東矢憲二の「気づきの経営」

経営コンサルタントとしての長年の経験を活かして、様々な気づきをご紹介します。
毎日読んでいただくと、心がホンワカ・・・

復元力

2012-01-16 | 経営の気づき
竹林に積もった雪を見ると、まさに冬の真っ只中にいることを感じる。そして、私が好きなのが、竹の葉に積もった雪が、重みに耐えかねて、たわわにしわっているあの姿。最後には、もう我慢しきれないと、積もった雪を振りほどこうと、雪を弾き飛ばしてしまう。あの復元力に、したたかな力を感じるのである。

反対に、人間界では、復元力を計算し間違えて、耐え切れないほどの借財を抱え込む人や会社がある。考えれば分かりそうなものだ。簡単な計算式を示して説明しよう。会社の借入金の限界値は、「営業利益・受取利息の合計」と「支払利息」が一致する借入金額である。

例えば、売上高1億円、営業利益400万円、受取利息100万円、借入金利息2%の場合、借入金の限界は500万円÷0.02=2億5千万円である。こんな簡単な計算式で示せられるのだが、人間は自分の復元力を過信するのか、過大な借財を背負うことが多い。もっと、自分の復元力の限界を自覚しよう。    

弱ってきた記憶力

2012-01-14 | 失敗の気づき
昔と違って、とみに弱ったのが記憶力だ。例えば、講演しているとき、私の弱点でもあり強みでもある「話の脱線」において、もとの話に戻りにくいときがある。脱線すれば、いずれは修復してもとの話に戻らなければならない。しかし、記憶力が弱ってきた最近は、ときどき脱線修復に手間取る。

あるいは、当日の服装選びにも影響している。私のスーツはデパートで買うが、そのときは、頼りにしている「私が勝手に選任したスタイリスト」にスーツ・ワイシャツ・ネクタイを選んでもらう。ところが、その組み合わせを最近は忘れだした。困ったものだ。

しかし、記憶力が弱くなることは、不幸ばかりの集合体ではない。いいこともある。例えば、大きな失敗をしても、楽しくない思い出はすぐに忘れられる。こういう便利さもあるのだから、世の中は公平に出来ている。


日々学び

2012-01-13 | 初体験の気づき
一昨日、選択理論のセミナーに参加してきた。そこで学んだことの第一の収穫は、次の事柄であるが、私の場合、ほぼ出来ていることに安心した。

【七つの身につけたい習慣】相手を内側から自発的に行動させるときに必要
傾聴する / 受け入れる / 励ます / 支援する / 信頼する / 尊敬する / 違いを交渉する

【七つの致命的習慣】相手を外側からコントロールしようとするときに生じる
批判する / 責める / 文句を言う / 不平を言う / 脅す / 罰する / 褒美で釣る

壇上からの検索

2012-01-12 | 私流
講演やセミナーの講師をさせて頂くとき、私が密かにチェックしていることがある。それは、当日の参加者のパワー・レベルだ。私の話を聞きたい本気度がどの程度あるかを、登壇している壇上から眺めている。時間が経過して私の話に引き込まれてくれば、その本気度は徐々に上がってくるから、チェック出来るタイミングは、話が始まってから1~2分程度まで。

その集中力によって、主催者と参加者の密着度も分かる。招集をかけられて嫌々参加している場合と、期待して参加している場合では、明らかにその差が分かる。そのレベルを測った上で、次に私が目指すのが、私への関心度を高めることだ。

話の内容が面白ければ、強制的に参加させられた者も、食いつき度が上がってくる。要するに、講師としての踏ん張りはここで評価される。このように、講師の仕事が面白いのは、寸時に自己評価が完了することである。アンケートにその日の評価を記載してもらって、その回収を待つまでもなく、檀上で十分に分かるから面白い。

巡りめぐる縁

2012-01-11 | 人生の気づき
先日、砥部倫理法人会のモーニングセミナーにて、私の本「気づきの智慧」(アトラス出版)を題材に講演させていただいた。そのとき、会員として出席されていたT病院の院長さんは、「気づきの智慧」に登場する「啐啄」を造っている中城酒造さんの分家とか。

その本に登場している啐啄を、私が美味い酒と評していたから、非常に喜んでいただいた。そして、「本家に伝えて、啐啄を送ります」と嬉しいご案内もあった。その酒が昨日届いた。なんと、83歳になられる社長のお母さんの達筆の手紙つきだ。

