「後出し 勝ちじゃん じゃんけんぽん。」
「後出し 負けじゃん じゃんけんぽん。」
普通のジャンケンではなく、先に出した人に対して後出しして、指示通りにだすのである。孫たちに教わった。反射神経が問われるのである。
寝たきりの父を見舞いに行き、後出しジャンケンを教えて、ゆっくりやってみると、ちゃんと反応するのである。話を一生懸命しようとする。ジャンケンがうまくいくと「凄い!!」と、言うと、お腹をふるわせるほど、顔もくしゃくしゃにして笑う。
しかし、今日は寝ていて、肩をとんとんたたいても、少し口を開けていて意識があるようでない。弱っていく姿を見るのがつらい。
母を実家まで送ってお茶を飲みながら、しみじみ話した。寝たきりになって意識がはっきりしていることのほうが辛いのではないか、まどろんでいるような状態の方が、本人は幸せなのではなかろうかと。母は「もう、よう頑張ったし、お迎えが来てもいいと思うわ・・」と、言う。
宗教が本当に必要なのは、死んであの世に行った時ではなく、このまどろんでいる状態にお釈迦様が見えるか見えないか、それを見守るわたしたちに、それを信じることができるかどうかなのだと思うと泣けてきた。
大切な人を、徐々に失っていく時の辛さを、また体験しなくてはならない。ここは母を守ってもうひと踏ん張りしなくてはならない。わたしの強みは元気であること。西方浄土に殿と爺ちゃんがいることをわたしは本当に信じてはいない。もし、信じてしまったら、早くそこへ行きたいと思ってしまうからだ。まだまだやらなくてはならないことがある。