安倍政権の国際感覚は、どうやら1990年以前のレベルに留まっている様だ。
湾岸戦争の時期に、「イラクの暴挙」に対して、多国籍軍を組織してクウェートから排除する戦争には、日本は戦力を出さない国策で対応した。
その代わりに、莫大なお金を多国籍軍の軍事費として、90億ドルを国民の税金から回して、国際上での協力を果たしたのである。
しかし、その時に日本は戦場で血を流すことをせずに後方で「おカネを出しているだけ」と、各方面から批判されたのである。
小泉政権の時にも、対イラク戦争には自衛隊の参戦を要求されたが、憲法の制約があって、「戦場でない地域での平和維持活動に限定」して、自衛隊の活動を復旧活動に協力をする、として、海外への派兵を実施した。
その時にも、日本は国際的には批判的な視線をあびたが、アメリカの始めた戦争には参戦しない姿勢を貫いて、結果的には良かったのである。
ところが、安倍首相にとっては、屈辱的な感情が燃え盛っていた様である。
憲法の改正の手続きもしないで、集団的自衛権の解釈を参戦可能に広げて、とにかく国際的には屈辱感を持たないで済む様に、強引に進めている。
それほどに国際的な面目を重視するならば、「地球温暖化対策」に対する「日本の周回遅れ体制」のテイタラクには、無頓着なのはどうした感覚なのか。
国連の気候変動問題を議論する会合では、【日本の後ろ向き、消極的姿勢が、先先進諸国の中で際立っている】ことが、浮き彫りになっている。
6月初めから15日まで開かれた【ドイツ・ボンでの地球温暖化交渉】において、
ドイツなどの先進国では、地球環境対策に前向き、積極的な姿勢と国際公約の具体的な目標を、明らかにしている。
今までは消極的であったアメリカや、中国なども目標設定に対する前向きの発言が次々に提示されている。
2015年3月までに、意欲的な削減目標を提出することが求められている。
しかし、自民党安倍政権は、発足直後から【国連の気候変動対策の軽視姿勢】は顕著で、今までに開かれた会合では、まったく非協力的な姿勢に終始した。
民主党政権時には、(原発の増設を前提として)意欲的な削減目標を提示して、各国からは称賛の声が寄せられたが、安倍政権に対して呆れかえっている。
いくら原発の大事故の影響があったからといって、何時までも「温室効果ガスの削減義務」を逃れようとするばかりでは、批判の声は高まるばかりだ。