木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

沖縄米軍基地撤去に原発廃炉

2012年05月20日 | Weblog

沖縄復帰40年。
70年代前後、社会変革運動のスローガンの一つは「沖縄を返せ」ないしは「沖縄奪還」だった。
沖縄は日本復帰を果たしたが、このスローガンにこめられていた思いとは「米軍基地のない沖縄を返せ」であり、アメリカにひざまずくことのない日本を取り戻すことだったはずだ。
それはこの40年まるで果たされず、むしろ「日米同盟深化」の名の元にアメリカの軍事戦略により深く組み込まれるに至っている。
沖縄の米軍基地は何のためにあるかと考えると、それはもうアメリカ自身の、中国と太平洋地域に睨みを利かせるためだけでしかない。しかも日本の金で。
今NHKで江戸時代末期の琉球の置かれた状況を描いた「テンペスト」というドラマを再放映しているが、ドラマとしての荒唐無稽さはあるものの、この時代は薩摩の力の前に悩む琉球がある。
そして明治時代に入ると日本国に強引に組み込まれて「皇民化」が施されていく。その究極が太平洋戦争末期の沖縄住民の地上戦の犠牲だ。
沖縄に派遣された日本軍自体、自分達が捨石として送られてきたことをよく承知していて、避けられないであろう死を予感して、軍の幹部達は首里近辺の遊郭に入り浸り、果ては壕にもそうした女性達を連れ込んでいたという。
最前線の戦場に慰安婦がいたのと同じ構図だ。
そして沖縄で「鉄の暴風」と言われたアメリカ軍の攻撃に逃げ惑い、のたうって多くの人々が犠牲になっている時に、長野県の松代では象山、舞鶴山、皆神山などの麓に東京から天皇以下大本営、政府機関を移転させるべく、地下壕が昼夜敢行で掘られていた。
沖縄を捨石として松代の地下壕は掘り進められていた。労働者は植民地朝鮮から連れて来られた男達である。家族と共に仕事を求めてやって来た人達もいた。
松代は江戸時代真田十万石の城下町で、そうした史跡も多く残っているのだけれど、それ以上に「地下壕の案内を」という依頼が多い(私は町案内のボランティアをしている)。
沖縄と松代は一つの線上にある。

沖縄米軍基地と原発立地。
この二つも同じ構図の上にある。迷惑で危険な施設。しかしそれに依存して生活を立てている人々がいる。
しかし沖縄の場合、日本政府からの補助金は一部の利権屋だけが甘い汁を吸う構図になってしまっていて、健全な経済活動を妨げているという。
基地の存在が沖縄の発展を邪魔している。
原発立地自治体も一基だけでは済まず、二基、三基と原発誘致にはまり込んできた。
原発廃炉の町のその後
原発で働いて来た人達の次なる雇用を考えなければならないが、22年前廃炉になった東ドイツのルブミンという町のその後を伝えたドキュメンタリーを見た。
ここは事故で廃炉になったわけではないので、長いタービン建屋を利用して今は大型のパイプの解体や溶接、修理などが行なわれる工場になった。
その上、北に開いた港があって積み出しも便利。
放射能汚染物質の問題があるから簡単にはいかないだろうけど、廃炉に舵を切れば雇用は創出できる。
「原発廃炉産業」、そして原発にかわるクリーンエネルギー産業、これで生きる道を見出していくことを考える時期に入ったと思うのだが。

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