木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

学校以外の交流と学びの場が必要

2018年05月16日 | Weblog

洗脳は学校教育から
政治を完全に私物化している安倍政権を追放できないのは若い人が安倍政権支持だからという。団塊世代の私には腰を抜かしてしまうような話だが、90年代ごろからアナクロな右派の巻き返しが始まって、それに左派が適切に対応できなかったことが今日の惨状を招いたという。
ソ連が解体、東ヨーロッパ諸国がそれに習って建前上の社会主義を捨てたことが大きいだろう。
日本の場合、弱肉強食の新自由主義と戦前回帰の右翼指向が結びついてこの20年、政治、マスコミをおおってきた。
戦前の国民総軍国主義化は学校教育から始まり、少年少女達は一気にそれに染まっていった。同じことが目先を少し変えて学校教育で進んだ結果、「安倍政権支持」の核を若者が担うようになったのだ。
文部省は先生たちを管理の奴隷になるよう導いた。書類づくりと報告に追われて考える時間と生徒に向き合う時間を奪った。
考え、討論する時間を奪われると上から下りて来たマニュアルに従うしか能が無くなり、事実を矮小化した歴史教科書はアジアと向き合う目を若者から奪っている。

「明治150年」を称揚する気はないが、それまで身分制に阻まれていた「一堂に会し、広く論議する」というスタイルが広がり、こんにちから見ると驚くほど若い年令で社会を動かしたのだという歴
史事実は明治の明の姿だと言えるのではないだろうか。
自由民権運動発祥の地といってもいい土佐高知では「夜学会」盛んに開かれ、そこから自由民権運動の基盤が作られていったという。
今その「夜学会」にならい、現代の「夜学会」が元通信社の記者を中心に、憲法とは、国家とは、といった内容を市民が根本から問い直し自分の考えを主張する会が2015年一月から始まったという。金曜日の夜に開き、10数人の小さい集まりながら、中心商店街の空き店舗を会場に誰でも立ち寄れる会にしているという。
スマホなどない時代、人は何か人だかりがしているとそこへ集まっていったものだ。何を話しているのか、どんな主張をしているのか、そういう気軽さを失わせる世の姿がネットの誘導に従ってしまう風潮を助長しているように思う。

コメント
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