木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

時代錯誤という亡霊の国日本

2013年06月20日 | Weblog

薩長中心史観が靖国史観の元。
NHK大河ドラマ『八重の桜』を見ていて、改めて薩長を先頭とする諸藩による倒幕・明治維新を正義、とまでいかなくても歴史の大きな必然という考え方にそれほど疑問を持っていなかったことを感じている。
今まで会津藩の置かれた立場など余り考えたことはなかったのだが、会津をあそこまで攻め立て、その後、陸奥の不毛の地に追いやることまでする義が薩長側にあったのか。
「勝てば官軍、負ければ賊軍」まさにその通りだったのが真実だったのではとそんな気がして来た。
薩長による会津攻めの際、十才の少年で、祖母・母・姉・妹を自刃で失った柴五郎氏が、後に遺言のようにして残した文章『ある明治人の記録』には下北半島斗南の苛酷の地で、寒さを防ぐ、障子や襖もないあばら家で、父・兄嫁と共に忍従の日々を過した日々が記憶をたどって記録されている。
柴氏は下僕、給仕などを経て、陸軍幼年学校に入学することができ、後に陸軍大将にまで出世した人であるが、「薩長でなければ人にあらず」的な風潮の中で、軍隊が誤った方向に進んでいったのを憂えた一人でもあった。
芝氏は北京駐在武官時に「義和団事件」に遭遇したが、沈着冷静な対応が評価を得た。
義和団は排外愛国主義の集団で列強の植民地化に抵抗したものだが、柴氏は「中国は友としてつきあうべき国で、決して敵に廻してはなりません」という言葉を残している。
しかしおごり高ぶった薩長人脈に通じる軍人達は、土着の、中央政府への抵抗集団的色合いの濃い「馬賊」を利用した挙句後に「匪賊」としてこれを討伐する。
馬賊集団「興亜挺身隊」のリーダー尚旭東は隊の解散の辞として「日本軍閥の特権意識では中国の四百余州は救えない。また国民党政府も日本軍人以上に貴族化。将来に留意すべきは八路(共産党軍)のみ」とした。
「日清・日露戦争までの日本軍はまともだった」という刷り込みを太平洋戦争後の日本人に広くしたのは司馬遼太郎の作品群だったかと思うが、明治の時代にすでに後の日本軍の横暴は醸成されていた。それは「戊辰戦争」から始っていた。昭和の時代になってそれがさらに加速したということなのだろう。
この「戊辰戦争」の犠牲者を祀るところから始ったのが「靖国神社」だが、朝敵となった奥羽諸藩の犠牲者はその中に入っていないし、後の「西南戦争」で反政府の西郷軍に加わって戦った者も祀られていない。
そこは「聖戦」の犠牲者の聖域であるから侵略だの住民虐殺だの軍による慰安婦強制などあり得ないのだ。
それは「靖国」を汚すことである。
聖戦の犠牲者というのであれば、敵の空襲や原爆によって殺された人々も尊い殉難者のはずだが、戦争が無差別に犠牲者を生み出す行為であることをあからさまにしたくないのか、「靖国」の対象外だ。
こんな偏った、しかも神社という宗教施設に国民の代表者である国会議員が100人以上も集団で参拝に訪れるという時代錯誤。亡霊の国だ。

コメント (2)
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