木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

ウクライナで思い出すこと

2022年02月22日 | Weblog

今日も雪が降ってとても寒い。
ニュースはウクライナ情勢の風雲急を告げている。
ウクライナの首都キエフには旅行でいったことがある。海外旅行が盛んになり始めたころ、学校の教師をしていた私は夏休みを利用してよく海外にでかけていた。
最初はスペインやイタリアのローマとかに出かけていたが、そのうち皆があまり出かけないところ、キューバとか旧ソ連に足を延ばすようになった。今になれば貴重な体験だった。
キューバではあのカストロらがフロリダ半島から再びキューバに乗り込んでいったヨット「グランマ号」を革命博物館で見た。その船の小ささに驚いた。「えっ、これ」とにわかには信じられなかったが。
さてキエフ。特に印象はないのだが、確か歌手の加藤登紀子さんがこのあたりの歌を採譜して日本に紹介していたのではなかったか?
加藤さんはお父さんが京都でロシアレストランを開いていていてそこの名物がたしか「キエフ風カツ」。
若いころ京都に住んでいたので食べに行ったことがある。
ところで旧ソ連は多くの兵士が第一次世界大戦から第二次世界大戦の間に犠牲になった。一番犠牲者が多かったのはドイツでもなくイギリスでもなくソ連の人たちなのだ。
革命が起こるはずだ。しかしウクライナ人はこの時も今度は革命の犠牲者になった。複雑な地域だ。
私たち日本人はロシア由来の歌が好きだが、「ともしび」とか「カチューシャ」とかはソビエト時代になって作られた歌だ。
しかし第二次大戦末期ソ連兵が満州に進撃してきてここにいた日本人がひどい目にあったというので、「ソ連嫌い」が多い。しかしこれは満州にいた日本人を見捨てた日本軍=関東軍がいけないのであって非難するならこちらを第一にしなければならない。
ロシアの歌を広めたというのならダークダックスの存在を忘れてはいけない。ラジオから流れて来たのはダークのハーモニーだった。
イタリア映画の「ひまわり」は確かウクライナあたりが背景ではなかったか。戦争から帰らぬ夫を探しに行く妻はソ連で現地の女性に助けられその女性と一緒になった夫を見て去っていくというストーリーではなかったでしょうか。ソフィア・ローレンと大地いっぱいのヒマワリが印象に残っています。
翻弄される地域です。社会科の授業では「穀倉地帯」と教わりました。それゆえ食糧供出で現地の人々が飢え死にした歴史も。スターリン時代か。

 

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