まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

苦手なもの

2017-09-04 | 暮らし

苦手なものは蛇だ。蛇が苦手ではないという人は少ないだろうが、マムシは特に危険だ。

実家へ行ったら、叔父が三匹見つけて、赤い網袋に二匹捕獲した。と、いう事は一匹生存しているわけだ。スズメバチも山の上にいるとの事だった。蜂も苦手だ。

叔父はこの後、皮を剥いて持ち帰ったそうだ。どうするのだろう。山で育った叔父は、素早く蛇を捕まえる。わたしは、マムシの存在すら知らない。どんな蛇でも見たらひたすら逃げる。

苦手なことと言えば、朝が苦手だ。要するに睡眠が足りていない。睡眠不足は、癌や認知症になりやすいそうだ。そういえば、会社勤めをしている時、朝からハイテンションの人には近づきたくなかった。苦痛に感じるのは、血圧が低いせいだと思っていた。

酒も飲まないのに、女の人を面と向かってほめる人も苦手だった。もっと嫌なのは、みんなと一緒に飲んでいて「今度〇〇ちゃんを誘ってきて。」と、言う人がいた。自分で誘えばいいではないかと思ったので、その人をその集まりに二度と呼ばなかった。

喧嘩も苦手だ。喧嘩するほど仲がいいというけど、そうではないと思う。喧嘩はストレスになる。仲が悪いから喧嘩するのだと思う。しかし、喧嘩が出来るのは親密な関係ではある。

会社で喧嘩している人は、親密でもなんでもなく、ただ自己主張が強く、こらえ性がないだけの人なので苦手である。そういう人は相手のことを理解しようとせず、自身のイライラを相手にぶつける。ぶつけられた方は多大なストレスの後、その人から遠ざかることを考える。とにかく、苦手な人からは遠ざかるのが得策だ。スズメバチも、マムシにも、出遭わないことが一番なように。

秋の気配を感じる今日この頃だけど、朝顔がまだ咲いている。苦手なことを数えないで、綺麗なものを見よう。楽しいことをしよう。でも、危険予知は大切である。苦手というのは、危険予知でもあるのでは?

危ないものに近づかない。危ない人から遠ざかり、ストレスを溜めない。


夫婦の形

2017-09-04 | 暮らし

以前、弓道の女子会でお酒を飲んだ時、大柄な先輩が言った。「もう、この年になったら、指一本ふれんわ。」と、豪快に笑った。先輩夫婦は仲がいい。もう誰も勝てないと思う。長い間寄り添って生きてきて、男と女を越えた夫婦には神聖なものすら感じられる。

母が父を見舞う時、父はわがままを言う。わたしには飛び切りの笑顔を見せるが、母の前では不機嫌になる。これが夫婦なんだと思う。父と母の間には、娘でも太刀打ちできないものがある。

殿の最後の時も、一秒も病室を離れられなかった。わたしがいないと目で探しているのが分かると娘たちは言った。最後の一秒まで寄り添えるのは夫婦なのだ。そこには、好きだとか、愛しているとかいう言葉を超えた何かがある。

大恋愛の末結婚しても、40年も過ぎると、会話が少なくなって、綾小路きみまろではないが、「あれから30年・・・」と、言う状況になるのかもしれないが、それでも孫の前では、夫婦が同じ方向を向いて笑っている。例えば、子どもがいなくても、一緒に食事をして、元気でいることのしあわせを当たり前に感じている。当たり前に家にいることで、みんな少し油断している。

そういうことがあったなという思い出に感謝して、大切に生きていくのも役割かもしれない。ちょっと寂しい時、暗い歌が心地よいのだそうだ。そして、暗い歌を知っている人は優しい。心が少し病んでいる人は愛おしい。寂しい人のそばにいたいと思う。わたしと姑が仲がいいのは、そういうことかもしれない。