Eur-Asia

西洋と東洋の融合をテーマとした美術展「ユーラシア(Eur-Asia)」の開催を夢見る、キュレーター渡辺真也によるブログ。

鯉の滝登りに隠された歴史

2009-10-23 20:08:00 | Weblog
ボルケーノ・ラヴァーズ展のカタログテキストを書こうと、ある作品のモチーフになっている鯉の滝登りについて調べていた。

黄河の急流にどんな魚も登れなかった竜門というのがあり、それを登り龍に姿を変えたのが鯉だった、それが転じて、成功のために乗り越えなければならない難しい関門を「登龍門」と呼ぶ様になった、ということを初めて知った。また、滝登りの赤い鯉は富を、水はお金を意味し、どちらも流れるものから縁起物とされているそうだ。日本の伝統の子供の日の鯉のぼりも、この故事成語とおそらく関係しているのではないだろうか。

この鯉の滝登りのことを、中国語で鲤鱼跳龙門 (Li Yu Tiao Long Men) と言うらしい。そこで鲤鱼跳龙門でググった所、あまり検索結果が出てこない。これだけ有名なモチーフなのだから、もっと結果が出てもよいのに、と不思議に思った。

この鲤鱼跳龙門 (Li Yu Tiao Long Men) のうち、跳龙門 (Tiao Long Men) が、音的に登竜門とリンクしているのかと思い、「跳龙門」といいうキーワードで検索した所、「苗」という言葉に当たってピンと来た。苗岭山歌、そう、モン族の歌に鲤鱼跳龙門が歌われているのである。

苗岭苍穹

鯉魚戲水跳龙門
画眉唱歌比高声
阿哥一片木葉响
木叶声声扣妹心

(中国語ができる方、日本語に翻訳してコメントに書き込んで下さい)

私はタイ北部でモン族の村に遊びに行ったことがあり、初めてアメリカに留学した際も、モン族の方にお世話になったことがあるので、何とはなしに親しみを感じている。モン族は、悲劇的な歴史を背負った民族だが、Wikiで少し調べてみると、

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中国の伝説によれば紀元前26世紀頃、漢民族の原型である華夏の民族の君主・黄帝が蚩尤の民族の討伐作戦を行い、涿鹿(たくろく、河北省と遼寧省の省境付近)で破ったことがあったという。戦いは黄河の台地で行われた。
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もしかしたら、黄河の地を漢民族によって追われたモン族が、自らの出身地である黄河上流の龍門を、伝統的かつノスタルジックなモチーフとし、鯉の滝登りの題材を扱っていたのではないか。そして、モン族のルーツである鯉の滝登りのイメージを、漢民族が大切にして来なかった為、鲤鱼跳龙門にて検索しても、あまり検索結果が出てこないのではないか、そして漢民族に大切にされなかった鯉の滝登りのモチーフが、日本に持ち込まれて発展したのではないか、そんな風に思った。

カタログ製作が山場だ。何とか乗り切ろう。

展示実現に向けて、寄付をお願いします

2009-10-22 16:16:57 | Weblog
ボルケーノ・ラヴァーズ展は、アイスランド人キュレーター、ビルタ・グジョ-ンスドッティルと渡辺真也による非営利美術展であり、多くの皆さまの献身的なご協力により運営されています。

アイスランドと日本の文化交流の歴史は長くありませんが、本展示をきっかけに、多くの類似性をもつこの2つの国がお互いの理解を深め、両国間により多くの文化交流が生まれればと願っております。

ユーラシア大陸の西端と東端に位置する2つの国による美術交流展ということもあり、交通費や輸送費などに多額の費用がかかっております。現在、11 月中旬に迫ったニューヨーク展、さらに日本とアイスランドへの巡回展実現に向けて準備を進めているところですが、資金的に非常に苦しい状況です。

そこで、本展示の趣旨にご賛同くださる皆さまに、ぜひ展示実現のためのご寄付をいただけないかとお願い申し上げる次第です。寄付は一口1万円からです。展示趣旨にご賛同のうえ、ご協力いただけましたら大変幸甚に存じます。

