Eur-Asia

西洋と東洋の融合をテーマとした美術展「ユーラシア(Eur-Asia)」の開催を夢見る、キュレーター渡辺真也によるブログ。

うーん困った

2005-03-31 17:13:33 | Weblog
恐れていた事が現実となった。今日、本命であった財団の一つから、助成に関して不採用の通知を受けた。高額の助成申請をしていた為、これは痛い。崖っぷちだ。こうなったら、上手く人やメディアの方に協力してもらい、作品販売によって資金を集めていくしかない。私の滞在中である6月後半までのうち、実行資金を集める必要がある。これはすごいプレッシャーだ。さもないと、私が個人で100万円規模の借金を背負う事となる。こうなってしまってはアートを続ける事は困難だ。

さらに、ミリツァからメールがあり、5月からの滞在を2週間にしてもらえないか、という問い合わせがある。今更ここまで来てやはり1ヶ月は厳しい、という連絡をされても困ってしまう。ミリツァは彼女の所属している大学院の卒業の関係で、一旦帰国ないしは2週間のみの滞在にしてもらいたい、というのだ。いやぁ、困った。これでは北九州の方々に見せる顔がない。しかも2週間では滞在製作は極めて困難だ。どうする!?

大学との関係ゆえ、立場的に弱いミリツァを口説くのは困難であり、もしも1ヶ月のプロジェクトを成功させようとするのなら、私が大学の責任者と直接電話で話して分かってもらうしかない。しかし、それは可能だろうか?分かってもらえるのだろうか?

それにしてもこんな直前になって、こんな連絡をされても困るのだが。。。今まで再三連絡してきたのに。こういった連絡面で、やはり途上国のアーティストと仕事をするのは大変だ、と思う事は、今回の事ばかりではない。うーん、困った。

実家でマジレンジャー

2005-03-29 21:50:34 | Weblog
午前中に仕事を終え、お昼に一人ボランティアの方と話す。本命の海外生活が長かったアートフリークのボランティアの方と会えずじまいだったのが残念だったが、まあ仕方がない。

お昼には広島の平和運動を支援している財団の方とお話し、その後新幹線で私の実家の静岡へ。私の実家は静岡県の沼津市という所なのだが、久しぶりに帰ってみると「うあー、田舎だなぁ。」という印象があった。まあ、大都市ばかり移動しているのだから、そう思うのが当然だ。

一ヶ月以上、日本各地を大きなトランクと共に移動していたので、大分疲れがたまっている。そろそろ短くても私には休息も必要だ。

今日は、実家に一番上の姉が甥っ子を2人連れてきて、マジレンジャーごっこをして遊ぶ。子供は元気だ。こっちも大変だった(笑)

ミリツァが新作の写真を送って来た。思った以上の良作。公開は今後の楽しみという事で。さらに陵賀のアクションペインティングのムービー購入について、日本のIT企業の方から良いお返事が頂けた。しかし購入希望価格が希望額の1/5以下なので、販売に関しては慎重になっている。購入を希望してくれたのは嬉しいのだが、いくらなんでも安すぎるかな、とも思う。しかし先の事を考えると、うーん、とうなってしまう。という事で値段の交渉をするものの、新人という事で足元を見られていて、交渉は困難かも。

名古屋から広島のミリツァの滞在先へ

2005-03-27 22:55:10 | Weblog
今朝は、朝6時に起床し、その後広島で午前中にあった広島でのコレクターさんとのミーティングに向かう。コーヒーを飲みながら、そしてお昼にはお好み焼きを食べながら、アートや社会について彼と語る。彼もかなりの読書家で、いろいろな話ができて、とても楽しかった。

彼にオススメの、または今注目のアーティストは、と聞かれ、「もう一つの万博」参加アーティスト以外に、Diller and Scofidio,Mark Manders,Michael Elmgreen & Ingar Dragset,Thomas Hirshhorn,齋木克裕の名前を挙げる。いきなり聞かれてしまいまったく準備していなかったので、返答に戸惑うが、彼にとっては新しい名前も入っていたので、興味を持ってくれた様であった。その後、彼に本を書くことを強く勧められたのが意外であった。私は現在では本を書く状態ではなく現場の人でありたい、と述べたが、いつかは本を出せたらとおもう。また、展示に関する作品も購入しても良いという様な事を匂わせてくれた。