ご縁は、必ず巡りまわるということだ。どこかで生じたご縁は、必ず一箇所にとどまらず、巡りめぐって動いていく。これが「ご縁」という偉大なパワーが持つ素晴らしさだ。

智慧を使おう

2012-01-10 | 経営の気づき
人は、自分の知識だけで、物事の判断をしようとすることが多い。しかし、的確な答えを見つける人は、知識から判断を導くのではなく、知識や経験をベースにしながら、真理を正すという「智慧」を使って答えを導いている。

政治であれ、経営であれ、家庭であれ、指導者は、「智慧」を使うというワンステップを飛ばしてはいけない。智慧を用いる過程がとんでしまうと、いつも答えは同じものとなる。本来、答えは、その状況・背景によって変えるべきものであるから、特殊事情を織り込まないといけない。

その意味では、我欲のない自然界は、智慧の宝庫である。人間は、少しばかりの脳みそがあるものだから、智慧があると過信しているが、それは我欲に基づく知恵であって、真理を正す智慧ではない。したがって、人間の知恵は、自然界の智慧とは果てしなくギャップがある。


第2回気づき塾

2012-01-09 | 私流
「気づきの智慧」(アトラス出版)を教材にして開催している人間塾が、1月7日に開催された。30名の参加者は、さすが前向きの方ばかり。前向きに生活していると、自然と気づきの智慧も多くインプット出来るはずだ。

先ず前半のテーマは、感動体験。これまでの人生を振り返って、一番感動した体験をグループメンバーに紹介する。その話を他の者が質問して状況を詳細に把握した上で、最後の一人が自分のことのように「他己紹介」する。この進め方で、グループ全員の感動体験を知る。単なる自己紹介ではないため、短い時間でグループ全員の価値観とか人生観とかが分かり、非常に親しく感じられるようになる。

後半のテーマは、本来の営業のあり方の話。「気づきの智慧」の一説を元に、私が、本に書かれていない裏話を紹介して、営業のエキスについて教えを説いた。

未熟であることを喜ぶ

2012-01-08 | 人生の気づき
誰もがそうであるように、私の若い頃も、何かにつけ未熟であることを嘆いたものだ。しかし、様々な人と出会い様々な出来事に出あうと、未熟であることの捉え方が変わってきた。

要約すると、「未熟であることに消極的になってしまったら、未熟である意味がなくなる」ということだ。如何なる天才であっても、最初は未熟なのだ。しかし、徐々に経験を深めることによって、熟してくる。したがって、未熟である段階では、別に縮こまる必要はない。むしろ積極的に、対象物に近づかなければならない。


「やる」か「やらない」か

2012-01-07 | 経営の気づき
仕事の出来ない人は、「やらない」ことを前提に、出来ない条件を探しまくる。一方、仕事の出来る人は、「やる」ことを前提に、やるための障害物を探す。探した上で、障害物を潰す工夫を行う。この差が大きい。

考える工程としては「やる」ことを前提化する方がワンステップ増えるので、時間もかかるし、労力も要せられる。しかし、喜びが大きいのは後者である。したがって、仕事を楽しみ人生を楽しむためには、とにかく「やる」ことを前提にすべきだ。

今年の私の挑戦目標は、「気づきの智慧」(アトラス出版)を教材にしての「気づき塾」を充実させることだ。現在は奇数月のみの開催であるが、近いうちに偶数月の2期生の部を立ち上げる。2期生の部も定員に達すると、総勢60名の塾生になる。その次は、外部講師の招聘によって、講座内容に厚みをつけたい。

とにかく、実行するのみである。私からすれば、障害は、仕事を楽しくするための装飾物だ。


アナログはデジタルを超える

2012-01-06 | 雑談
時代の進化と共に、デジタルがアナログを一掃しようとしている。しかし、人間を輝かせるのは、デジタルよりもアナログであることを確認して欲しい。

例えば音楽の世界でも、レコードからCDへと変わってきた。CDにはレコードのようなノイズがなく、クリアな音質が得られる。しかし、あのレコード針が運んでくる音楽には、人間の温かい体温が感じられる。その点、CDには熱い血の流れが乏しい。

辞書もアナログからデジタルに変わってきた。辞書の紙をめくって目指す単語を調べるまでもなく、ネットで検索すれば、不要なものを飛ばして一発で捕まえられる。要するに、デジタルは、不要物を除去した目的物だけの便利な世界を実現化した。

デジタルは、一見、人間にとって便利な世界のようだが、実は不要なものをなくすということがまずいのだ。無駄なものがちりばめた世界の中から、自分にとって有用なものを探す作業というか努力が、とてつもなく大きな価値を持っている。しかし、必要な価値が、すぐに自分の手元に引き出せる安易な世界においては、「努力という最高の価値観」が光らない。これは、人間を劣化させる悪環境である。

