木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

憲法25条の具体化へ

2009年05月07日 | Weblog
日本国憲法」を改めて考える。
「憲法」と言えばまず戦争放棄を宣言した9条だが、ここ10年来の「ワーキングプアー」や去年後半あたりから顕著になった「派遣切り」問題から「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を謳った25条も国民の大切な権利として考えなければいけない時代だ。
5月3日のNHKETV特集は「今憲法25条、生存権を考える」として、「自立生活サポートセンター・もやい」事務局長であり、日比谷公園の「年越し派遣村」村長を務めた湯浅誠氏と、90年代初めから「新自由主義経済」なる資本主義の暴走に批判の論を展開してきた経済評論家の内橋克人氏の対談を組んだ。
湯浅氏は、失業、病気などで、社会的セーフティーネットから零れ落ちた人たちをサポートする「反貧困」の活動家だが、日本社会にある岩盤を感じ、それを打ち崩す困難さを訴えた。彼の言う「岩盤」とは「自己責任論」であり「働かざる者食うべからず」といった日本社会に昔からある精神論であり、ちょっとした不運や偶然で社会生活から滑り落ちてしまった人たちへの冷たい目である。
この「岩盤」を乗り越えていく力は「政治の力」ではないかと私は思うが、まあ、今の政界に挑戦することは、湯浅さんのような人にとっては、徒労意外の何物でもないかもしれないが。
内橋氏は、新自由主義と言われる経済主義は効率一辺倒というが実は最も非効率なあり方だったとする。
派遣、契約、外部委託といった働き方、働かせ方は、責任の所在をあいまいにし、仕事の質を下げ、士気を低下させ、その企業の衰退、ひいては崩壊に向かわせる、ということは今回の「金融危機」でかなりはっきりした。
今私達がはっきり自覚しないといけないのは「貧困が生まれるのは社会の責任」であり「個別の問題に目を奪われては駄目」ということだ。
湯浅氏は「活動家学校」を設立したといい、社会的に作り出されている「貧困」に対決できるスキルを持った人を増やすことに踏み出したということは、それが土台になって「新しい政治勢力」の可能性の第一歩かなと思うし、
内橋氏は「共生経済」と言う考え方で、食料、エネルギー、介護の各部門で、新しい支えあいの経済を日本各地を回って提唱している。
「資本主義」か「社会主義」か、と2項対立で考える時代ではないような・・・。
コメント (3)
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