午後はボランティアの方々と、ミリツァの滞在予定地の空き家までドライブする。とても気さくな方々で、話が弾む。ミリツァの滞在先候補として見せて頂いた家も、広島から40分離れた島の、海沿いにあるとても静かな家だった。市街地からは少し距離があるが、滞在製作にはもってこいかもしれない。また家のオーナーの娘さんはロシア滞在暦3年で、ロシア語の先生をしているらしいので、スラブ語圏のミリツァの受け入れにはピッタリだと思う。

夜は他のボランティアの方と会う予定だったが、彼の体調不良の為、ミーティングを明日に延期する。明日までに彼が復活していれば良いのだけれど。。。

それにしても、私の新幹線や船代(車料金含む)などの交通費が大問題だ。今日一日で大分使ってしまったが、こういった出費もちゃんとカバーできるだけの収入を確保しないと、私も活動を続ける事ができない。困った困った。

愛知万博レビュー

2005-03-26 17:19:56 | Weblog
万博開場に行って来ましたので、ご報告します。

まず、開場に行く際に驚いたのは、本当にリニモが遅い、という事です。なんとその時速わずか35キロ。全長8.9キロを15分で結ぶこのリニモは、上海市街地と空港の約100キロを、時速500キロでわずか15分で接続しているリニモに負けを認めてしまったものです。しかも1時間に4本、定員244人という数では、万博への交通のキャパシティは確保できないのは当然でしょう。という訳で、リニモに乗りたい人はいっその事上海に行った方が良いのではないでしょうか?

名古屋テレビのクルーが、私に「リニモの乗り心地はどうですか?」と聞いてきたので、「最悪ですね。リニアモーターカーの良い所はそのスピードのはずですが、これではシャトルバスと変わらないではないか」と返答しました。このコメントは中部圏のテレビでは放映されないとは思いますが。。。

また、リニモ以外にも、開場の各所で安全面の不安が残ります。グローバル・ループは初日にひび割れが入り補強しているし、リニモ駅の混雑、さらにはゴンドラなども心配です。花博覧会で発生した死者の記憶はもう古いものになっていますが、文化イベントでけが人や死者がでる様な事は何としてもあってはならない、と思います。

午前中はアジア・オセアニア地域のパビリオンを回りました。カンボジア館に入った際、私がアメリカのナショナル・プレス・パスを所有していた為、「オープニングの取材に来てくれ」、とパビリオンの方に交渉されました。しかも、それも日本語でも英語でもなく、身振り手振りで話されたのです。そうだ、この人たちはカンボジア人達なのだ、英語教育や、いや、教育さえも満足に受ける事ができなかった人たちなのだ、と理解できました。パビリオンのオープニングにはカンボジアの外務省の方などの国賓が参加しテープカットを行なったのですが、国民国家としての統一体としてやっとひとり立ちしてきたカンボジアという国の、国際舞台というイベントだという、質素ながらも力の入った主催者側の頑張りが感じられ、カンボジア頑張れ、と応援したくなりました。

その後、地球市民村に向かったのですが、非常に頑張っているという印象を受けました。多くの環境系などのNPO、NGOが参加していたのですが、かなり真面目な展示を試みており、関心しました。お茶館では手もみしたお茶を振舞っていたのだが、周辺の人たちが皆良い人たちばかりで、とても気分が良かったです。

また、サウジアラビア館も印象的でした。コンパニオンは日本人のみ(なぜならムスリム女性は、接客を禁じられる傾向があるから)で、かなりお金の掛かった展示を行なっていました。さらに出口にて無料CDと無料カタログを配布する、というのが、サウジアラビアの財力を物語っていました。おばちゃんが「タダや、タダや」と言って、お土産用だろうか、サウジアラビア音楽を納めた無料CDを何枚も鷲づかみして持っていったのがさらに印象的でした。