心の鏡は酒

2012-01-05 | 雑談
酒を飲めば、多少なりとも理性の抑制から解放され、誰しも日頃思っていることが口に出やすくなる。酒の勢いを借りて出てくるばかりではなく、本人も気付かない深層心理が表れる。要するに、酒がもたらすものは問題ばかりでなく、効用も立派に存在しているのだ。

そこで、今回は、酒をたたえることわざにどのようなものがあるか並べてみた。もちろん、目的は、「酒を飲める環境づくり」と「自己弁護」である。 

「酔っぱらいは本当のことを言う」・・・何しろ、酔うと、嘘を言う知恵が働かなくなるから。
「顔は鏡で見、心は酒で見る」・・・心を読むには、酒が一番。
「一杯目は健康のため、二杯目は喜び、三杯目は心地よさ、四杯目は愚かさのため」・・・少しの量であれば、良薬にもなる。
「酒を飲む人は、常に隣に座ってくれる友人ができる」・・・カウンターに座れば、見知らぬ人も十年来の知己になる。
「人を知るは酒が近道」・・・人格を知るには、難しい議論を交わさなくても、酒を酌み交わすのが、いちばん手っとり早い。


一粒の言葉

2012-01-04 | 私の師匠
昨日の早朝、素晴らしいラジオ出演者に出会った。言葉の一つひとつに愛情がこもっていて、ギラギラと輝いている。単語が輝いているのではなく、それぞれの一個には何の意味も持っていない、言葉の一語一語が感情を持っていた。しかも、アナウンサーではなく、ふるさと情報員の一市民の語り言葉である。

私は子供の頃から早口で、説得力のある言葉が口から出ていなかった。しかし、経営コンサルタントの仕事に就いてからは、注意して、一語一語に気を遣っている。しかし、まだまだだだ。要するに、日ごろの心の持ちようがまずいということだ。

落語の達人「立川談志」が言っていた。「日ごろの生活を生真面目に過ごしている者が、落語の高座に上がるときだけ、面白くしようとしても、それは出来ない。生活をそして人生を面白く暮らしていないと、高座に上がったからといって、180度転換できるものではない」と。

昨日のラジオで聞いたその方は、一言ずつの言葉が、一粒の言葉として感じられた。一言と言うにはあまりにも輝きすぎているので、一粒と表現した方が合っている。しかも、一つの文章として振り返った場合、一粒ずつの言葉の輝き度合いが違っている。本当に楽しく語っている言葉は、こちらもつい笑顔になってしまった。

正月の三が日目の朝、最高の場面に出会ったのは、ラッキーだった。言葉は気持ちを込めて一音ずつ発しなければならないことが心の底から理解できた。

褒めるべきか叱るべきか

2012-01-03 | 経営の気づき
「褒めて育てる」のがよいか、それとも「叱って育てる」のがよいか。このテーマは、しばしば議論になる。ある人は、俺は絶対に部下は褒めない」と公言しているし、「自分は叱られるとやる気がなくなるから、叱らないようにしている」という方もいる。どちらがよいのだろうか。そこで、二つの実験結果をご紹介しよう。

ゲームで勝って賞金を得たときと、他人から褒められたときの脳の反応を特殊な装置で撮影して比較した。すると、他人から褒められた時と現金を受け取った時は、人の脳の同じ部位が活性化する。つまり、人は褒められると嬉しいということが、科学的に証明されている。

では、叱られることはどうであろうか。叱り方による脳の反応の違いを観測する実験の結果、すぐに行為を止めさせたり、とにかく意識を向けさせるときは、激しく叱ることに効果があることがわかった。ただし、何度も激しく叱られると、脳の活動が弱くなり、注意力も落ちていくこともわかった。そして、根本から行動を改めさせたり叱られた原因を考えさせるときなどは、冷静に叱ることに効果があることもわかった。

つまり、褒めることと叱ることは、どちらも効果があるということだ。したがって「どちらがよい」という問題ではなく、正しく使い分けるものだと言える。


魂を揺さぶる本

2012-01-02 | 初体験の気づき
昨年、初めて本を執筆して以来、本というものの価値観について気になっていた。そうすると、先日、ラジオで次のようなコメントを聞いた。いま東北で売れているものは何かといえば、特に震災地においては、本が売れていると言う。

衣食住の生活の基盤が整ってくると、その次に欲しくなるのが、「心の落ち着き」である。したがって、人々は、本を求めていると知った。人間の魂を揺さぶるものは何かといえば、それは、美味しい食べ物や豪華な住まいではなく、心を揺さぶり心に語りかける本なのだ。

納得です。