日本の高度経済成長時代には、企業の業績向上を見込んで『物価上昇率以上の給与増額』が実施された。
実質賃金の向上が実現できない企業は、人手不足の状況では優秀な人材を引きつけて、企業への忠誠心を持って働いてもらうには、給与アップは当然であった。
バブル崩壊以後の企業倒産が増えて人あまり状態が起きると、人件費抑制が前面に出て、安い人手を使って経営することが、企業の生き残りの手段になった。
低成長時代には、企業経営の論理に沿って【労働分配率を下げて経費節減】をする経営が合理的とされて、ブラック企業が勝ち組になってもてはやされた。
【賃金の停滞がデフレ経済を長期化】させる最大の原因となっている。
これまでの経済活動の理屈に沿って、企業活動の自由度を認めていたならば、低成長時代の突入した場合には、必ずデフレ経済に陥っていく。
それに輪をかけて「グローバル化された世界」では、「資本の移動の自由化」と「貿易自由化」が是とされたので、新興国への資金移動が活発になった。
賃金水獣が低い国に製造拠点を移していく動きが、経営上の合理性に合っている。
資本主義社会での基本原理である『資本収益率(r)>(g)経済成長率』は、誰も否定できない世界共通の事実となって、先進国での共通の問題を投じている。
つまり、自由主義市場経済を採用する国は、すべてデフレに向かい、【収入格差の拡大の難問】に直面しているのである。
もはや「賃金の水準は市場原理で」という考え方は通用しない段階になっている。
労働組合と経営側の「労働需給市場での交渉」による賃金水準決定の仕組みは、【賃金デフレに停滞】して、【収入格差の拡大による社会不安定】に落ち込む運命だ。
安倍内閣のデフレ脱却政策は、「新自由主義経済」の原理に囚われて、企業活動の自由度を高くする考え方をとっていた。
これでは「超金融緩和」によるお金は、経営合理性に沿って海外投資に流れる。
大企業の収益増加分は、申し訳程度の賃金上昇で済ませて、物価上昇率を下回る低水準の「労働分配率に引下げ」に固執して、「自社の経営」しか眼中にない。
これでは、デフレ経済を長期化させる現状に留まるだけで、国民の将来不安が増していくばかりである。
もはやこの段階に至っては、企業経営の自由度を「賃金水準の決定」に限っては、政府の介入によって「デフレ脱却に必要なレベルに引上げ」するしか無い。
賃金水準の決定に政府が介入するのは、自由主義経済とっては「あってはならない暴挙」である、との声が上がるであろう。
しかし、そのような非難をする専門家には、「デフレ脱却」の方策もなく、「収入格差の拡大」を止める算段も、全く持ち合わせていない。
批判するだけで、対策案を出せない専門家の言うことは、一切考慮に値しない。
安倍首相が企業の賃金上昇を義務つける政策に、転換するのが本当の対策だ。(続)