また、アメリカ館のみ手荷物検査を行っていたのが象徴的でした。ベンジャミン・フランクリンの体験型パビリオンを使い、彼に「アメリカの自由・・・」という言葉を最低でも6回以上聞かせていたのがとてもアメリカ的だったと言えます。

他に印象的だったのは、キューバ館です。キューバでは建物以外一切展示が行なわれておらず、また本当に良く見ると、キューバ館の中で流されていたキューバのイメージ映像は、そのほとんどがキューバ以外のラテンアメリカ諸国で収録されたイメージでした(私はキューバを旅したので、キューバをある程度理解している)。それほど、キューバの内情が良くなく、見せれないという事なのでしょう。

パビリオンで一番楽しめたのはドイツ館でした。さすが工業国ドイツ、というのが本当に分かりやすくプレゼンされている。ゴンドラを使った展示も、非常に楽しめます。

驚いたのはボスニア・ヘルツェゴビナ館です。スキー場や山、川などの写真パネル以外、一切展示されていないのです。パビリオンにいる男性に片言のセルボ・クロアチア語で話しかけ、その後英語にて質問したのですが、彼は「ボスニアには魂がある、この魂をこの展示でみなに理解して欲しい」とコメントしました。しかし、その彼の言うボスニアの魂が、本当にこのパネルで伝えられるか、と言えば、それは恐らく否でしょう。しかし、彼の言いたい魂という言葉が、ボスニアを訪ねた事のある身として、真摯に伝わってきました。日本で魂という言葉が似合う人は、そんなに多くないかもしれません。

一番残念なのは、ローリー・アンダーソンとロバート・ウィルソンのショーでした。なんと、オープニングにも関わらず、二つともキャンセルされてしまったのです。これでは万博側も面目丸つぶれではないでしょうか。また、その中止に関する館内放送や掲示板によるアナウンスなのが一切なかった為、見に来た人の混乱を招いていました。また、同時にこれだけのビッグネームにも関わらず、ローリー・アンダーソンとロバート・ウィルソンを目当てに開場に来ている人はほんのわずか(万博関係者も開場すら把握していない)で、日本におけるモノカルチャーの実態をまざまざと感じてしまった。

また、今からの心配事の一つが、この万博で出た赤字を日本国民全体が負担する事です。責任の所在を明らかにして、そこで赤字が発生した場合、担当者が「辞任する」という責任の取り方ではなく、別の方法を取るべきでしょう。この構造を直さない限り、日本の土建産業と政治家のの癒着はなくならないでしょう。また、今回の万博の赤字分は「万博宝くじ」にてまかなう、との事ですが、日本国の文化イベントもここまで地に落ちたか、と感じさせる苦肉の策という印象を受けました。

これは国家間の問題に還元して言えば、ODA資金をを海外パビリオンの設計に使い、日本企業に還流するシステムにも同様に言えます。これはもっと根の深い問題で、これを続ける限り、世界の資本バランスは狂ったままになります。

私は「もう一つの万博 - ネーション・ステートの彼方へ」にて国民国家問題を扱っているのですが、日本における国民国家的な枠組みがあまりにも希薄であり、これは大仕事だ、と今更ながら実感しています。こんな万博的なイベントですら、他者と触れ合う機会として設けられた事が、もしかしたら貴重なのかもしれない、と思われる程、日本中部における他者理解が行なわれていないとも言えます。ましてや国民国家の枠組を形成している想像上のネーションの解体となると、それは大変な大仕事です。

また、万博のオープニングの日に名古屋のテレビ塔側に発射されたグリーンのライトは、アルベルト・シュペーアによるナチス・ドイツ時代のベルリン・オリンピックの開幕式を彷彿とさせた。天皇や皇太子による開会式もそうです。雅子さん不在、というのが日本の現在性を物語っている気もします。

