木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

被害側を踏みつける日本の態度

2018年11月03日 | Weblog

安田純平さんの解放
3年もの間シリアの反体制勢力の一派に拘束されていた安田さんが解放された。
安田さんは私の地元の新聞「信濃毎日新聞」の記者だったことがある人で、一回目の拉致後、その話を聞いたことがある。
会見はりっぱだった。が、拘束時のひどい扱いによって精神が壊されている部分があると思うので、その後遺症は残るだろうと思う。
私は今、ナチスの収容所で非人間的な扱いを受けつつもそこから生き延びた精神科医ヴィクトール・E・フランクルが書いた池田香代子訳の新版「夜と霧」を読んでいる。生き延びるために人間がどんどん自分を壊していく様子が淡々と綴られている。
安田さんも生き延びるために自分の尊厳をこわしていったのだろう。
そして解放され、人間性を取り戻す過程でフラッシュバックのように過去の理不尽な拘束生活を思い起こして苦しむことになるのでは・・・。
戦争に行った兵士も同じだ。平時ではとても信じられないような残虐なことも平気でしてしまう。そして平時に戻った時、無事でよかったね、では済まされない傷を心に負うことになる。

加害者側の取る対応ではない日本政府の態度
アジア太平洋戦争中、植民地支配していた朝鮮の徴用工だった人が個人の賠償請求をした判決で韓国最高裁の出した判決への首相や外相の態度は実に居丈高で、被害を与えた側が取るべき態度ではないと感じた。
例え1965年の日韓条約で個人の請求はしないと取り決めたとしても、それを個人が納得したかどうかは別物で、加害側が「あの時取り決めたじゃないか。後になってがたがた言うんじゃない」と、偉そうに言っていいのかどうか。
当時の軍事独裁の朴政権は日韓条約で得た賠償金を個人の償いには回さず日本の植民地政策と続く朝鮮内戦で疲弊した国土の回復に回したという事情を考えた韓国最高裁の判決でもある。
加害側は被害側の言い分を聞くべきで頭から否定する態度は実に醜悪だ。
安倍も河野も歴史を知らない、知ろうとしない世襲政治家の典型だ。
河野談話で慰安婦にされた朝鮮女性に謝罪した父親に学ばず対抗しようと考えているのか、河野太郎は次世代のリーダーにはなれない政治家であることを露呈した。

コメント
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