木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

大阪府知事当選の橋下氏のパフォーマンスはやり過ぎ

2008年01月29日 | Weblog

大阪府知事に橋下徹氏当選。
自公の推薦を受け、選挙を支えてもらいながら、「改革」を訴えるという、詐欺的手法だが、知名度と、度を越した弁舌で、「お笑い好き」の府民の心を捉えた結果だ。
小泉純一郎の「郵政民営化選挙」に酷似した現象だ。「改革」を訴えるフリをして、実は国民の金を掠め取る。立派な詐欺だった。
詐欺はだます方が一番悪い。しかしだまされるほうにもスキがあるので、成立する。
東国原宮崎県知事が当選した場合と同列視する意見もあるが、それは違う。
東国原氏の場合は、既存の保守勢力が担いだ候補を破っての当選で、今までのしがらみを嫌った県民の支持を受けた結果だ。
みじめなのは民主党だった。だいたい大阪の民主党は、直前の選挙まで自公との相乗りだった。
それが小沢民主党代表の「自民との相乗りはしない」との方針により、独自候補を立てただけだから、力が入らない。
幹部や夫人達も大阪入りして応援弁士になったが、今までの地方議会での民主党のあり方から考えると、しょせん、パフォーマンスにすぎない。
本当は、70年代の社共の統一候補が、対立候補としてのぞましいのだが、どうもこの護憲・平和・生活者重視を主張する両者が、共同行動を取ろうとしてないように見えるのは、日本国民にとって不幸なことだ。
地方の議員の実態を見ると、社民党のほうにより問題があるように感じるが。彼らは、自民・公明・民主と一緒に、議員の特権と、甘い汁のほうに吸い寄せられている。
社民党と共産党が歩み寄るためには、より度量の大きいほうが、一歩相手のほうに降りていく、というのが解決法だと思うのだが。
共産党側の決意(日本のこれ以上のアメリカの属国化を食い止める、人間らしい生活を普通の人に取り戻させるという使命感)に期待するしかない。
そうすれば、多くの無党派の人々がその周囲に集まるだろう。とこういう考え方は70年代的思考を1歩も出ていないことかしら?
橋下氏は選挙の終盤、乗りに乗って、選挙カーの上で、動き回りながら、意味不明なことを叫んでいたが、明らかにやりすぎだ。
これが頂点で、これから彼の首長としての評価は、さがることはあってもあがることはない。
そこへいくと、小泉氏や、田中真紀子さんは、なるほど不特定多数の街頭の聴衆をひきつける才能はあるが、決して「やりすぎ」てはいなかった。
そこが何十年も政治で食べて来た者と、テレビでもてはやされて、引っ込みがつかなくなったような、素人政治家との違いでは。
やりすぎると、目いっぱいになってしまって、次の手が打てない。だから出したくても、ちょっと手前でやめておくのが、彼らのやり方だったなあーと、テレビを見ていての、これは感想。
最近、大阪へは行ってないが、大阪と京都の違いは、もともと大阪発祥の大手企業が軒並み、本社を東京に移してしまっているのに、京都の中核企業は、本社機能と、核になる研究部門などは京都に残していて動かしていないという。
大阪人は東京への対抗意識を口にするわりには「ヘタレ」のようだ。



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