ご寄付の振込先は、以下の通りです。
銀行名: みずほ銀行(金融機関コード 0001)
支店名: 早稲田支店(店番 068)
口座番号: 普通 2221720
振込先名義人: ボルケーノ ラヴァーズ ジッコウイインカイ*
(ボルケーノ・ラヴァーズ実行委員会 会長 渡辺真也)
*入力できる範囲で書き込んでください。

クレジットカードをお持ちの方は、Paypalのご利用も可能です。詳しくはこちらをご覧下さい。

お振り込みくださった方全員のご氏名を、カタログの協力者欄に掲載させていただきます。もちろん匿名での寄付も可能です。お振り込み完了後、氏名掲載のご希望を含め、メールにてinfo@volcanolovers.netまでご連絡いただけますと幸いです。

企業や団体でのご寄付も受け付けております。こちらもメールにてお問い合わせください。

なお、参加アーティストであるハラルデュール・ヨンソンと斎木克裕による特別エディション作品の販売を通じてのファンドレイジングも行っております。詳しくはこちらをご覧ください。

皆さまからの寛容なるご協力をお待ち申し上げております。どうぞよろしくお願いいたします。

ボルケーノ・ラヴァーズ実行委員会
ビルタ・グジョーンスドッティル & 渡辺真也

ボルケーノ・ラヴァーズ展 開催記念スペシャル・エディション作品のご案内

2009-10-21 16:20:33 | Weblog
ボルケーノ・ラヴァーズ展 開催記念スペシャル・エディション作品

ハラルデュール・ヨンソン & 齋木克裕

“Volcano Lovers – Anatomy of Feelings”
(ボルケーノ・ラヴァーズ - 感情の解剖学)

Frame Size: 12-3/4 x 20-3/4 inches (32.5cm x 52.7cm)
C-print and Drawing with custome frame
Edition of 7 Each
(詳細はHPをご覧になって下さい)


ボルケーノ・ラヴァーズ展実行委員会は、本展の開催を記念し、出展作家であるアイスランド人のハラルデュール・ヨンソン、そして日本人の斎木克裕の協力のもと、スペシャル・エディソン作品「Volcano Lovers – Anatomy of Feelings 」を制作しました。

今回の作品のヒントとなったのは、キューバ出身のフェリックス・ゴンザレス=トレスの作品「Untitled(Perfect Lovers)」です。

2つのまったく同じ電池式時計が、隣り合い、同じ時を刻むというこの作品は、1991年、作家のパートナーがHIV陽性の診断を受けた直後に作られたものです。秒針さえも完全にシンクロしている2つの時計。しかし時が経つにつれてその歩みにずれが生じ、やがてどちらかが先に止まってしまう──この作品は、人間関係や死、そして目に見えない時の流れへの悲しみを、ポエティックに描き出しています。

ボルケーノ・ラヴァーズ展は、地球が生まれる場所であるアイスランドと、地球が消滅する場所である日本の作家によるグループ展であり、今回のエディション作品は、「Perfect Lovers」にヒントを得た、両国出身の2人の作家によって生まれました。

斎木克裕は、空や山など、自然を写した写真イメージの中にモダンな要素を見いだし、それを切り取った作品を作り続けています。一方、ハラルデュール・ヨンソンは、言葉に落とし込まれる前の人間の感情、感情の生成の瞬間をエモーショナル・ドローイング(Emotional Drawing)で表現し続けています。

今回、ヨンソンは斎木の写真作品から3つのイメージを選び、そのとき抱いた感情をテーマに、エモーショナル・ドローイングをつくりました。斎木作品とヨンソン作品を、隣り合う円形のウインドウマットの中に収め、カスタムフレームを設置しています。

本作品販売による収益は、展示実現のためのファンドレイジングとさせていただきます。作品をご購入くださった方は、協力者としてお名前を展示カタログに表記させていただく予定です。

