれば、雑穀でもさつまいもでも山の木の実もごちそうさまだった。
母は満足に栄養のあるものを食べさせることができなかったと、やせた体の私にした責任を感じ悔やんでいた。戦中、食べ物が貴重になった戦地でも、兵士は苦労しても、上官たちは贅沢だったとの食い物のうらみ話はよく聞いた。
大手のコンビニでおにぎりをよく買って食べるが、美味しいコメと黒い焼きのりで巻かれている、でも食品添加物はったっぷりでごまかした味。国家もどっぷり戦争へと共謀罪や情報隠しなど重なり、慣れを恐れる。
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