@curatorshinya 先日のsubについて。ラテン語の前置詞 sub は対格と奪格の両方をとることができるのですが、対格の場合は動的で「~の下へ」という意味で、奪格の場合は静的で「~の下で」という意味になります。subを語頭にもつ言葉がどちらからきてるのか興味深いですね。
大変興味深いです。デカルトの時代はまだ、ラテン語のsubjectという言葉は客体として使われていたのですが、それが何時から主体を意味する様になって行ったのかは、とても興味深いテーマです。 @pookie_sweetie
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フランス語のIgnorance(無知)という言葉は、英語やドイツ語ほどネガティブな意味を持たないそう。個人の教育費用がその個人の利益を上回った際、rational ignorance(理性的無知)が発生し、現行の民主主義はそれに基づいていることを正確に認識する必要があるだろう。
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(承前)例えば、小沢裁判の情報を主体的に集めて判断することの教育費用は、そこから得られる個人的利益より膨大だから、理性的無知が発生する。小沢一郎を犯人扱いして理性的無知を決め込むことで教育費用を最低にすることができるけれど、そこから生まれる日本の民主主義も最悪の結果を招くだろう。
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インドでは、「知らない」と答えることは侮辱的であり、相手が「知らない」と答ざるを得ない質問をすることが無礼に当たる。それを知らなかった私は、旅先のインドで「ここに行きたいのだけれど、どちらの方角ですか?」という質問をして、適当な答えを沢山もらって大変だったことがあった。
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「朕は国家なり」と語ったルイ14世を、家庭における聞き分けのない親父だと考えると、自らの王を自ら殺めて開始した民主主義はまさにエディプス・コンプレックスの現出であり、さらに民主主義の結果ナポレオン三世という皇帝を生んでしまったことが、マルクス主義の亡霊たちの土壌となったのだろう。
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教育も投資とみれば、結果から振り返り理性的無知だったのか合理的選択行動だったのかが判断されるように思います。合理性の追求は、実はすぐ破綻するように思います。@curatorshinya
日本語の投資は英語のInvestmentですが、日本語ではお金を投げ打つ語感、英語ではお金を自らの背広のベストの中に入れる語感と対極的で、興味深いです。 @slitsandfrills 教育も投資とみれば、結果から振り返り理性的無知だったのか合理的選択行動だったのかが判断される…
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無知の知から開始したソクラテスや法然、クザーヌスがインドやエジプトに居たら、自分の立場を共有できずに苦労するでしょうね(笑) @slitsandfrills エジプトに旅行した知り合いの方も同じことをおっしゃっていました。「わからない」と認める作法も社会的構築物でしょうかねw
(承前前)小沢裁判を正確に振り返ることで得られる日本国の集合的利益を、有権者たちが個人の利益としていかに享受できるのか、という長期的な評価基準と政治リテラシーがあれば、Rational Ignoranceとしての小沢裁判の無視は国民の間で広がらないはずだろう。
自由意志ではなく、宇宙との関係が自己を成立させていると考える縁起の思想へと移行できれば、個人の教育費用がその個人の利益を上回った際に生まれるrational ignorance(理性的無知)は消滅し、私という個人が全体から成立していることを理解させることが教育の目的になるだろう。
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@Yukfra タイでもそういう傾向はあるように感じます。南アジアでは気に留めておいた方がいいのかも RT @curatorshinya インドでは、「知らない」と答えることは侮辱的であり、相手が「知らない」と答ざるを得ない質問をすることが無礼に当たる。
もともとは ob- は「前(面)に」だから object は「目の前に見えるもの」、対して sub- は「下に、へ」だから subject は「表面には現れない心の中」なわけですよね。それがデカルトの時代は subject が客体だったのでしょうか? @curatorshinya
となると、そのへんのことは、やはり社会思想史とか、キリスト教の神学のアプローチが必要になってくるでしょうね。いやはや、とても興味深いです。 @curatorshinya
正直この辺りは私にもよく分からないのです。言語と哲学、宗教史を全て通過しないと理解できないのだと思います。 @pookie_sweetie …それがデカルトの時代は subject が客体だったのでしょうか?
第五福竜丸が被災した後、5月までの間に、米国は6回の水爆実験を繰り返し、のべ約1千隻の日本船が被曝。「いつの時代もしわ寄せが来るのは底辺にいる者、いつの時代も一緒や」。山下正寿『核の海の証言―ビキニ事件は終わらない』新日本出版社:朝日新聞 book.asahi.com/reviews/review…
連続ツイート「『名づけえぬもの』とは何か? ドイツ語とサンスクリット語における『名づけられたもの』から始まる言語と構造について」
(名1)私達が日頃呼んでいる「犬」や「猫」、「花」などと「名づけられたもの」とは、一体何だろう?一方、「名づけえぬもの」とは一体何だろう?同じインド=ヨーロッパ語族に属するドイツ語とサンスクリット語の仏典を勉強する中で思うことがあったので、書き留めておきたい。
(名2)ドイツ語でSubstansiveは名詞のこと。これを無限である空から切り取られて名付けられた現象(=名詞)、すなわち名詞を現象である物質(Substance)として「名づけられたもの」と考えると、全ての実体とは現象であり空であり、これは般若心経の色即是空と同じ構造となる。
(名3)般若心経は、物質的現象(色)には実体が無い(空)のであり(=色即是空)、実体が無いからこそ物質的現象(=空即是色)である、すなわち物とは現象であって実体がない、と述べている。言い換えれば、「到る所にあるが、どこにもない」本質的なものとは、言語的なものだということになる。
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(名4)また名詞を形容する形容詞は一方向の関係ではなく、双方向の関係を持つ。例えば、「小さい車」は「大きい靴」より大きく、「青い信号」は、「青い海」よりも緑がかっている。つまり「小さい」や「大きい」の大きさや、「青い」の「青さ」は、形容される名詞によっても決定されている。
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(名5)主語を取る名詞とは、動詞を従える為に必要となる主格(名)であり、動詞を形容詞的に用いる、言わば動名詞だと考えられる。名詞と形容詞、名詞と動詞の双方向の関係は切り離せず、主語になる「名付けられたもの(Nominativ)」は、動詞や形容詞なくして成立することはできない。
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(名6)般若心経は、名詞と動詞の関係を、「チャルヤーム・チャラマーノ=行を行じる(=動詞から定められた名詞を動詞する)」という過去分詞の二段論法にて表記している。つまり「花が咲いている」ではなく、経験を内部化した「花が花を咲いている」とすることで、「主体」の存在を消去している。
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(名7)これは花(主格=Nominativ)が、私達が花と呼び認識することができるもの(名詞=Substansive)を、咲いている(=動詞)、と思考することで、経験から名詞化した動詞の共有と、成立した主語とその動詞が切り離せないことを指すことにより縁起の思想を説いたものである。
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