参院選後に国民を襲う第一の矢は「原発再稼働」?
自民党有利の選挙情勢が伝えられ、「脱原発・廃炉」を主張する党派は共産党が議席増を果たしそうだが、他の党派に勢いはない。
「みどりの風」や「緑の党」、「生活の党」、社民党は「脱原発」に関してほぼ同じ主張をしているのだから統一戦線を組めば良いと思うが「政党助成金」という財政事情のために手を組めないらしいので、これらの政党に期待するのは無理だろう。
自党の利益を優先する政党は主張が立派でも消えていくしかない。
大勢力になる自民党は公明党の「蚊の鳴き声」なんか蹴飛ばして「原発再稼働」、「TPPなし崩し参加」、「更なる労働規制緩和(限定性社員など)」、「消費税増税」、「憲法改悪」に突き進むことになる。
しかし「憲法改悪」はそう簡単にはできないのではと思う。「国民投票」というハードルも待っている。そこへ持って行くまでに「安倍政権」の経済政策の化けの皮もはがれていることと思う。
まず突破されてしまいそうなのが「原発再稼働」だ。電力会社は国民の反対にもかかわらず「原発再稼働」で自社を守ろうと必死だ。
「原発再稼働」を堂々と宣言している自民党が大量議席を取れば、「原子力規制委員会」の元々かつての「原子力村住民」だった委員達は圧力にもちこたえられないだろう。
原発立地で生活してきた福島以外の地元は「再稼働してもらわないと生活がやっていけない」などと言う。「命より原発」を選ばされている。
この人達には生活が成り立つ別の道を示してやるのが「政治」のはずだが、現政権は電力会社のパシリだから「再稼働」しか頭にない。
しかし「原発事故」のその後の絶望的な現実は事故から27年たったチェルノブイリが教えてくれる。
進む老朽化、下がらぬ線量。放射性廃棄物処分場も不足。
信濃毎日新聞7月8日。サイエンスライター田崎耕次氏の報告より。
旧ソ連から管理を引き継いだウクライナ政府は2011年から一般の「原発見学ツアー」を受け入れている。田崎氏は申請して現地を見た。
ウクライナ政府は原発から30キロ圏内を規制区域に設定し、居住禁止、許可なく立ち入り禁止、専属ガイドに従うことが義務付けられている。
爆発した4号機から100メートル離れた地点の線量計は毎時13マイクロシーベルトを示した。車で原子炉の反対側に回ると今年2月の大雪で600平方メートルにわたって崩落したタービン建屋カベが見える地点に入ると3台の線量計が一斉に鳴り響く。一瞬ドキッとするが「ここは元々線量の高い地点」とガイドのゴンチャレンコさん。建屋に開いた穴のせいではないと言う。だが施設が老朽化しもろくなっていることは間違いない。
低レベル放射性廃棄物処分場は幅38メートル、長さ142メートル、高さ16メートルの埋設地が約50並び、内部ではそれぞれ厚さ5メートルの粘土と砂で廃棄物を上下から包んでいる。地表は雑草に覆われている。
あらゆる低レベル廃棄物を埋めていてまもなく満杯。別の敷地も確保しているが、原発の管理が続く限り廃棄物も際限なく増え続けるのだ。
事故当時多くの原発作業員が住んでいたプリピチャ市では10階建てのアパート群が事故後自然に育った木の中で朽ちかけている。
道路上の線量は毎時0・5から0・7マイクロシーベルトで福島市と同程度。だがガイドが指す場所を測ると線量は一気に跳ね上がる。持参した線量計は「19・99」のまま止まってしまった。ガイドのゴンチャレンコさんの高感度線量計では25・23マイクロシーベルト。二日間居続けると、日本の一般人の年間限度を超える。「ホットパーティクル」という放射能を帯びた微粒子が土壌に含まれているためだ。
こうした場所は多く、ガイドの指示以外の所に入り放射性物質を靴の裏や衣服に付けると、靴や服を規制区域内に放棄しなければ外に出られない。
「規制区域内には高い線量の場所が点在する。住民は将来も戻ってくることはない」という。
ところがこの記事を読んだ数日後、ケーブルテレビ経由のニュース番組で、やはりこの「チェルノブイリツアー」に参加した社会学者と称されている東浩紀氏が、この規制区域で、管理のために人が普通に働いているのに驚いたと報告し、いかにも27年後のチェルノブイリの現場が、線量の高い場所があるとは断っていたが、普通に作業する場所であることを強調した。
どちらをより信じるべきか、やはりサイエンスライターの方が信用できるのではとかんがえていたら、この東氏やインターネットビジネスに携わっている津田大介氏、それに派遣村で一躍その名を知られた湯浅誠氏などが、参院選の東京選挙区に立候補している民主党の鈴木寛を応援しているとネット情報で知った。
この鈴木候補は福島原発事故当時の文科省副大臣で「SPPDI情報」隠しの張本人だということだ。
「左翼でもない右翼でもない立ち位置」にこだわる私よりふた周り以上若い人達の行き着くところは結局1パーセントの犬になることのようだ。