19:50 from web [ 2 RT ]
(自5)自由意志を盲目的に肯定すると、自我を成立させている個の連続性が見えなくなり、独善的になる。そしてややもすると自由意志には他の選択肢もあったはずだ!との責任論に発展するが、国民国家のフィクションを支える一神教の基盤の無い日本では、この責任論がちぐはぐに展開する。
19:51 from web [ 1 RT ]
(自6)自らの信仰を守る為に独立戦争をしたオランダなどと異なり、日本は西洋列強による植民地化を逃れて、国家神道を掲げて近代化を試みた。敗戦後、日本は民主主義国として再出発したが、主権者である国民の自由意志を保障する為に、国家の斉唱を義務づける、というのはやはりちぐはぐである。
19:52 from web
(自7)イランの核保有の問題は、核保有国が核を持たない国を牽制するという非対称的なものだが、これは日清戦争後、中国初の植民地を手にした日本に欧州三国が干渉したことと似ている。これは自由意志に基づく国家の内外問題を前景化して宇宙を切り取った際に現れるヴァリエーションだと私は考える。
19:52 from web [ 2 RT ]
(自8)現行の国民国家における主権者は国民だが、自由意志が物理学・心理学・神経科学的によって否定され、さらに自由意志をもっていたとされる個人は他者との連続性なしに成立しないことが証明された後、民主主義は成立し得るのか?それとも、国民国家をベースとした民主主義から移行できるのか?
19:53 from web [ 1 RT ]
(自9)ユング心理学(分析心理学)において、自由意志を司るのは自我(Ich)であり、「個性化の過程」である人格の中心である。一方、全ての人格の心の中心かつ元型が意識と無意識(個人的無意識と集合的無意識)からなる個我(Selbst)であり、そこには自由意志は存在しない。
19:54 from web [ 2 RT ]
(自10)ネーションを形作るものの一つに宗教(例えば同じ人種でもカトリック信者のクロアチア人と東方正教会信者のセルビア人など)があるが、この神のイメージを担うのは自我ではなく、全人格の核をなす個我である。個我との相互作用から成長し、それを実現しようという個性化が自我となる。
19:55 from web [ 3 RT ]
(自11)ネーションを形作る個性化の元型である個我に潜む集合的無意識から、他者との連続性を前提にした統治システムを作ることはできないか?すると、敵対概念の規定から成る国民国家と、自由意志を前提とする民主主義というデカルト的近代を乗り越えた、スピノザ的統治へと移行できるだろう。
19:55 from web
以上、連続ツイート「自由意志から考える国民国家のオルタナティブと集合的無意識について」でした。読んで下さった皆様、ありがとうございました。
20:45 from web (Re: @penate3)
@penate3 私も同感です。私も「ふるさと」だったら、ぜひ歌いたいです。
20:48 from web (Re: @slitsandfrills)
@slitsandfrills ぜひ!
by curatorshinya on Twitter
(自5)自由意志を盲目的に肯定すると、自我を成立させている個の連続性が見えなくなり、独善的になる。そしてややもすると自由意志には他の選択肢もあったはずだ!との責任論に発展するが、国民国家のフィクションを支える一神教の基盤の無い日本では、この責任論がちぐはぐに展開する。
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(自6)自らの信仰を守る為に独立戦争をしたオランダなどと異なり、日本は西洋列強による植民地化を逃れて、国家神道を掲げて近代化を試みた。敗戦後、日本は民主主義国として再出発したが、主権者である国民の自由意志を保障する為に、国家の斉唱を義務づける、というのはやはりちぐはぐである。
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(自7)イランの核保有の問題は、核保有国が核を持たない国を牽制するという非対称的なものだが、これは日清戦争後、中国初の植民地を手にした日本に欧州三国が干渉したことと似ている。これは自由意志に基づく国家の内外問題を前景化して宇宙を切り取った際に現れるヴァリエーションだと私は考える。
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(自8)現行の国民国家における主権者は国民だが、自由意志が物理学・心理学・神経科学的によって否定され、さらに自由意志をもっていたとされる個人は他者との連続性なしに成立しないことが証明された後、民主主義は成立し得るのか?それとも、国民国家をベースとした民主主義から移行できるのか?
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(自9)ユング心理学(分析心理学)において、自由意志を司るのは自我(Ich)であり、「個性化の過程」である人格の中心である。一方、全ての人格の心の中心かつ元型が意識と無意識(個人的無意識と集合的無意識)からなる個我(Selbst)であり、そこには自由意志は存在しない。
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(自10)ネーションを形作るものの一つに宗教(例えば同じ人種でもカトリック信者のクロアチア人と東方正教会信者のセルビア人など)があるが、この神のイメージを担うのは自我ではなく、全人格の核をなす個我である。個我との相互作用から成長し、それを実現しようという個性化が自我となる。
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(自11)ネーションを形作る個性化の元型である個我に潜む集合的無意識から、他者との連続性を前提にした統治システムを作ることはできないか?すると、敵対概念の規定から成る国民国家と、自由意志を前提とする民主主義というデカルト的近代を乗り越えた、スピノザ的統治へと移行できるだろう。
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以上、連続ツイート「自由意志から考える国民国家のオルタナティブと集合的無意識について」でした。読んで下さった皆様、ありがとうございました。
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@penate3 私も同感です。私も「ふるさと」だったら、ぜひ歌いたいです。
20:48 from web (Re: @slitsandfrills)
@slitsandfrills ぜひ!
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