PS:「もう一つの万博プラットフォーム in 名古屋」のHPももうすぐ出来上がります。また報告させて下さい。

また広島へ・・・

2005-03-24 14:39:28 | Weblog
広島のボランティアの方から、ミリツァの滞在先の第二候補として急遽浮上した、広島県の貸し家について持ち主から貸し出しOKの了承が出た、との連絡を頂く。その為、名古屋からまた広島へと帰る事となった。25日に万博の取材を行い、26日にそれを記事としてまとめ、27日には広島に発つ。

広島へ訪れる事が決定したため、前回に会えなかったコレクターさんに会う為、電話にて連絡。急遽、27日の午前中に会うことに。その為、当初予定していたボランティアさんの午後の予定を狂わせることになってしまったが、仕方がない。迷惑をおかけして、申し訳ございません。

これからは、セイラとミリツァにいろいろスケジュールの確認をすると共に、京都での滞在先の写真をセイラに送る。その後、名古屋でのプラットフォームの様子をwebとして作る予定だ。

また、東京の実行委員会の方の一人が名古屋に来ているので、夜にご飯でも食べに行こうという話になる。久しぶりに会う方なので、非常に楽しみだ。

もう一つの万博プラットフォーム in 名古屋

2005-03-24 14:32:54 | Weblog
名古屋でのプラットフォームが昨日終了した。まあ、大成功という訳ではなかったが、とりあえず終了した。

今回はプラットフォームの開催場所がなかなか決定せず、開催が決定するまで時間が掛かってしまい、その為、十分な広報活動ができなかった経緯がある。名古屋の美術系の団体にもメーリングリストにて流す様に依頼したのだが、決定が直前だった為、広報が上手く機能しなかった様だ。

また、あいにくの雨、それも平日の夜、という事で人が非常に集まりにくかった。それとこの日に名古屋の大学関係者が卒業式や謝恩会で出席できない人が多く、それが人の集まりの悪さに拍車をかける事となり、合計20人ほどの人しか集める事ができなかった。

沖縄やNY,東京と較べると、名古屋で国民国家問題について話せる人、またはそれをテーマとして作品を作っているアーティストは極めて少ない。そんな事情もあり、パネリストを集めるのが非常に困難な状況であり、さらにパネリストの横のつながりを使って人を集めるのも困難な状況であった。また東京と違い、名古屋は美術愛好家の人口がもともと少ないので、その状況の中で人を集めるのが非常に困難であった、という事が教訓として残った。

しかし、あいにくの悪天候、または忙しい中に参加して下さったパネリスト、参加者、学生ボランティアにはここで感謝を述べたい。ありがとうございました。

ミーティング、ミーティング

2005-03-23 00:07:13 | Weblog
朝には京都から大阪に移動し、ボランティアをして下さっているメディアアーティストの方と打ち合わせ。メインは、セイラの作品がビデオ系の作品になりそうなので、それの編集など技術面で手伝ってくれないか、という話をする。とても気さくな方で、すごく良く話を聞いて下さり、大変助かった。また、セイラの予定などこまかい面で確認が取れたのが収穫。

その後、大阪から京都へ戻り、京都にで伝統工芸をしている、セイラの支援者のIさんと話をする。現代美術と伝統工芸は分野こと違え、ものづくりという点では一致している。彼の製作者としてのは非常に興味深かったが、同時に彼にとってみると、現代美術のキュレーターというのはとても面白い存在であった様だ。彼にはセイラが京都に来た際には工房を案内して下さい、とお願いした。また沖縄出身のアーティスト照屋勇賢さんも伝統工芸に大変興味があるので、彼が京都に来た際にも工場を見せる様にお願いした。

それから、夕方にはまた大阪に移動し、企業でメセナ活動をしていた方とお会いし、意見交換。彼もNYでアートをやっていた経験があったので、話が弾む。私は彼に大阪でのコレクター情報を聞きたかったのだが、彼いわく大阪でアートのコレクターを探すのは困難、と聞く。東京で探した方が早いよ、というアドバイスには、納得すると同時に残念な気分。