購入を希望される方は、info@volcanolovers.net までご連絡ください。

皆様からのご協力をお待ちしております。

渡辺真也&ビルタ・グジョ-ンスドッティル

「ボルケーノ・ラヴァーズ - アイスランドと日本から」

2009-10-21 12:47:30 | Weblog
美術展覧会「ボルケーノ・ラヴァーズ – アイスランドと日本から」

キュレーター:Birta Guðjónsdóttir(ビルタ・グジョーンスドッティル) & 渡辺真也

アーティスト:(from Iceland / from Japan)

* Hildur Bjarnadóttir(ヒルデュル・ビャナドッティル)
* Hreinn Friðfinnsson(フライン・フリドフィンソン)
* Guðný Rósa Ingimarsdóttir(グッドニー・ローザ・イングマールドッティル)
* Haraldur Jónsson(ハラルデュール・ヨンソン)

* Noriko Ambe(安部典子)
* Atsushi Saga(嵯峨篤)
* Katsuhiro Saiki(齋木克裕)
* Yuken Teruya(照屋勇賢)

開催期間:2009年11月13日(金) – 2010年01月02日(土)

オープニング・レセプション:2009年11月13日(金) 18:00 – 20:00

アーティスト・トーク:2009年11月14日(土) 14:00 – 16:00

会場:Ise Cultural Foundation(イセ・カルチュラル・ファンデーション)
555 Broadway, New York, NY 10012

お問い合わせ:info@volcanolovers.net

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展示「ボルケーノ・ラヴァーズ – アイスランドと日本から」に寄せて

ビルタ・グジョーンスドッティル & 渡辺真也

展覧会「ボルケーノ・ラヴァーズ - アイスランドと日本から」は、アイスランド人キュレーター、ビルタ・グジョーンスドッティルと日本人キュレーター、渡辺真也による合同キュレートリアル展である。

アイスランドと日本の間には歴史的に親密な関係はなかったものの、この2つのネーションが文化的・地理的共通点を持つことは明白である。両国はユーラシア大陸の西と東のほぼ対極に位置する島国であり、双方とも地理的特徴として火山を有し、そのことに多大な影響を受けてきた。本展示では、こうした既存の類似点の先にある、現代日本とアイスランドの生活様式における共通点を指摘し、さらにそれらの文化的要素が今日の両ネーションに暮らす人々にとってどんな意味があるのかを、探求してみたい。

プレートテクトニクス研究により、アイスランドは、大西洋中央海嶺の隆起に沿った地球の割れ目、すなわち分離した境界の両側に新たな地殻を形成した北アメリカプレートとユーラシアプレートの割れ目から生まれたことがわかってきた。一方日本は、太平洋、フィリピン、ユーラシアの3つのプレートの接合箇所の上に形成され、そのため高い山々や深い海溝といった地形を持つに至ったのである。

言い換えれば、地球はアイスランドで生まれ、日本において消滅している。そして、両ネーションは地球の変容、構築、脱構築に伴うパワーとエネルギーを共有していると言える。火山地形と島国文化には、地政学の伝統上の類似点が見られ、両国ともアニミズム──例えばアイスランドにおけるアサトゥルや、日本の神道 ──の影響を強く受けているのである。

スーザン・ソンタグの小説「火山に恋して」からタイトルを引用した本展示は、類似した背景を持つ2つの異なるネーションにおける、ミニマルな表現に潜むエネルギーと感情を捉えようとするものである。出展作品は、いずれも感覚的な体験、相対性、日々の慣習の複雑さといったテーマを、巧みにさぐっている。

そこから、私たちは、自然や地理によって大きな影響を受ける「創造」に対する理解を、日常生活の中の一見ありきたりな領域にまで深めることができる。私たちは、この展示がすべての参加作家と来場者に対し、未来の芸術的活動や感動的体験を通じ、個人もしくは集団で、これらの要素を探求するためのプラットフォームになることを願っている。

