@rhenin でーすーねー
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年6月25日 - 09:13
@yasuhirochiba メッセージありがとうございます。今は沼津で父の介護に専念しています。予断を許さない状態なのでタイミング的に難しいですが、ぜひご一緒しましょう。お時間のある時にでもDM下さい。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年6月25日 - 09:14
@yasuhirochiba ありがとうございます。それでは、またの機会のメッセージをお待ちしています。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年6月25日 - 09:29
平清盛の父、平忠盛は昇殿を許された際、公家たちから「伊勢平氏は眇目(すがめ)」と何度も言われて馬鹿にされたとあるが、これはへパイストスが片目であった様に、伊勢平家たちは鍛冶陶芸の従事者で、温度をみるのに片目をつぶっていた職業病から、片目を痛めてしまったことに由来するのではないか?
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年6月25日 - 19:31
平家物語では、平家打倒を図ったことで鬼界ヶ島に島流しになった平康頼と藤原成経は、そこに熊野権現を祭り、望郷の歌を卒塔婆に記して何度も流した所、そのうちの一本が安芸国厳島に到着、その歌が清盛の心を打って恩赦を得たとされている。これも黒潮文化の成し得る業だろう。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年6月25日 - 19:33
平家物語では、鬼界ヶ島への島流しの話は何度も、そしてかなり具体的に書かれている。これが鹿児島県の硫黄島なのか、奄美群島の喜界島なのかは不明だけれど、平家の落人が鬼界ヶ島に流れ着いたのは明らかな事実だ。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年6月25日 - 19:33
平家物語を読んでいると、熊野権現の話がやたら出てくる。熊野という名前から見ても、私には海洋よりも大陸の影響を感じる。シュメール人以前のメソポタミアの先住民ウバイドたちが熊野と奄美に逃れたという話を、もう少しちゃんと調べてみたい。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年6月25日 - 19:34
安徳天皇の妻あぐりを祀る奄美大島の今井権現を祀っていたユタ神さまは、元漁師の阿世知(あせち)照信さんだった。この苗字は、奈良時代(もしくは明治時代)に設置された、地方行政を監督する官職、按察使(あぜち)に由来するのだろうか?
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年6月25日 - 19:34
蘇我氏も平家も、横暴して奢ったから権力の座から落ちたということになっているけれど、天皇の指名ということ以外においては、横暴した形跡がほとんど見当たらないのは興味深い。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年6月25日 - 19:35
たしか『火の鳥乱世編』でも描かれてたな、このエピソード。
— 藤盛槐 enju F. (@enju1948) 2017年6月25日 - 19:48
「♪伊~勢の瓶子(平氏)は素甕(眇目)なり~」と宴席で揶揄われて、帰宅後に清盛の前で悔し泣きをする忠盛の絵が印象的だった。 twitter.com/curatorshinya/…
平時子が安徳帝に言った言葉「浪の下にも都の候ぞ」の「候ふ/侍ふ(男性は「さうらふ」女性は「さぶらふ」)=ある」は、刀(かたな)などと同様アルタイ語にルーツがあり、この「さぶらう」という動詞が、後に「侍(さむらい)」や「寂び(さび)」へと変化したとは考えられないだろうか?
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年6月25日 - 21:14
奄美民謡「行きゅんにゃ加那」と非常に似た音楽が、ペルシャの鳥葬の際に歌われていたのは、シュメール人が侵入する以前のウバイド文化が、ペルシャのゾロアスター教と、文化派生の東端である奄美のシマ唄に残ったからではないか?
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年6月25日 - 21:15
ケガレは一般的には「穢れ」だけれど、語源的には「気涸れ」で、生命力・霊力としての「ケ」が枯渇した状態を指す。「ハレとケ」とは、日常生活「ケ」=生命力を維持する為に、儀礼や祭りである「ハレ』=払う、すなわちお祓いをする、という意味だったのではないか?
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年6月25日 - 21:56
日本語のナ行には霊力に関係した言葉が多いからこそ、平仮名の「なにぬねの」では曲線が強調されるのだろう。ヒ、チ、ニなどイ行にも魂を指す言葉が多いが、その後になりatmanやtat tvam asiなどが日本語化した「タマ」や「タマシイ」という言葉が使われる様になったのではないか?
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年6月25日 - 21:59
呪術は「こう言えばこうなる」と言う思考的形式に基づく、自己の願望を客観化することで自然や他者を直接コントロールする行為で、神や仏などの超自然的な霊力を借りて間接的に願望達成しようとする宗教とは区別される。するとヨーゼフ・ボイスのタタールレジェンドは呪術だったと言えるのではないか?
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年6月25日 - 22:02
東京都美術館セレクショングループ展Cギャラリー「境界を跨ぐと、」始まりました! pic.twitter.com/wVhcFlv3W7
— 李晶玉 (@ri_jong_ok) 2017年6月25日 - 16:53