夜には、新世界にてNPOメディアアート団体の方とミーティング。やはりセイラの製作の件でなんらかの形でご一緒できないか、という話をする。この方も海外経験の豊富な方で、そういった意味で非常に話やすかった。しかし、セイラの作品そのものがまだクリアになっていないので、援助は困難かも、という話もする。そりゃそうだ、フゥー。

そこが新世界、ということもあり、夜は新世界のあたりをぶらついた。そこはまさに新世界。SFの様だった。韓国料理屋で石焼ビビンバを食ったのだけれど、それが抜群にうまかった。

もう一つの万博プラットフォーム in 名古屋のお知らせ

2005-03-21 13:19:12 | Weblog
もう一つの万博プラットフォーム in 名古屋
場所:アーキ・カフェ・ジーベック (archi cafe Xebec)
名古屋市東区東桜2-9-15MATRIX37-1
会場の周辺地図
tel.052-930-2377
時間:3月23日水曜日午後6:30開場 午後7時開始

パネリスト:
渡辺真也(スパイキーアート・キュレーター)
五十嵐太郎(建築史家、プラットフォームには途中よりの参加です)

参加費:1000円

協力:学生団体フラット
http://www.f-l-a-t.net/modules/news/

皆様、お誘いあわせの上、ご参加下さい。

渡辺真也

広島から京都へ

2005-03-21 12:50:15 | Weblog
昨日、広島から名古屋へ移動。広島では最も会いたかったコレクターの方とは遂に会えずじまい。彼も本当に忙しい人なので、スケジュールの調整が難しかった為だ。また5月の後半に広島に行った際に会うしかない。

その後、地震の影響で遅れた新幹線に乗って、京都に入る。京都では、安宿にチェックインする前に、お手伝いして下さっているNPOの方に、京都の現地ボランティアの方と実行委員会広報担当と一緒に向かう。相当忙しそうで頭が朦朧としている様であったが、気さくに私たちを迎えてくれて、嬉しかった。代表の彼にはセイラの滞在先のアーティスト用レシデンスの件で大分お世話になったので、ぜひ会ってお礼が言いたかった。それが実現して、よかった。

その後、レシデンスの写真を撮りに行くが、現在の滞在者が不在のため、内部の写真撮影はできず。2度ほど足を運ぶが、撮影はできなかった。今日、またアプローチしてみようと思う。

今日は大阪にてプロジェクトの理解者の方と会って話したかったのだが、まだスケジュールの調整がつかず。私のプロジェクトは、ボランティア参加者などが多い為、ビジネスに比べ優先順位が低い事が多く、スケジュールが常に後手後手になってしまうのが痛いが、その辺は仕方ない。また明日は、京都から午前中に大阪に移動し協力者とミーティングを行い、午後2時からは京都にてミーティング。なかなか移動が激しい。

名古屋でのプラットフォームも、やっと形になりはじめたが、こちらこそ急な話になってしまった。私も申し訳ない気持ちでいっぱいだが、名古屋で「もう一つの万博」プラットフォームを行う事は、とても困難な事だ。協力者に感謝したい。

カーラからメールがあり、私のお母さんは東インド会社の最初の移民世代の末裔、という話を聞く。ふーん、すごい話だなぁ。

ローリー・アンダーソンからのお返事

2005-03-20 11:04:42 | Weblog
今日、ローリー・アンダーソンからメールがあり、日本で会えそうな雰囲気になってきた。ローリーはdiscussionという言葉が好き(?)な気がするのだが、彼女と話すと、そのオーラと共に話がとてもディープな方向に向かっていく傾向がある。あれだけの格を持ったアーティストに私は今まで出会った事がない。前回話をした際も、その迫力に圧倒された。

ローリーの最新作「End of the Moon」は大変な良作であった。その件についても、彼女に聞いてみたい事は沢山ある。しかし、一番聞いてみたい事は、今のアメリカを万博で代表する事に何を感じるのか、それを聞いてみたい。