マスコミ・報道の罪
以前にもこのブログで書いたが、私の子供時代1950年代、朝鮮半島は南北の戦争後の最も苦しい時代で、子供の私でも「南朝鮮は貧しい国」という認識だった。しかしその貧しい南朝鮮が李承晩大統領の指揮の元、日本海に「李承晩ライン」なる線引きをし、それを超えた日本の漁船が朝鮮側に拿捕されるというニュースがラジオでよく伝えられていた。半島と日本との歴史を何も知らない小学生の私は当時の南朝鮮に反感を抱いたものだ。ちょうど今の日本人の大半が「拉致問題で朝鮮を無条件に非難する」のと同レベルだった。当時私は小学生高学年だったが、今の日本人の歴史に対する知識や認識は小学生レベルと言えよう。
ふだん生活に追われ、歴史を深く考える余裕のない一般大衆にとって、テレビニュースは最も手っ取り早い情報源である。
しかしテレビの報道の在り方を握っているのは時の権力だ。時の権力は時にウソを言い、知らせるべきを知らせない存在であることを日々見ながら他の見方を知らない人々はまことしやかなテレビに登場する解説者の言うことをつい信じてしまう。
「スーツを着た銀行マンを泥棒や詐欺師だと思わない」のと一緒。
大学教授や官僚の言うことをまさかそんなでたらめを言うはずがないと。「人は見た目だけで判断してはいけない」とはよく言われることだが。どんなにいいスーツを着ていても信ずる気になれない唯一の公人は麻生財務大臣だけか。
NHKは特に罪が深い。受信料を取っているのだから、国民のためになる報道をするのが義務のはずだが、紳士・淑女的装いをし、政治的中立演出し、人々を騙す。
決定的スクープはNHKからは出てこない。「予算の承認を国会に握られているから時の与党勢力に逆らえない」と言われるが、金を出しているのは政府ではなく視聴者だ。NHKが真実の報道をすれば視聴者はこれを応援する。「知りたいのは真実だ」。
でたらめが極まって来た安倍政権を退場させられないのは野党がだらしないからだとか、民主党政権の時のトラウマだとか、だから仕方なく安倍政権が支持されているのだとかマスコミは言う。このいい方にもウソがある。民主党のどこがだめで、自民党がどこがよいのか分析する言葉を聞いたことはない。
駄目だったのは民主党に巣くう「松下政経塾一派」だった。かれらはもともと与党である自民党の国会議員になりたかったのだが。席がないため民主党の旗のもとに寄って来ただけ。
いろんな事情を持っているのは自民党も同じだろう。ただそんな2大政党制を無理矢理作ろうとした「政治改革」なるものが間違っていたということだ。
新しい政治勢力作るのは国民自身だ。