Tokyo Art School 「はじっこから東京を考える」 坂口 恭平 × 萱野 稔人

2009-10-16 10:00:46 | Weblog
アトミックサンシャイン展でもお世話になった萱野稔人さんと、坂口恭平さんとのトークイベントが、あさっての10月17日土曜日午後1時より、代官山ヒルサイドテラスにて開催されます。皆様、ご予約の上、ふるってご参加下さい。

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AIT × 東京アートポイント計画
Tokyo Art School
「はじっこから東京を考える」
坂口 恭平(建築探検家)×萱野 稔人 (津田塾大学 学芸学部 国際関係学科 准教授/哲学者)

【スケジュール】
12:30 開場
13:00 レクチャー 「東京の狩猟採集民族と幸せについて」 坂口 恭平
13:45 休憩
13:50 レクチャー 「空間のアウトロー的活用」 萱野 稔人
14:35 休憩
14:40 ディスカッション 坂口 恭平 × 萱野 稔人
15:30 質疑応答*
16:00 閉会
* ディスカッションと質疑応答は続けて行われます。質問をする方は、事前に質問用紙(別紙)に質問をご記入の上、質疑応答が始まる前までにスタッフにお渡しください。

【レクチャー概略】
「東京の狩猟採集民族と幸せについて」 坂口 恭平
幸せに生きることを、路上生活者の日々の生活を頼りに考えます。一般的に、住めると思わないところに居を構えて生活をするとなると、多くの人々が見知っているものとは違う方法を取らざるを得ないということは想像がつきます。法律やそれが形作っている社会という枠組み、そしてそこで行われている人や物、金銭の流れを意識し、その力を借りながら、自らの小さな世界の可能性を探るといってもいいでしょう。そこには、身の丈に合った、充足した生活循環を見出すことができるかもしれません。路上や河川敷などで暮らす人々の生活のいくつかの例は、都市の運動を利用しながら自らの力で作り出す都市生活のオルタナティヴを示していると考えられそうです。

「空間のアウトロー的活用」 萱野 稔人
既存の秩序原理からはみだしてしまうような空間の活用法について理論的に考えます。タイトルにある「はじっこ」という言葉は、したがって、東京から見た地理的な周辺を意味するのではありません。既存の秩序原理からみたら「アウトロー(法の外)」として位置づけられてしまうような空間活用の技法(アート)を、ここでは意味しています。空間をどのように活用し、整序するのかという問題は、すぐれて政治的な問題、それこそあらゆる時代の統治権力が最大の関心を抱きつづけた問題であるとともに、そこから新たな実践の可能性がうまれてくるようなクリエイティブな次元における問題でもあります。そうした空間をめぐる活用の諸相を理論的にとらえていきます。


【参考文献】
・ 坂口 恭平 著 「TOKYO一坪遺産」、春秋社、2009年
・ 萱野 稔人 著 「権力の読みかた ― 状況と理論」、青土社、2007年

TOKYO一坪遺産
坂口 恭平
春秋社

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権力の読みかた―状況と理論
萱野 稔人
青土社

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オーロラの記憶とネーションの記憶

2009-10-12 00:07:38 | Weblog
今日、オーロラに関する調べ物をしていたら、いくつか面白い民間信仰に出会って行った。

オーロラは、太陽表面の爆発と地球磁場と相互作用から生まれる自然現象だが、そんなことを知るすべの無い太古の人がオーロラを見たとき、一体どんなことを考えたのだろうか?2006年の冬、アイスランドでオーロラを見て心底感動した私は、そんなことをずっと考えて来た。

オーロラに関する記述は、エスキモーやネイティブ・アメリカン、さらに旧約聖書にも記述があるのだが、そのバリエーションは様々である。しかし、共通して考えられているのは、死後の世界や、新たな世界に関する記述である(このサイトが詳しい)オーロラという言葉自体が、ローマにおける夜明けの神であることからも、どういった共通理解があったのか、うっすらと伺える。

アイスランドでは、妊娠した女性がいると、「オーロラを見過ぎると、生まれた子供が寄り目になってしまうから、あまりオーロラを見てはいけない」、と忠告するという民間信仰があったそうだ。これには、一体どんな意味があるのだろうか?

