羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

窓があるので

2013年10月10日 | Weblog
窓と空と雲が好きだ。
小さい頃から好きだった。
誰かのお宅におじゃましてそこが階上だった場合、
どうしても窓が見たいと思った。

時刻表と列車の旅が好きだった若い頃はもちろん、
窓側の席が大好きだった。
恋人と旅行した頃も、彼はいつも窓側にわたしを座らせて、
窓外の景色を一心に眺めているわたしの傍らで静かにしていた。

だから今でもバスがすきなんだと思う。

「視ること、それがすべてだった。」(梶井基次郎)

京都でのんびりしようと計画してまず列車の窓側席を確保し、
それからホテルである。
それはもうたくさんあって迷いに迷う。
昔、京都に一人で行って姫路の友人と会ったときは、
格安宿舎にした。
でももうこのトシなので安ければいいってもんでもない。
一昨年長崎へ一人旅したとき、交通便利だからと駅前のビジネスホテルにしたら
何となく違和感があった。
だからといって大きな観光ホテルには気後れする。
それで、いろいろ考えてひとつ決めて、
「この部屋の窓からは外の景色が見えますか?」と質問しておいた。
ホテルの部屋写真をつくづく検証してもわからなかったのだ。
そうしたらすぐに返信がきた。
「眺望の良い上階のお部屋をご用意してお待ちしています」

けしてハイクラスではない普通のホテルだと思うが、この返信は嬉しく、
こころが弾んだ。
みること、窓のむこうに想いが流れ出ていくこと、うごくものがあり、
うごかないでみている。みているじぶんを感じること。