投票率より投票の質をあげること。
参院選投票日当日の「20代、30代の若い人達の政治意識」を分析する、若い人達の討論番組を見た。
31才の評論家荻上チキ氏は「投票率をあげることより、投票の質を上げることが必要だ」という意見を述べていて、なるほどと思った。
東京都議選や参院選の東京選挙区の結果をみれば、複数区とはいえ、政治メッセージが適確に発信されれば、つまり選挙運動の質がよければ、人々は自分達の代弁者を正しく選ぶことができる。
では質をあげるにはどうすればいいのか。
荻上氏は「今の若い世代は政治参加の契機になるものを持っていない。例えば前の世代なら職場に入ればそこには労働組合があって、政治学習できたえられる場があった。しかし今は労組のある職場は減少していて、政治と労働の関係を考えるきっかけもない」と言った。
BSフジでも参院選における無党派層の投票行動を分析する番組をやっていたけど、そこで二人の大学教授が自分の専門領域の立場から分析を試みていたが、明治学院大の川上教授もやはり投票の質を上げる重要性を指摘していた。学校教育の中で政治教育が必要という意見だ。
政治教育というと、特定の党派への誘導になると勘違いする教育現場が多いが、民主主義の根幹である国民の政治参加の方法の一つである「選挙」というものを体験学習などを通して教えていく必要があると言っていた。
もう一人早大の田中教授の調査(学生が対象と思うが)によると、「維新の会」を革新政党だと思い込んでいる若い人が多いという結果になったとか。
思わず「絶句!」だが、改革と言う言葉を橋下が連呼しただけで、社民や共産などと同列のいわゆる「革新」と勘違いする「政治への無知」は政治を学ぶ機会を持てないできた若い人達の悲劇だ。
マスコミは「無党派層」などという言葉をいつからか都合よく造語したが、それは「無知・無関心層」と言うべきである。
マスコミの常套句は「争点がない」と「批判の受け皿がない」だが、以前にも書いたが、「争点」は常に1パーセントの反倫理的利益の追求か、99パーセントの暮らしと安全が守られるかだし、「受け皿」は伝統ある社・共の他「みどりの風」、「緑の党」、「生活」があった。
1パーセントの利益追求の党である自民党とそれに追随する「維新」や「みんな」や「民主党右派」、「公明」もまた支持母体の学会員をだましての協力者だが、は無知・無関心だった国民に覚醒されるのが何よりの脅威だからいろんなテクニックを使って政治への参加や関心を向けないように日々頭を使っているのだ。
自民党は大勝したが、ウソとだましで得た結果であるから、どこか「空虚感」が漂っていたように見えた。
正々堂々と国民に訴えた結果、それが支持されたと思うならもっと高揚感があってもいいはずだが。
「昔の自民党には戻らない」と、いかにもいいことのように言うが、正確には「昔には戻れない。アメリカ型の弱肉強食の原理資本主義に舵を切ったのである」。
アメリカで今起こっていることはやがて日本を襲う。
デトロイト市でもまた日本の夕張市でも緊縮財政を強いられた町は医療、消防、その他の社会インフラが崩壊し、だがどこへも行きようもない貧しい人達が取り残される。
夕張市では医療機関が遠くなり、例えば高齢者に多くなる白内障の治療も何十キロか離れた隣町に行かなくてはならない。
水道料金も上がった。
貧しい人からさらに奪い取るのが新自由主義の企業利益優遇の政策だ。
アメリカではそれに一層の磨きがかかって今や政府はグローバル企業の私有物になってしまった。
その絶望的な状況をルポしたのが堤未果の「株貧困大国アメリカ」(岩波新書)だ。
私は買ってないが、要約がネットにあったので読んだが、TPPに参加するということはアメリカのようにグローバル企業に医療から食料から全て支配されるということだ。
ところでこれを書いた堤さんの夫は規制緩和推進の「みんなの党」所属の参議員川田龍平氏だが、夫妻でこんなに視点が違ってやっていけるものなのか?