私は小さい頃、おばあちゃんの家の物置部屋に入ろうとすると、「モモンガが出るから、入っちゃダメだよ!」と注意されたのを思い出す。一体、モモンガは何なのだろう?と思うより先に、モモンガという得体の知れない存在に底知れぬ恐怖を抱いてしまい、その物置部屋に入らなくなったのだが、おばあちゃんとしてみれば、してやったりだったのだろう。モモンガはきっと、孫が物置部屋で悪さをしたり、怪我をしない様に釘をさすためのマジック・ワードだったのだと思う。

私の予想だと、この民間伝承の意味はこうである。

きっと、昔の人にとっても、オーロラは美しく、魅力的であったのだろう。その美しさに魅了されて、寒さを忘れて外に立ち尽くしたまま風邪をひいてしまった人も、きっと多かったことだろう。

だから、若い女性が妊娠すると、風邪をひかない様に、さらにお腹の子供に悪い影響が無い様に、「オーロラを長時間見てはいけない、寄り目の子供が生まれるよ」と、忠告したのではないだろうか。若い女性は意味も分からぬまま、寄り目の子供が生まれたらイヤだと思い、きっと暖かい部屋にとどまることを選んだのではないだろうか。

また、フランスやイタリアなど緯度の低い地域にてオーロラが出た際、温度の関係から赤味の強いオーロラになるそうだ。こういった地域では、そもそもオーロラに関する経験的知識を持っていない為、かなりの混乱を招いた様である。また、赤いオーロラが出過ぎると、戦争が起こる予兆だ、と言う民間伝承が世界各地にあると言う。きっと赤味の強いオーロラの不吉さが、そういった伝承を広めるきっかけになったのだろう。

興味深いのは、緯度の決して高くないオハイオ州クリーブランドにて、1941年のある日、赤いオーロラが見えた日があったそうだ。そして、その日が、日本軍がパールハーバーを襲撃した日であったと言う。

冷静に考えれば、赤いオーロラの不吉さを、クリーブランドの人たちは、事後的にパールハーバー襲撃と結び付けて考えたのだろう。しかし、その個々の点でしか無い事象と事象の間に補助線を引いてしまう所に、ネーションの記憶の様なものを感じてしまう。

9月11日の同時多発テロに関して、スペイン人、いや、カタルーニャ出身の友人が、これは間違いなくカタルーニャの日を意識した犯行だ、と述べたことを覚えている。スペイン・ブルボン家軍の攻撃でバルセロナが陥落した1714年9月11日は、国としてのカタルーニャが死んだ日であり、カタルーニャ人にとって、悲しい記憶を持つ祝日なのである。

私は、赤いオーロラの不吉さを見たクリーブランドの人たちが、パールハーバー襲撃と結び付けて考えた、という下りを英語で読んだ際、じゃあ、広島と長崎が爆撃された際、世界のどこで、一体どんなオーロラが見えたのだろう?そんな民間信仰を持っていない日本人には、見えなかったのだろうか?世界各地のネーション幻想と、日本のネーション幻想は共有できなかったのだろうか、という悲しいネーション幻想を抱いてしまった。あぁ、なんと悲しい幻想!

太陽表面の爆発と地球磁場と相互作用から生まれたオーロラ。そこには、ネーションの記憶が沢山詰まっている様だ。

追悼:佐藤レオ

2009-10-07 00:27:46 | Weblog
友人から連絡があり、佐藤レオ氏がお亡くなりになった、と伺った。あまりにも突然の出来事なので、上手く、言葉を見つけることができない。

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8月24日、代官山でのアトミックサンシャイン展最終日のこと。私のギャラリーツアーを、つぶさに録画している一人の男性がいた。ウェーブのかかった長髪をなびかせながら、「感動しました」と言い、私に積極的にインタビューしてくれたこの方、誰なのだろう?と疑問に思っていたら、友人が、「彼、パレスチナのドキュメンタリー映画を制作している佐藤レオさんだよ」と教えてくれた。

