「木漏れ日」1号ではもう一つ、「あなた達を忘れない」という文を書いた。
近頃、世の中の右傾化ということがよく言われているが、特に若い人にその傾向が顕著だとも。
その大きな理由が、過去の、それもごく近い近・現代の歴史に無知であることに原因があるのではと気づいたことがこの文を書くきっかけだった。
「学校で教えられない近・現代史」。
教師の責任は大きいと言わなくてはならない。古代から始まって、中世、近世、近代と流しているうちに、もう学年末が迫ってきて、明治時代ぐらいで授業はおしまい。
「後は教科書を読んでおきなさい」というパターンが続けられてきた結果が「歴史への無知」→「右傾化」すなわち自分達に都合のいい歴史を作り上げるという流れに簡単に乗ってしまうという事態を呼んだ。
学年末になって時間が足りなくなることはわかっているのに、授業の時間配分や形態を変えようともしなかった多くの教師がいた。
日教組は、政府与党が戦後、一貫して推し進めようとしてきた「教育の国家支配」に対抗するために、そのつど、戦ってはきた。
「勤務評定反対」、「全国一斉学力テスト反対」、「中央教育審議会答申反対」
「学校現場での日の丸掲揚。君が代斉唱反対」
なんでも反対の日教組に社会党と言われた。
しかし、政治対決に終始して、肝心の教育内容に対して、現場からの独自の提案が弱かった傾向がある。
労働組合活動の弱点だ。特に教員の労働組合は、賃上げ、待遇改善だけを要求していれば良いというものではない。
毎年日教組主催で「教育研究集会」が開かれ、そこでは教育の現場で起きているさまざまな問題が提起され、議論されるという場はあったが、それが運動として、全国の教師に浸透すると言うところまで行かなかったような気がする。
組合幹部が労組の幹部という意識で、教師のリーダーという意識に欠けていたようにも思う。
これは、はるか20年以上前、教員だった頃を思い起こしての感想だが。
今、日教組の全教員に占める組織率は、30パーセント以下か。
教員組合自体がいくつかに分裂している状態だ。
阿部内閣のもと「教育再生会議」の国家主義的教育再生に、現場の教員の代表の声が聞こえてこない。
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