安倍政権の経済政策の基本は、富裕層と大企業を先に優遇して利益を増やせば、高邁な精神の人格者ばかりだから、恩恵を人に回すはずだ、と想定した。
そのような人格者いるだろうが、世界経済の現実社会では通用しない。
大企業といえども、グローバル化された経済下では「市場競争の中での、生き残りが最大の目的」になっているから、株主の意向に沿わない経費はかけない。
自社の継続的な利益の確保が可能になる人材投資に限定するのは当然である。
このような「当然の論理」がわかっていない「政治家の集団」が、日本の政治制度を支配する構図は、時代の進歩に逆行している。
2014年の春闘によるベースアップには、安倍政権の要請が功を奏したかのように「デフレ経済下では久々の賃上げ」が実施された。
それまで、「何もしないで眠っていた連合」は、「官製春闘」と揶揄されて、春眠からやっと覚めて、今まで放置していた「非正規雇用社員」のベースアップを前面に打ち出す「本来の労働運動」に取り掛かっている。
しかし、現実には「グローバル化された国際競争での賃上げ闘争」では、企業側は人材確保に必要な「最小限の賃金」しか払わない。
労働組合が要求しようが、政府が懇願しても、企業経営の論理は「株主の意向」に沿うことしか念頭にはない。
「労働側の論理」としては、働く人たちの団結力によって、賃金引上げや労働条件の改善を勝ち取って来た20世紀の歴史がある。
21世紀になってからは、デフレ経済とグローバル経済による海外への生産拠点移転の圧力で、「従来の論理と労働条件獲得の交渉」では賃上げは無理になる。
労働組合側は、労働分配率の慢性的に減少する流れを、止める対策が全くできないで、この10年間以上を無為に過ごしてきたのだ。
連合が支援する「民主党政権」が誕生しても、政権公約はほとんどが不履行になり、非正規社員は増え続けて、最低賃金の1000円/時も空手形になった。
労働組合の従来の交渉戦術では、企業側の経営が成り立つことが前提になるので、海外との価格競争力で負けてしまうと言われれば、賃金アップは実現しない。
非正規雇用の範囲を【経営者側の都合の良い制度】に緩和し続けたことで、【賃金の慢性的な低下】が引き起こされてしまった。
企業側からすれば、できる限り人件費を抑制することが、価格競争力維持の有力な手段だから、政府が規制を緩和することを要求し続ける。
この自由競争市場の効率性優先の制度改革が、相対的に賃金水準を下げることで、企業の生き残りを図ることが、自体をより一層、深刻にしていった。
経済活動の原則は、人びとの暮らしを向上させるのが目的であるはずが、既得権益を維持したい「企業の生き残り」を目的に取り違えてしまった。
ここから日本の衰退が始まって、あとは景気浮揚策が借金を積み上げる。(続)