今日は「敬老の日」。だが祝日と日曜が重なると翌日に祝日がずれるので、もう何の意味もなくなった。
私も高齢者の一人だがこれだけ高齢者が増えている時代、「敬老」の意味って特にないんじゃないかと思う。
年を取ると身体の不具合が増え、認知機能も衰えていくが、これは仕方のないことで、その分社会的に支援を受けなければならない。「敬老の日」などやめていい。
昨日は長野市会議員選挙の投票日。期日前投票を済ませているので特に投票日を意識しないが、私が投票した候補は当選した。
小さな村では議員のなり手がないという問題に直面しているが、長野市はそんなことはなく、50名ほどの立候補者があり39名が当選した。但し広域合併が進んでいて長野市とはいいながら周辺の地域に押しやられたところを代表する議員がいないのが問題である。
市会議員は身近な存在だが、県会議員や県知事となるとその評価をどう定めるかはよほど関心を持っていないとわからない。
長野県知事は元々自治省の役人で田中康夫氏が知事を務めていた時に中央からやって来た。それなりの知名度があるから知事に当選しているだけ。
共産党以外のオール与党の支持を受けているからどの党派にもいい顔をする存在である。特にスキャンダルはないが、批判票の意味で対抗して立候補する候補に投票してきた。
しかしここへ来て護国神社例大祭に招待を受け、その際公費で祝儀を渡す慣例が問題視されている。神道と言う宗教に公人である知事が肩入れしているかのような誤解を受ける例祭への出席や祝儀は憲法の観点からも問題があるという指摘を受けている。
安易な慣例に従うことは許されない時代になっている。