木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

互いに自立し互いに助け合う。これからの生き方

2019年01月02日 | Weblog

2019年を迎えた。
当地(長野市南部)は風もなく実に穏やかな天候で、出かけたくなる気持ちになる元日だった。
私は大病をしたし、混んだところへ行くのはきらいな方なので、年賀状の返事を近くのコンビニに出しに行っただけだったが。
年末NHKの「事件の涙」について投稿したが、自殺した元九大院生の前日は入水自殺した西部邁氏の家族から見たドキュメントだった。
亡くなった西部さんには失礼だが全く共感できなかった。
氷河期と言われる時代に遭遇して苦しんだ40代の切実さに比べて戦後の高度経済成長期に青春時代と壮年時代が重なった後期高齢者世代のなんというお気楽さ。
西部さんの後期人生は同伴者であった妻がガンに冒され苦しんだ末先に逝ってしまったことで浮遊した。
病院に入院していると「退院して家へ帰りたい」という願いを持つのが当然のように言われるが、そばで世話してくれる人がいるのが前提だ。しかしそんな存在が無ければ簡単に退院は出来ない。
私は一人暮らしなので何とか自分で日常生活が送れるまでは「退院は無理だ」とわかっているから「退院したい」などとは思わなかった。
病院にいれば食事はちゃんと出て来るし、看護師さんが見守ってくれる。
病院は嫌だ、施設に入所したくないなどと言うのは家族が世話してくれるという前提があるからで、西部さんもそうした助けを借りながら人生を全うすればよかったのだと思う。
病院や介護の在り方など改善するところはいっぱいあるだろうけど、「家族に迷惑かけたくないから入水自殺する」なんて、他人に迷惑かけているでしょう。
これからの時代「自分のことは自分でする」生活態度を身に着けることが教育の第一歩と考えたい。できない場合は助けを求める。家族にもたれかかるのではなく。

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