展示のクローズの際、ギャラリートークを聞きに会場にいらっしゃって下さった皆さんと記念撮影をした時のこと。柳さんの作品の前で、ビデオカメラを持ったまま、撮影に加わって下さった。

「私にできることがあったら何でも手伝わせて下さい」、そう申し出て下さった佐藤レオさんに、オープニングシンポジウムの様子をyoutubeにアップして頂くことは可能ですが、と伺った所、二つ返事で担当して下さったのだった。今だに彼のチャンネルに、アトミックサンシャインのシンポジウムが残っているのは、本当に寂しい。

彼の出ているNews23のビデオを見ていたら、彼がこの世を去った、ということが、やはり理解できなかった。

少なからず似た領域の仕事をこなしていた私たちは二人は、とても短い時間、そして少ない言葉の中で、高密度なコミュニケーションを行った、そんな手ごたえが、お互いあったと思う。もう彼には会えない、と思うと心底悲しいけれど、死者、という最大の他者の意思に対して、しっかりと対峙し、会話して行きたい。

かわいい!

2009-10-04 20:35:18 | Weblog
そして、みんな、凄い!

http://www.youtube.com/watch?v=pqyUtJry3A0
http://www.youtube.com/watch?v=laWjEjuGCLA

バルトークのミクロコスモスは子供のピアノ教材としての側面も持っていて、番号が増えるごとに難易度が高まるそうなのだが、こういうビデオを見ると、バルトーク、本当に良い仕事したんだな、なんて思う。

バルトークの音楽は、やはり非西欧圏から生まれた音楽、という印象が強いけれど、意外だったのが、中国の女の子が弾いているバルトークが、なんだかハマっていた所。バルトーク自身の演奏と聞き比べると、面白い。よかったら、どうぞ。

http://www.youtube.com/watch?v=5sxHUrniq8c
http://www.youtube.com/watch?v=P29GAqNNDT4

死者からのメッセージ - ハゼ釣りを巡って

2009-10-03 01:22:50 | Weblog
書きたいことが沢山あるにも関わらず、とにかく時間が取れず、日々だけが過ぎていった。そんな中で、印象に残ったことをひとつ。

先日、祖父の13回忌で静岡の実家へと帰って来た。祖父に溺愛された私は、ずっと祖父の記憶を大切にしながら、今までの時を過ごしてきた様に思う。アトミックサンシャイン展も、中国での戦争体験を、毎晩私にしてくれた祖父の影響が強かった、と自覚している。

13回忌の日、お寺での法事を済ませて家族みんなで晩御飯を食べている際、私の姉が、私がタイでおぼれかけて死にそうになった話を、自分の息子、つまり私の甥っ子の前で、披露した。そんな時、私の中で、いくつかの記憶が瞬時に蘇って行った。

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20歳の頃、アジアを陸路で旅していた時のこと。私はフルムーンパーティで有名なコパンガンのすぐ隣にあるコタオという美しい島に滞在していた私は、海をシュノーケリングしたり、他のバックパッカーや現地の人たちとグダグダしたり、という日々を過ごしていた。日本を発ってから5-6週間もすると、感覚も日本的なものから離れていき、タイのマイペンライ的な風土に慣れるにつれ、判断力がかなり低下していた。

コタオのバーでのこと。オーストラリア人のダイバーと話をしていると、私の滞在しているビーチの近くにシャーク・アイランドという島があり、とにかく美しいから、泳いで行ってみてはどうか?とお勧めされた。ダイビングの道具など一切持っていないが、大丈夫なのか、と聞くと、大丈夫、泳いでいける、とのお返事を頂け、判断力の低下した私は、そうか、泳いで行けるんだな、と思っていた。

次の日の朝、寝不足のまま、私は滞在先のビーチ沿いのバンカローを出ると、シャークアイランドに向かって泳ぎ始めた。水泳力に自信のあった20歳の私は、美しい海とお魚の群れを眺めながら、500メートルほど先の島を目指して、泳ぎ始めた。

しかし、20分ほど泳ぐと、魚は見えなくなり、辺りは一面、青一色の世界となった。空の青、海の青しか見えない状況がひたすら続いている、そんな中、自分自身が潮の流れで大分流されていることに気がついた。このままではどこか遠くに流されてしまう、コタオとシャークアイランドのちょうど中間地点で、私はパニックに陥りそうになりながら、とにかく自分の気持ちを落ちつけて、とにかくシャークアイランド島に上陸することだけを考えて、ひたすら泳いで行った。

30分ほどすると、体力の限界が訪れた。もう、すぐ数十メートル先に島があるのに、私はもうダメかもしれない、このまま、広大な海にのまれてしまうのでは、と考え始めた矢先、私は鮮やかな走馬燈体験をした。カラフルな、2つのイメージが、鮮やか過ぎるほどに視界の前を訪れ、ループし続けた。

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1つ目のイメージは、私が小学校の頃の記憶であった。私は小学校中学年の頃、少し知恵おくれの女の子と隣り合って、教室での授業を受けていた。テーブルからものが落ちた時のみ、圧倒的な速度でそれを拾い上げる、という不思議な癖を持っていたこの知恵遅れの女の子は、私が授業中、消しゴムを落とすと、それを素早くサっと拾って私のテーブルに戻し、ニコっとする、という癖を持っており、当時の私にとって、おの一連の所作は、なんだかとても印象的だった。10年以上もずっと忘れていたこのイメージが、消しゴムの匂いと一緒に、突然私の目の前に蘇った。

もう一つのイメージが、私の祖父のイメージであった。

私が小学校1年生くらいの頃、祖父と海釣りに行く為、祖父が河口に係留していた漁船に乗り込んだ時のことである。元気よく船に乗り込む途中、「ドッポーン」、私は足を滑らせて川に落ちてしまった。随分と濁った川へと落ちてしまった為、私の視界は一瞬にして泥色になり、自分の身に何が起きたのか、全く理解できなかった。

しかし、次の瞬間、私は物凄い勢いで、祖父に引き上げられた。一体何が起こったのか分からなかったのだが、とにかく凄い力で引き上げられた、ということだけ分かった。当時、まだ体力が残っていた祖父は、このままでは海に流されてしまう!と思い、漂流の危機にある孫を、必死で救出せんと馬鹿力で引き上げたのだろう。救出後、びしょびしょになった私を連れて祖父が家に帰ると、家族全員に心配されつつ、随分と笑われたのであった。

私のタイでの走馬燈体験は、消しゴムを拾い上げる女の子のイメージと、私が河に落ちた瞬間と、直後に引き上げられた際のイメージが、まさに走馬燈の如く、何度も何度も鮮やかに蘇ったのである。きっと、私の脳が、どうにかして私自身を海からすくい上げ、救出する方法を探していたのだろう。

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祖父の十三回忌の直前、私の甥っこが、突然「釣りをしたい」と言い始めたそうだ。釣りをしたこともない甥っこが、いきなり釣りの話をし始めたので、その母である私の姉は驚いたそうだ。日ごろ、お世話になっているおじさんとみんなで一緒にハゼ釣りに行った場所が、私が川に落ちた、当時祖父が船を係留していた、沼津市狩野川の土手だった。

現在、その土手では、祖父の船も含めて、そこに係留していた船は不法係留ということで全て撤去されており、まっさらな綺麗な川辺となっていた。家族での釣りの様子を納めたホームビデオを皆で見ていると、向こう岸から観光用の渡しの船がやって来たのだが、その時、私は川が、死者とつながる場所であることを思い出した。

祖父は、ハゼ釣り、というささやかなメッセージを甥っこに送ることで、家族とつながろうとしたのかもしれない。(沖縄のユタにお会いした際、この甥っこが祖父のメッセージを一番感じている、と語ってくれたのだった)十三回忌という一つの時間の区切りを通過することで、一つの時代が回る、そんなことを痛感したのであった。


(シャークアイランドの話の顛末は、また時間のある時にでも書いてみたい)